日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(6) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?――

1999(平成11)年4月21日に、東京新宿の京王プラザホテルで「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム――放射線と健康」が開催された。この公開シンポジウムは、アメリカでの新たな気運を反映して、低線量被ばくによる健康への悪影響は少なく、むしろよい影響があることを示そうとするものだった。そして、ICRP`の防護基準は厳しすぎるので、実は100mSv(あるいはそれ以上の線量)以下の低線量ではほとんど被害はないと考える専門家がその勢いを強めようとしたのだった。日本ではこの時期までにこの立場の専門家がかなり増えており、この会議以後さらにその傾向が高まる。この公開シンポジウムに関わるような研究が、その前後の時期に電力中央研究所(電中研)や放射性医学総合研究所(放医研)でどのようになされてきたかについては、これまであらまし見てきた。(以上、(1)~(5))

この(6)では、そもそもこうした研究動向が日本で力を得始めるのはいつ頃のことか、また、当時、そうした研究動向を盛り上げていった研究機関や研究者はどのような人々だったのか――これらの問に迫っていく。

この問は「放射線ホルシミス」への注目の歴史を追うことで、かなりの程度、答えることができる。「放射線ホルミシス(Radiation hormesis)とは、大きな量(高線量)では有害な電離放射線が小さな量(低線量)では生物活性を刺激したり、あるいは以後の高線量照射に対しての抵抗性をもたらす適応応答を起こすことである」。(Wikipedia、2012年4月4日閲覧)「ホルミシス」の語源はギリシア語の「ホルマオ」で「興奮する」で、医学用語としては「毒物が毒にならない程度の濃度で刺激効果を示すこと」(リーダーズプラス英和辞典)を指す。さまざまな要因で起こるとされるが、放射線でもそれが起こるという説は、1982年、ミズーリ大学のトーマス・ラッキー氏によって提起された。

放医研(それ以前は、大分県立看護科学大学)の赤羽恵一氏はラッキーが提唱する低線量放射線許容量について次のように述べている。「Luckey氏の線量応答曲線は、ホルミシスは全身照射が自然放射線レベルから10Gy/yの間で生じ、許容値は「保守的に」1Gy/yとしているが、これは、既存の放射線影響の報告とかけ離れた数値である」(低線量放射線影響に関する公開シンポジウム「放射線と健康」印象記 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jhps/j/newsletter/n19/16.html、 1999年)

ラッキーによるこの放射線ホルミシス論に刺激されて、日本でその方面の研究を推進する旗振り役になったのが、電力中央研究所・研究開発部の初代原子力部長である服部禎男(さだお)(1933年生)である。服部は名古屋大学電気工学科卒業後、中部電力、動力炉・核燃料開発事業団を経て電力中央研究所に赴任した。専攻は原子力工学で本人も認めるように放射線影響学はしろうとである。

服部が回顧するところによると(『「放射線は怖い」のウソ』武田ランダムハウスジャパン、2011年、「放射線と健康を考える会」ウェブサイト「放射線ホルミシス」2011 年3月閲覧:http://members3.jcom.home.ne.jp/horumi/kouenn.html )、1984年に電力中央研究所の若手研究員がラッキーの論文について知らせてきた。服部は「そんなはずはない」と驚いて、アメリカの電力研究所本部EPRIに問い合わせた。そこでアメリカエネルギー省が動き、85年にカリフォルニア州オークランドで会議が行われ、一定の信頼性があり、積極的に研究すべきであるとの回答を得た。

そこで、「電中研の依頼で、1988年岡山大学がマウス実験をして、劇的なデーターが得られ、1989年から岡田重文(放射線審議会会長、東大医学部)、菅原勉(京大医学部長)、近藤宗平(阪大教授)ら20名以上の日本のこのトップ指導者を含む研究委員会を発足し、10以上の大学医学部、生物学部と共同研究を開始し、1990年から明快なデーターが世界の学術誌に発表されて、世界中に大きな衝撃を与えました」(ウェブサイト「放射線ホルミシス」)。ここにある「研究委員会」は放射線ホルミシス研究委員会と名づけられたもので、委員長は原子炉研究が専門である服部が務めた。

「世界中に大きな衝撃を与え」たのはなぜか。それは放射線ホルミシス論が妥当であるとすれば、放射線の防護についてのICRP基準やその前提となっているLNT(直線しきい値なし)モデルが崩れることになるからだ。服部は自著で次のように述べている。

「20年間、放射線ホルミシスで大騒ぎして、そして勉強した一番大きな内容は、人間の体の60兆個もある細胞が、その細胞1個あたり、毎日100万件ものDNA修復活動を行って生命活動を進めているということです。地球環境に酸素ができてきて、人間が酸素を利用する生命体になり、そうやって人間が生きることになった現代、DNA修復活動こそ、生命継続の根本であるとつくづく感じます。

これを無視したICRP(国際放射線防護委員会)の勧告は、神に対する冒涜ではないでしょうか。この勧告のもとになっている『LNT仮説』(放射線量と健康被害が直線的に比例するという考え。つまり、放射線は少しでもあれば健康被害があるという考え)に対しては、多くの専門家が異を唱えています。(中略)

低レベル放射線に対する考え方の再検討をただちに日本から始めなければならないのではないでしょうか。今こそパラダイムシフト(既成概念からの劇的な変化)が必要なのです」。(服部禎男『「放射線は怖い」のウソ』「おわりに」pp126-7)

いやいや、服部氏自身が述べているように、「再検討」はすでに日本からたいへん活発に発信されてきたのだ。

「電中研の依頼で、1988年岡山大学がマウス実験をして、劇的なデーターが得られ、1989年から岡田重文(放射線審議会会長、東大医学部)、菅原勉(京大医学部長)、近藤宗平(阪大教授)ら20名以上の日本のこのトップ指導者を含む研究委員会を発足し、10以上の大学医学部、生物学部と共同研究を開始し、1990年から明快なデーターが世界の学術誌に発表されて、世界中に大きな衝撃を与えました。ガン抑制遺伝子P53の活性化、活性酸素の抑制酵素SODやGPxの増加、過酸化脂質の減少、膜透過性の増大(電子スピン共鳴測定)、インシュリンやアドレナリン、メチオニンエンケファリン、β-エンドルフィン、など各種ホルモンの増加、DNA修復活動の活性化、免疫系の活性、LDLコレステロールの減少など、次々と明快なバイオポジティブ効果が、哺乳類で検証されました」。

「東北大坂本教授は、すでに1980年代から、多くの研究経験から独自に低放射線の

全身照射に着目しておられました。悪性リンパ腫の患者さんに、従来法に併用して希望者に試行されたのが驚くべき結果をもたらしていることが解りました。100ミリシーベルトのX線を全身に、週3回を5週間、全部で15回合計1.5シーベルトを照射する方法です。坂本先生は150ミリシーベルトを週2回5週間、合計1.5シーベルト全身照射でも良いとされています」。(服部禎男「第26回日本東方医学会教育講演・放射線とホルミシス」配付資料)

こうした日本の動きに刺激を受けながら、欧米の専門家たちの間からもホルミシス論に傾く人々が増えてくる。「1992年、米国エネルギー省や環境庁の専門家をさそって、BELLE(BiologicaEffects of Low Level Exposures)を設立し、低レベル刺激によるポジティブ効果のニュースレターや定例専門家会議活動を開始しました」(同上)。続いて、NPO・Radiation Science and Health(RSH)が設立され、「WHOとIAEAに働きかけて、低レベル放射線の国際会議を開催させました」(同上)。

「1997年秋、600名以上の専門家がスペインのセビリヤに一週間集まり、低レベル放射線の問題はDNA修復活動を無視しては議論にならないことを主張する医学・科学者側と国際放射線防護委員会との激論が続き、極端な線量率の広島・長崎と低線量の身体影響、決定的な違いがあると指摘されました」(同上)。

日本の動向に話をもどそう。服部氏が原子力関係の研究をリードする電中研では、90年代に石田健二氏や、ついで2000年代に酒井一夫氏がホルミシス研究に力を入れてきたことは前に述べた。石田氏は服部氏と同じく、名古屋大学の工学部の出身である。また、まだ名前をあげていなかったが、後に岡山大学に移った山岡聖典氏も電中研でホルミシス研究の基礎を作った専門家である。だがこの動きは電中研に限られない。全国の研究機関にこの動きを広げていこうとする活動もなされていた。

その主要な担い手の一つが1989年に発足し、服部氏が委員長を務めた放射線ホルミシス研究委員会で、この問題の専門家であり、かつ有力国立大学の医学部教授を務めた菅原努や近藤宗平は放射線影響学・保健物理と医学をつなぐ地位にある大家である。彼らは、この後、「ICRP厳しすぎる」論の興隆・普及に大きな役割を果たしていく。

菅原努氏(1921年生)は京大医学部で医学を学んだが、その後阪大理学部でも学び、国立遺伝学研究所、放医研を経て、京大医学部放射能基礎医学講座の教授、京大放射線生物研究センター長などをいずれも初代として務めている。菅原氏は京大医学部を退任する前後に研究会を作り、アメリカ科学アカデミー(NAS)、アメリカ研究審議会(NRC)が設けた電離放射線の生物学的影響に関する委員会(BEIR)の1979年の報告書の(BEIRⅢ)の検討を行った。その成果は菅原努監修『放射線はどこまで危険か』(マグブロス出版、1982年)に刊行されている。この中身を見る限り、「ICRP厳しすぎる」論はほとんど見られない。

ところが、2005年に刊行された『「安全」のためのリスク学入門』(昭和堂)では、だいぶ様相が変わってきている。この書物は服部氏のようにホルミシス論を強く押し出してはいないが、議論の要となるところで紹介されている。

「放射線に限らないことですが、体の組織に大き過ぎない「攻撃」が加われば、組織の修復機能が高まり、かえって健康に良い影響をもたらすことが考えられます。有害物質も少量なら「刺激」となって体の活性化に役立つ、ホルミシスとはそういうことなのです。

さて、このホルミシスが本当なら「直線しきい値仮説」のグラフは、書き直さなければならないことになります。放射線の益によるがんの減少分を考慮すれな、グラフにはこれ以下なら放射線を浴びても大丈夫という「しきい値」ができ、「どんなに少量でも放射線は有害」という考え方はくつがえることになります。

今のところICRPは、これらの結果についても検討した結果「現在入手しうるホルミシスに関するデータは、放射線防護において考慮を加えるには十分なものではない」という結論を下し、90年の勧告での「少ない放射線量でもなんらかの健康に対する悪影響を起こすことがあると仮定しなければならない」という姿勢を変えていません。

ICRPは国際放射線防護委員会というその名の通り、まずは人々を放射線からどう守るかを考えるための組織です。そのため線量について極力慎重に考え、より安全な方へ見積もる考え方を出してくるのは、ある意味では当然のことです。

しかし実際問題としては、放射線を受けてがんが増えたという証拠は、100mSv以下では見られていないのです」。Pp86-7

この叙述はいちおうICRPの立場を尊んでいるようにも見えるが、科学的にはホルシミス論が有力でそちらが正しいのだという考えがにじみ出ている。読者にはそう受け取れるような表現になっている。なお、「放射線を受けてがんが増えたという証拠は、100mSv以下では見られていないのです」というのに反する証拠はいくつも提示されており、大いに反論を招くはずの議論である。

実際、菅原は松浦辰男との共同報告「被爆者の疫学的データから導いた線量―反応関係――しきい値の存在についての考察」(2002年)でしきい値あり説を主張している(放射線と健康を考える会HP(http://www.iips.co.jp/rah/spotlight/kassei/matu_1.htm)。この報告は、広島・長崎の被爆者の疫学調査を見直そうというものだ。

「低線量放射線被ばくによる発がんについて、線量-反応関係にしきい値があるかどうかという問題は、放射線防護と原子力政策決定に おける最も重要で、議論の多い問題の一つである。放射線影響研究所(RERF)によって、広島・長崎の原爆被爆生存者(以下、被爆者)に対して寿命調査 (LSS)が行われているが、現在、その研究グループの疫学的研究結果は最も信頼のおけるものとされている。その研究グループは、線量-反応関係には「しきい値なしの直線関係」(LNT)の仮定を否定する何の証拠もない、との見解をとっている。それに対して筆者らは、被爆者の受けた放射線量は慢性的被ばくの影響を考慮に入れて再評価することが必要だと主張してきた」。

どのような考察がなされたがは省略して、結論部分だけを引く。

「この結果から、発がんに関する現在の線量―反応関係はこの線量だけ右側に平行移動すべきであり、低放射線領域における発がんのしきい値は、約0.37Svであるといえる」。

広島・長崎の疫学調査からは、370mSv以下では健康への悪影響はないというのだ。これは広島・長崎の被ばくによる健康影響の評価としてはかなり特殊なものである。100mSv以下でも影響があったというデータ評価もできるので、LNTモデルが採用されているのだが、それよりだいぶ高い370mSv以下では影響がないとしている。菅原氏がホルミシス論に近い立場であることが知れる資料である。

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