中川保雄『放射線被曝の歴史』に学ぶ(2)

同書のまとめの章である第11章のp195~232のうち、「現在の被爆問題の特徴」p204~213の項を抜粋・要約します。1991年5月10日に病没した著者が、死の床で力を振り絞って調べまとめた内容と推測します。引用箇所は「 」で括ってあります。なお、別に同書の初めの方から私のツイッターでも紹介しています。まとめて下さった方がおられます。http://togetter.com/li/166721 ご参照下さい。

五、1990年前後の状況――重大事故のリスクp204~

被曝の危険がますます顕在化してきているが、それには2面がある。

(A)まず第一に、原発の重大事故は避け難い。原発重大事故に際しては、膨大な量の放射性物質が環境中に放出され、きわめて多数の放射線被害者を生み出す。以下、スリーマイル島とチェルノブイリの原発事故の被害規模の叙述。

「これら二つの原発重大事故から引き出され放射能汚染の特徴は、(1)少なくとも原発から100キロないし数百キロの地域が放射能で汚染され、その被害を免れることはできない。(2)たとえ放射性希ガスを主とする放射能放出ですんだとしても、もっとも弱い赤ん坊たちの死亡の増大、障害の増大となって被害が現われ、やがて小児性白血病、小児ガンの増大や成人の白血病、ガンの増大となって現われる。スリーマイル島事故の場合、およそ1億キュリーにのぼる放射性ガスが環境中に放出されたが、その放射能が流れていった、原発から100キロメトルを超える地域においても、事故後乳幼児死亡率が増加したことが報告されている。保健当局は乳児死亡率の増大を否定しているが、彼らが発表した資料に基づいても、たとえば、16キロメートル圏内の乳児死亡率の増大は否定し難いのである」。(中略)

「チェルノブイリ事故の調査については、現在国際原子力機関を中心として実態調査が進められつつある。日本政府と放射線影響研究所(RERF)はそのような調査を含めて、チェルノブイリの被害の調査に協力しようとしている。しかし、原子力発電を推進する機関であるIAEAが行うそのような調査は、本書で明らかにした広島・長崎の原爆被害者に対するアメリカ軍合同調査委員会や、ABCCによる調査と似た面を持っていることを指摘しなければならない。放射線被害を過小に評価しようというバイアスが最初から働いているということを、見ないわけにはいかないのである。チェルノブイリ事故というような重大事故が起き、膨大な放射能が放出されても被害は大したことはないという結論を引き出すことにあると推測できる」。

六、1990年前後の状況――核施設周辺での日常的被害(イギリス)p207~

(B)「第2に現在の被曝問題の特徴として指摘しなければならないのは、核処理工場など核施設の日常的な運転によって、その周辺地で被曝の被害が全世界的に顕在化し始めているということである。その典型的な例を、もっとも早くから核開発を進めてきたアメリカ、イギリスに見ることができる」。

【イギリス】

「まずイギリスの例を見てみよう。イギリスのセラフィールド核再処理工場周辺地の住民の間で、小児白血病がイギリスの平均の10倍もの高率に上っていることが、1983年以後世界的に広く知られるようになった。小児白血病、小児ガンが多発しているという事実そのものは、原発推進派の種々の調査、報告においても否定することはできず、その原因をめぐって種々の議論が展開されてきた。しかし、1990年のガードナー調査が発表されて以後、その原因がセラフィールド再処理工場での放射線被曝にあるということは、いよいよ否定しがたいものになっている」。

(注)以下のサイトも参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/kasikoigretel/25194007.html

「イギリスの場合につぎに指摘しなければならないことは、そのセラフィールドはもちろんのこと、イギリス中の核施設や原発の周辺地で白血病が多発していることである。たとえば、人口統計調査局が1959年から1980年までの間に24歳以下のリンパ系白血病がイギリスの15核施設周辺で倍増しているということを発表したが、その他種々の調査においても、白血病やガンが多発していることが最近明らかになってきた。放射線被害は現在までの期間が短い白血病、また放射線に敏感な小児にまず現れてきているが、広い年齢層に、また白血病以外の種々のガンにも広がりつつあるということが明らかになってきた。」

「島国イギリスということで、あと一つ指摘しなければならないことは、セラフィールド周辺地をはじめとして各地で、魚介類の放射線汚染が深刻になりつつあるという事実である。セラフィールド周辺での白血病多発がよく知られるようになってから、当局は、セラフィールド工場からの放射能の放出量が1970年代後半以後ずいぶん減少したと宣伝している。しかし、海水の放射能汚染、あるいは、魚介類の放射能汚染は減少しているわけではない。たとえば、セラフィールド海岸部でとれるスズキは、1988年のデータによると、放射性セシウムが1キログラムあたり90ベクレルの高さにおよんでいる。」

七、1990年前後の状況――核施設周辺での日常的被害(アメリカ)p209~

【アメリカ】

「エネルギー省関係の核施設は、アメリカの場合100を超えるが、そのなかの代表的な核施設は、プルトニウム生産用の原子炉や核再処理施設を持つハンフォード、原子炉が立ち並ぶサバンナリバー、ウラン濃縮施設が並ぶフェルナルド、プルトニウムを扱うロッキーフラッツ、核兵器組立などの施設や研究所を抱えるロスアラモスやオークリッジなどである。これらの核施設の中で働く原子力労働者の被害はもちろん、周辺地域の放射能汚染についても、アメリカ原子力委員会と、それを引き継いだエネルギー省は強く否定してきた。しかし、チェルノブイリ原発事故以後、放射線被曝の危険性に対する住民の不安は高まり、これらの施設についても放射能汚染を問題にする声が一気に高まった。過去30年間の事故と放射能汚染の隠ぺいが、チェルノブイリ事故によって一気に表面化したのである。」

「周辺住民たちは情報公開法を活用して、たとえばハンフォードの場合、1940年代末から1950年代のはじめに大きな放射能放出事故があったことを明らかにした。また、サバンナリバーでは、燃料棒が溶融するという重大事故が発生していたこと、あるいはフェルナルドのウラン濃縮施設においては1952年から1984年の間に、大気中に放出されたウランの量がおよそ95トンにのぼり、海水中にも74トンのウランが放出されていたこと、また、敷地内におよそ5000トンのウランが廃棄されていたことが、当局によって明らかにされるに至った。」

当局は方針を変更し、次の措置をとった。(要約)

①    核施設周辺の除染

②    核施設で働く労働者の疫学調査と結果公表の約束

③    ハンフォードの住民被害を認め被曝線量の評価を行うとの表明

④    60万人に及ぶ労働者たちの放射線被曝データを集約整理しエネルギー省以外の研究者が利用できるようにするとの約束。

八、1990年前後の状況――アメリカの政府・エネルギー省への批判の高まりp211~

「では、エネルギー省にそのような政策変更を余儀なくさせている原因は何であろうか。重要なことなので、ここであらためて考えておこう。第1に、周辺住民の間に放射線被害が目に見えて現れており、そのことに基づき、住民たちが多種多様な運動を展開していることである。」(中略)

上記④に見られるように、エネルギー省はデータの利用をアメリカ科学アカデミーに委ね、他の人たちが利用しにくいようにしているが、住民側に立つ研究者がオープンなデータ利用を求めている。「このデータ利用をめぐる闘いは、マンキューソ報告以後の長い闘いを引き継いだものであることを忘れてはならない。マンキューソたちは、この機会を利用して新たな調査結果を引きだそうと努力している」。

注)トーマス・マンキューソ(Thomas Mancuso)はハンフォードの住民の被害を明らかにする研究を10数年継続し、1975年に原子力委員会から研究費を打ち切られた科学者。ICRPの10倍の被害があるとの結果を1976年に発表。P150~151。以下のサイトも参照。http://www.anatakara.com/petition/killing-our-own.html

第2に指摘しなければならないことは、エネルギー省の核施設で働く労働者たちの間で、放射線障害が顕在化し、そのことに基づいて労働組合がエネルギー省に強い要求を出し始めている点である。」

(以下は要約)たとえば、1989年8月には「放射線が健康に及ぼす影響に関するエネルギー省の研究計画とエネルギー省施設における上院政府活動委員会」の公聴会では、労働者の立場を代表する人々も証言台に立った。

「国際化学石油労働者組合の代表は、労働者たちに対するいわゆる許容線量値が高すぎること、しかも科学的にも間違った時代遅れのものとなっていることを指摘し、最新のリスク評価に基づいて、線量値の10分の1以下への引き下げを決めるように強く要求した。」

「また、核施設周辺住民をかかえる国会議員は、住民たちの不安を無視できなくなっており、そのことを反映して、米議会技術評価局が1991年はじめに、「複雑な清掃・核兵器製造の環境的遺産」と題する報告書を出した。この報告書は、米エネルギー省は大衆の信用をえていないと批判している。」

九、1990年前後の状況――アメリカでの環境汚染と廃炉を求める住民運動p211~

カリフォルニア州の州都サクラメント近くのランチョセコ原発は、1989年6月に住民投票で閉鎖が決定された。

「ランチョセコ原発は1974年に運転を開始した出力92万キロワットの加圧水型炉で、決して古いとは言えぬ原発であった。しかしランチョセコは、運転開始から事故続きの札付きの原発であった。事故の多くは蒸気発生器細管の破損であった。ジャーナリズムはほとんど報道しなかったが、その蒸気発生器細管事故によって、放射能汚染は深刻な状態となっていた。たとえば、周辺地の土壌では放射性セシウム濃度は1キログラムあたり4000ベクレルにも達していた。周辺地でとれる野菜も、放射性セシウム濃度は1840ベクレルというひどい状態であった。……このような放射性汚染の広がりが、住民たちの不安を高め、広げ、その結果「安全なエネルギーを求めるサクラメント市民の会」を初めとする住民たちの運動が広がり、住民投票による閉鎖決定へと発展したのである。」

「……周辺住民の間での白血病など放射線被害が顕在化しはじめた原発も現れはじめている。マサチュセッツ州にあるピルグリム原発がそのひとつである。この原発では、1974年から76年の間に放射性のヨウ素131が、四半期の間に0.5~1.5キュリー、他の放射性物質が5000~15000キュリー漏れる事故が起きた。事故後放射性の気体が流れたプリマス地域では、乳児死亡率が平均の1.7倍に増加し、また先天異常の発生も平均の1.8倍に増加したことが見いだされている。この結果、ピルグリム原発の閉鎖を要求する声が高まっており、同様に運転中の原発の閉鎖を求める運動は、ターキーポイント原発やナインマイル原発1号炉、ピーチボトム原発、ブラウンズフェリー原発などへも拡がっている。」

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