日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(8) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?――

平成11年4月21日に京王プラザホテルで開かれた「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム――放射線と健康」は、放射線防護基準の引き下げを目ざした科学動向に勢いをつけようとするもので、電力会社をはじめとする原発推進勢力が後押しするものだった。科学者側でこの動きを先導したのは医学界というより、人口がさほど多くない保健物理(放射線影響・防護学)の学界の人々だった。1990年代から2000年代へと保健物理の学界では、ホルミシス論やLNTモデル否定論(しきい値あり論)が高い関心を集め優勢になっていった。懐疑的な科学者もおり、野口邦和氏、今中哲二氏らの声がないわけではなかったが、政府周辺の保健物理専門家からそうした声は排除されていた。かろうじて残っていた懐疑的な声が排除されたという点で、小佐古氏の内閣官房参与辞任はこの領域の専門家の狭さを象徴する出来事だろう。
だが、これは広い医学の動向を反映するものではまったくない。ホルミシス論やLNTモデル否定論(しきい値あり論)を強く唱えた科学者には大学医学部で教えた近藤宗平氏(阪大)や菅原努氏(京大)のような影響力の大きい少数の有能な存在はいた。しかし、こうした論者の説が医学界で科学的に高い価値をもつ有力説となったようには見えない。
 事実、福島原発事故発生後の放射線健康影響についての医学者の発言は、安全論と慎重論に分かれている。東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は東大の放射線管理全体の責任者という地位からも分かるように、放射線の健康影響に強い関心をもってきた医学者だが、放射線被ばくの影響を軽視すべきでないという立場から発言し、注目された(児玉『内部被曝の真実』幻冬舎、2011年9月、一ノ瀬正樹他『低線量被曝のモラル』河出書房新社、2012年2月)。児玉氏はすでに2010年に刊行された金子勝氏との共著(『新興衰退国ニッポン』講談社)で、「他の国では100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンに、4000人以上の子供が次から次へと罹患しているにもかかわらず、世界から集まった研究者は、「この地域での甲状腺ガンの発生とチェルノブイリの事故の関係を示す証拠はない」としか議論ができなかった」(p.8)と述べていた。
 児玉氏が内部被曝への楽観論に対する批判の論拠としてあげた福島昭治氏(日本バイオアッセイ研究センター所長、元大阪市立大学医学研究科長、病理学)らの「チェルノブイリ膀胱炎」の研究について、放射線医学総合研究所は「尿中セシウムによる膀胱がんの発生について」という無記名の批判記事を掲載した。福島氏はセシウムによる内部被曝で膀胱がダメージを受けており膀胱がんの多発に関わっている可能性が高いとしたのだが、これを否定したものだ。福島氏はこれに反論し、「『リスクはない』と否定するよりも、そのリスクを軽減する努力が大事なのです」と述べている(『サンデー毎日』2012年3月25日号)。個人的に教示を受けた文書だが、東京大学医学部病理学教室の石川俊平准教授も放医研の批判は危ういものであり、福島氏らの研究には十分な意義があると述べている。
 放射線医学の専門家からも楽観論を主張する著作と、リスクにしっかり対処すべきだとする著作や文章が競い合って公表されている。後者には、西尾正道氏(国立病院機構北海道がんセンター院長)の『放射線健康障害の真実』(旬報社、2012年4月)、近藤誠氏(慶応大学医学部放射線科講師)の『放射線被ばくCT検査でがんになる』(亜紀書房、2011年7月)、平栄氏(武蔵大和病院放射線治療科)「低線量被曝の時代を生きる子どもたち――第30回日本思春期学会総会学術集会教育講演」(『思春期学』30巻2号、2012年)などがある。上記3人の医学者はいずれも積極的にがんの放射線治療に携わって来た臨床医であり、放射線治療の有効性を十分に認めた上で、放射線リスクを軽視すべきでないという立場から原発事故による低線量被ばく問題を論じており、多くの臨床経験を踏まえた論述に説得力がある。
 近藤氏は「原発事故による被ばくQ&A」という章で、「「少しの被ばくなら心配ない」という専門家のことばを信じてよいでしょうか。専門家情報をどのように受け止めればいいですか?」との問を設定し、まず「心配するかどうかは本人の自由だから、専門家が「心配ない」というのは僭越ではないか」と述べた上で、安全論の危うさを指摘し、100mSv以下でも「発がん死亡リスクの上昇が認められているのですから、その言明はウソになっている」という。
  「このように専門家が口々に言うウソが、内容においてあまりに一致しているので、気味が悪くなるほどです。多様な意見があってしまるべき学問の世界で、これほど同じウソが横行する背景には、少なくとも二つの事情があるでしょう。
  一つは、仮にテレビに出た専門家が、低線量被ばくのリスクについて正確なところを話したらどうなるか。視聴者はパニックになりかねない。混乱や非難を恐れるテレビ局にとって、視聴者に安心感を与える専門家は重宝な存在なのです。
 第二の事情は、原発推進派や電力会社がこれまで周到に用意してきた種々の仕掛けが、この緊急時にうまく働いているのです。その仕掛けの一端として、たとえば「低線量被ばくは問題ない」と発言してくれる専門家を囲い込む(100頁参照)。専門家がいる大学に巨額の研究費を流し込み、大学退職後は、「原子力安全研究協会」などのポストで処遇する(101頁参照)。そのようにして、何か原子力関係の緊急事態が生じたときに、都合のよいことを言ってくれる専門家たちをそろえておいたのです。」
 上記の指摘は、私のこの連載のこれまでの叙述から引き出せることでもあり、よく納得できる。次の指摘も同様である。
 「こうして少なからぬ数の専門家が、「100ミリシーベルト以下は安全だ」と言い出すと、それまで中立だった専門家まで感化されてしまう。
 この点たとえばテレビ番組に頻出した中川恵一氏が、「原爆の被害を受けた広島、長崎などのデータなどから、100ミリシーベルト以下では、人体への悪影響がないことは分かっています」とまで述べていたことは前述しました(24頁参照)。ただ、彼の名誉のためにいうと、原発関連企業から研究費をもらっていたとは思わない。原発事故が生じるまで、中立的な意見だったのでしょう。しかし、被ばくリスクに関して初歩的ミスを犯している(30頁参照)ところからみて、普段からリスクについて調べていたとは思われない。テレビ出演依頼を受けた後、にわか勉強をしたところ、それまで(原発企業寄りの)専門家たちがあちこちに張り巡らしておいた「100ミリシーベルト以下は安全だ」という言説の網に引っかかってしまったのだろうとみています。」p.208-9
 中川恵一氏の場合は、毎日新聞、週刊新潮などのマスコミとかねてより深い関係があり、がんについての著述が多く、がんリスクや放射線に関わる医学啓蒙家として自認するところがあったので、急ぎ安全論の陣営に与することになったというのが実情だろう。2011年の3月以来のツイッターでの発言が多くの批判を招いたのは、にわか作りの専門家ということが大いに関わっているだろう。
 実際、医学系で安全論の方に傾く論の提示者は、舘野之男氏、中村仁信氏、遠藤啓吾氏、佐々木康人氏、神谷研二氏、山下俊一氏等、原子力や放射線に関わる政府関係の職務を経験していることが多い。放射線医学総合研究所や放射線影響研究所に関わってきたこと、酒井一夫氏が兼務しているようなさまざまな審議会・委員会等(この連載の(2)参照)に関わってきたことがその特徴だ。たとえば、首相官邸原子力災害専門家グループのメンバーはhttp://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka.html 保健物理系の研究者は含まれず全員医学者だが、すべて政府・省庁と密接なつながりがある人々だ。そして、放射線治療の現場に深く関わって重要な業績を生み出してきた人はほとんど見られない。
 これらの人々の発言は、上記のホームページで知ることができるが、低線量被ばく問題についてまとまった叙述を公表していない場合が多い。多くの場合、住民への放射線の健康影響の問題は自らの専門研究領域とは別の領域だからである。たとえば、首相官邸原子力災害専門家グループには属さないが、福島原発災害後、同様の役割を果たしてきた放射線医学総合研究所理事長の米倉義晴氏はどうか。
 国会での同氏の発言については、連載の(2)で紹介したが、では、米倉氏はどのようにして原発による放射線健康影響問題に関わるようになったのか。米倉氏が放医研理事長となったのは2006年だが、その前後に政府が関与する原子力・放射線関係の要職に次々に就任している。原子放射線の影響に関する国連科学委員会日本代表 (2007-)、国際放射線防護委員会(ICRP)第3専門委員会委員 (2005-2013)、原子力安全委員会専門委員 (2006-2011)などである。では、それ以前はどうか。
 同氏は95年に京都大学から福井医科大(現福井大)に移り、同大高エネルギー医学研究センター長として、放射線を使った画像診断PETの研究・普及に力を尽くした。その一方で同氏は原発推進機関との連携を深めていく。関西電力、北陸電力、日本原子力発電、日本原子力研究開発機構、福井県の5者が資金を提供する若狭湾エネルギー研究センターと協力したり、関電病院で行われた関西PET研究会の座長を務めてきたことは連載の(2)でも触れたとおりだ。政府関係者や原発推進勢力が有力な放射線医学者に近づき、原発推進に協力する立場に引き込んでいった経緯が見て取れる。
 このようにアカデミックな経歴が終わる時期に、原発推進機関や政府官庁と関わりを深め、原発に関わる放射線医学の専門家として高い地位を与えられる医学者、とりわけ放射線医学者が目立つ。研究者として低線量放射線の健康被害というような学問分野に関わってきたわけではないのだが、政府関係機関に関わるようになって(あるいはその準備段階で原発推進関係機関に関与するようになって)から、そのような発言をせざるをえなくなる。(好んでするようになる。)だから、この分野のまとまった著述がないのも肯ける。公衆衛生と疫学の専門家として、あるいは甲状腺の専門家としてこの分野に関わってきた重松逸造氏(元金沢大学医学部教授、元放影研理事長)や長滝重信氏(元放影研理事長、元長崎大医学部教授)のような専門家とは異なり、専門研究者としての素養は乏しいのだ。
 そうした中で、原爆や核実験や原発事故等の低線量被ばくによる放射線健康影響について積極的に言及している放射線医学の専門家の著作には、中川恵一氏による『放射線のひみつ』(朝日出版社、2011年6月)、『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』(KKベストセラーズ、2012年1月)の他に、舘野之男(元千葉大医学部放射線部長、元放医研臨床研究部長)『放射線と健康』(岩波書店、2001年)、中村仁信(阪大医学部放射線科教授、元国際放射線防護委員会(ICRP)第3委員会委員)、『低量放射線は怖くない』(遊タイム出版、2011年6月)などがある。では、それは専門家らしい信頼に値する内容をもつものだろうか。
 ここでは、中村仁信氏の対話形式の著作から興味深いやりとりを引く。中村氏への質問者がA、Bと2人いる。
 「A でも、それでも100ミリシーベルトで1%の人が発症しているのだから、100ミリシーベルト以下だからといって安心できないのではないでしょうか。1億人が90ミリシーベルト被ばくした場合だったら、90万人がガンになるのでは。」
 「中村 そいういう計算をしてはいけないと言ったじゃないですか。しきい値なし説だったら計算上そなります。急性被ばくの場合ですよ。それがしきい値なしの怖いところでもあります。実際、100ミリシーベルト以下は不明なのですから。
 それに考えてください。1%以下のリスクです。現在では日本人の約30%がガンで死んでいるんですよ。30%と30.9%の差はさほど大きくありません。」p.66
 子どもの発がん(がん死でなく)の割合であれば、どの程度増えるのか。私ならそう聞いてみるところである。だが、ここで「しきい値なしの怖いところ」と言っているのは注目すべきだ。がん死率を平常のがん死率と比べるのはよいが、実数を計算するのはよくないという。だが、「そういう計算をしてはいけない」理由もよく分からない。もっと驚くのは次の一節だ。
 「B放射線を怖がりすぎる必要はないということはよくわかりました。では、 被ばくを減らす努力は必要ですか。先生ご自身はあまりそういう努力はしておられないようにお見受けしますが。」
 中村「これまた、すごい指摘ですね。とても大事なポイントです。100ミリシーベルト以下は健康被害なしだったら、わずかな放射線など防護する必要はないと思われるかもしれません。しかし、そうではありません。繰り返しますが放射線は活性酸素を生み出します。特別なものではありません。多くの原因で出る活性酸素の影響と合算されると考えてください。放射線が少なくてもガンになりますから、ストレス、タバコなどで生体防御がっぎりぎりのところからもしれないのに、意味もなく放射線を加えることはないでしょう。そういう意味で、すごい量の活性酸素が出るのに平気でタバコを吸ってる人がわずかな放射線を怖がっているとしたら滑稽ですね。
 前半はここまでです。私自身、被ばくを減らす努力を怠っているわけではありません。長い間、放射線を管理する立場でしたしね。でも本音では 被ばくにそんなに神経質にならなくても、と思っているんですが、その理由は次章で。」P.83-4
 何が「すごい指摘」なのだろうか?当たり前の質問ではないか。それについて中村氏は答えられているだろうか。できていない。「その理由は次章で」とあるが、その章は「放射線ホルミシス」と題されている。「しきい値なし」説に立てば、低線量被ばくは「怖い」のであり、しっかり対策をとるべきなのだ。中村氏は放射線ホルミシス説が妥当であり、「しきい値あり」と信じているから、「神経質にならない」らしい。しかし、それを表に出しては言えないのだ。
 年齢が高く、またそれ相応の経歴をもつ医学研究者を放射線健康影響問題の責任者に抜擢する仕組みは、放医研の設立と深く関わっている。1957年に放医研が設立されたときから、政府直属、旧科学技術庁直属だったこの科学研究機関がもつ問題が継続している。これについては、塚本哲也『ダンと戦った昭和史――塚本憲甫と医師たち』(上・下、文藝春秋、1986年、文春文庫版、1995年)、『放射線医学総合研究所20年史』科学技術庁放射線医学総合研究所、1977年、『放射線医学総合研究所50年史』http://www.nirs.go.jp/publication/50th/index.shtml 、また、堀田伸永氏のウェブサイトhttp://kyumei.me/ などに多くの資料があり、別途、検討することにしたい。 1980年代以降について検討してきたが、さらに時期を遡って検討を深める必要がある。
 以上、見てきたように、低線量被ばくは安全だという論は、原発開発の権益や政策と関わって形作られてきたものであり、科学的にも公共的な言説としてもたいへん危ういものだった。こうした言説の形成史をたどると、1980年代以来、とくに日本でこの種の論が強く育成されてきたという事実が明らかになる。福島原発事故後の政府に近い立場の放射線の専門家の発言が、未だに分かりにくいままであり、人々の不信を買い、多大な混乱を招き続けて今に至っている主な理由は、放射線専門家の偏った言説と、それが招いた信頼喪失にあると言わざるをえない。
 国民生活に深く関わる問題についての専門家の信頼喪失という、このような事態が生じた理由を問い直し、今後の改善の道を探ることは、人文社会系を含め、広く科学・学術に携わる者に課せられた重い課題である。
(結:この連載はここで終わります)

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