日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(3) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?――

「低線量被曝は安全でありむしろ健康に良い」ことを示そうとする企てを原子力関係の諸組織や電力会社がバックアップして進めて来たことは、1999年4月21日に、東京の新宿京王プラザホテルで開催された「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム―放射線と健康」を見ることでよく分かる。こうした動向の推進組織の1つとして電力中央研究所(電中研)があるが、2000年代に入って、電中研で「低線量被曝は安全でありむしろ健康に良い」ことを示すための研究の中心になって来たのが、1999年に上席研究員となった酒井一夫氏である。彼はその後、2006年に放医研の放射線防護研究センターのセンター長となり、福島原発事故以後は政府周辺のさまざまな委員会で大活躍している(以上、(1)(2)の要約)。

だが、電中研の「低線量被曝は安全でありむしろ健康に良い」ことを示そうとする研究は酒井氏が始めたものではなく、彼以前にそれを推進してきた科学者たちがいた。その一人に石田健二氏がいる。2000年代の電中研はこの分野の研究を石田健二放射線安全研究センター長、酒井 一夫副センター長という体制で進めていこうとしていた。

石田健二氏は名古屋大学原子核工学専攻を1971年に卒業後、電中研に入所。2000年低線量放射線研究センター長、放射線安全研究センター長を経て現在は顧問となっている。石田氏がホルミシス研究に深く関わっていく経緯は、『日経サイエンス』2008年4月号(4月25日発行)の「低線量放射線研究のパイオニアとして科学的知見を蓄積」(夢を技術に――CRIEPI SPIRIT)という記事を見るとおおよそが分かる。その書き出しは以下のようだ。

「「高線量の放射線は生物に害を及ぼすが、ごく微量ならば生命活動を活性化する」――1982年アメリカのラッキー博士は、毒物も少量であれば体に有益とするホルミシス(ギリシア語で「刺激する」)効果が放射線にもあては まることを発表した。/電中研ではこの研究に注目し、1988年わずか3名で低線量放射線の研究を開始、早くも1990年には、動物実験によって、低線量放射線照射が、免疫機能の亢進、老化を促す活性酵素を消去する酵素(Super Oxide Dismutase:SOD)の増加という、2つのホルミシス効果をもたらすことを突き止めた。」(中略)

「電中研では得られた成果の上に、医学研究者などを交えた研究で奥行きを持たせたいと思い、国内の研究機関に“オールジャパ ン”による連携を呼びかけた。1993年には、京都大学、東京大学など14機関の参加を得て、老化抑制効果、がん抑制効果、生体防御機構の活性化、遺伝子 損傷修復機構の活性化、原爆被災地の疫学調査などについて共同研究プロジェクトが開始された。現在は放射線安全研究センター所長である石田健二氏は、「放射線は悪いことばかりで、今さら研究すべきことはないと言われていた時代に、電中研が刺激を与えたことで日本の低線量研究が活性化した」と振り返る。」

なお、放射線影響・防護研究は医学者に人気がある領域ではない。生物学者、化学者、物理学者、工学者らが「保健物理」といった領域を作って結集しているが、医学者はあまり含まれていない。社会的に力をもつには医学者をも巻き込むことが必要なのだ。

実際、電中研はこの分野で全国の大学と共同研究を組織している。『電中研レビュー』第53号には連携パートナーとして以下の諸研究機関のリストが示されている(pp.13-14)。東大、京大、東北大、名大、大阪府立大、長崎大、岡山大、奈良県立医大、大阪市立大、愛媛大、京都教育 大、横浜市立大、東京歯科大、東邦大、産業医大などだが、医学系がおおかたを占めている。

そして目指すのは、ICRPに働きかかけて放射線防護基準を緩めることだ。この記事のリード文は以下のとおりだ。

「電中研は、日本における低線量放射線研究のパイオニアとして、1980年代から、放射線が生体へ与える影響の検証に取り組んでいる。2000年には理事長直轄の組織として狛江に低線量放射線研究センターを立ち上げ、国内の学術機関とも連携しつつ、主に生物影響について科学的根拠を求めるための研究に本格的に着手。2007年には工学系の研究者も加わって、放射線安全研究センターへと発展させ、生物影響についての研究成果を基に、より合理的な放射線防護体系の構築を目出した挑戦が続けられている。」

「より合理的な放射線防護体系」とはより緩やかな防護基準により、原発の安全のためにかける費用が引き下げられるので「合理的」という意味である。2つの研究領域がある。1つはヒト研究で、世界各地の自然放射線が高い地域のデータから悪い影響は出ていないことを示すことだ。

「……自然放射線レベルが世界平均の3倍以上という中国南部の揚江市の住民約9万人の疫学調査から、対照群との間にがん死亡の有意な増加はないこと、被ばく線量に依存して染色体異常の増加は見られたが、増加したのは不安定染色体異常であり、細胞は分裂前に死に至るため悪性疾患の増加には結びつかない、といった結果を得ている」。

もう1つの領域は動物実験だ。

「1999年には日本では初めてという、低線量X線を長期照射する本格的な設備が設置された。発がん物質を投与後、非照射の対照群では200日を過ぎると約90%に発がんが見られたが、連日1.2mGy/hrを照射した群では、発がんは有意に低下していた。また、トータルな線量は同じでも、極低線量を長期に照射した場合には、発がんが抑制されるとのデータも得られ、ヒトでの調査結果を裏付けるものとなった」。

また、糖尿病や重症自己免疫疾患をもつマウスへの照射実験でも寿命の延伸等のポジティブな効果が観察されたという。こうした研究成果は世界の放射線防護基準の再考に役立つものだと石田氏は言う。

「石田氏は、「線量率が低ければ生体に影響がないと解明できれば、より合理的な放射線管理につなげられる」と述べる。電中研の成果は論文としてまとめられ国際放射線防護委 員会(ICRP)や原子放射線に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が防護基準を改定する際の基礎データとして反映することも視野に入れている。「ヨーロッパ主導で過剰な防護基準に改定しようとの動きがあるが、それには科学的な根拠はないことを、将来的にはアジア諸国と連合していきたい」と意欲的だ」。

以上が『日経サイエンス』2008年4月号に掲載された、石田氏へのインタビューに基づく記事の概要だ。石田氏の研究目標を確認する傍証として、同氏の日本技術士会2008年7月例会レジュメhttp://www.engineer.or.jp/dept/nucrad/open/resume/200807kou… も参照しておこう。

「放射線は、微量でも人体に悪いというのが定説だが、生物には放射線の悪い影響を緩和する生体防護機能が備えられている。100~200mSvの低線量放射線においては、 講演者が知る限り、身体的な障害を示す事例の報告は見当たらない。それよりも、逆に、生理的に有益な効果(ホルミシス効果と呼ばれる)を生じる場合がある。本講演では、①発がん抑制、②老化抑制、③生体防御機構活性に注目して、ヒト、動物、および細胞・分子のそれぞれのレベルでこれまでに得られた研究の成果を紹介し、放射線の影響は量によって違うことを主張する」。

以上、主として電力会社が出資する電力中央研究所(電中研)が主軸となり、1980年代末からアメリカの動向などもにらみつつ、低線量放射線の健康への悪影響は少なく、むしろ良い影響が大きいということを示そうとする研究が精力的に行われてきたことを見てきた。この動きを代表する2000年代の研究者は、電中研の石田健二放射線安全研究センター長、酒井 一夫副センター長だった。

では、主に理学部、工学部の出身者が構成する保健物理とよばれる分野の学者たちのこうした努力と、医学者が主体の放射線総合医学研究所(放医研)の研究動向とはどう関わりあうのだろうか。

酒井一夫氏が電中研から放医研に移り、放射線防護研究センター長となったことからも知れるように密接な関係がある。放医研にも「ICRP厳しすぎる」説を積極的に説き、それを裏付けるための研究に力を入れてきた研究者群がいる。その多くは、保健物理の専門家で生物学的な研究を行ってきた人々である。1969年から93年まで放医研に在籍した佐渡敏彦氏や、1989年から放医研に在籍する島田義也氏が、その中でも外部に向けて発言する声の大きな人たちである。この両氏の研究分野や発言内容については次回(「日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯」(4))以降で述べるつもりだ。

では、放医研のその他の専門家、とりわけ医学者はどうか。たとえば、現在の放医研理事長である米倉義晴氏はどうか。福島原発事故以降、低線量被ばく問題で政府周辺で度々発言している米倉氏だが、この分野は同氏の研究領域ではない。同氏は放射線画像診断の専門家で、医療被曝には大いに関心を抱いていたはずだが、原爆や原発に関わる放射線被ばくについては放医研理事長に関わる前後から関心をもたざるをえなくなったと考えられる。そしてそこには、原子力関係者や電力会社の関与があったようだ。

『サンデー毎日』2012年2月26日号によれば、米倉氏は1995年に京都大学から福井医科大(現福井大)に移り、同大高エネルギー医学研究センター長として、放射線画像診断装置PETによる研究に尽力した。そうした経緯から2004年4月には「関西PET研究会」が大阪市で開かれ、医師、技師ら約150人が集まっている。主催は関電病院であり、講演者として阪大教授のほか、関電とその子会社の担当者が登壇した。薬品会社がスポンサーとなっている医学系の研究会と同様にやり方だ。この会は2005年まで5回の会合を開いている。米倉氏が放医研理事長となるのは2006年である。

『サンデー毎日』2012年2月26日号は、福井医大(福井大)在任中に米倉氏は若狭湾エネルギー研究センターとも共同研究を行っていたことを報じている。「米倉氏が指摘するように、同センターの理事15人には、日本原子力発電の関連会社「原電事業」社長、日本原子力研究開発機構理事、元経産相中部経済局部長、北陸電力役員らが名を連ね、事務を取り仕切るのは、原発施策を強力に推し進めた県の」元原子力安全対策課長」だという。

以上のような経緯が放医研理事長就任以後の米倉氏の言動とどう関わっているかはよく分からない。しかし、2011年8月3日第177回国会の文部科学委員会第16号http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/177/0096/1770803009… で米倉氏が参考人として述べた見解は大いに注目すべきものだ。

そこで米倉氏はICRPが是としているLNTモデルにふれている。氏は「一般に、百ミリシーベルト以上の線量では、線量に比例してがんのリスクが増加するというふうに考えられています。ところが、百ミリシーベルト以下の低い線量では、この関係は明らかではありませ ん。そこで、閾値なし直線モデルという考え方が提唱されました」とした上で、次のように述べている。

「現在の放射線影響に関する国民の方々の漠然とした不安は、この直線モデルの立場に立って、どんなに低い放射線の被曝を受けてもがんなどの生物影響のリス クがあるという立場の情報と、低線量領域での一定水準での生体防御機能を認める立場からの情報が入り乱れて社会に発信されていることから来ているというふうに考えております。
それでは、この低い線量領域における生物影響の有無とそのメカニズムをどうすればいいのかということが大事な問題ですが、残念ながら、先ほども言いまし たように、このメカニズムはまだ解明されていないということで、私ども放医研が継続的に取り組むべき難しい課題の一つだと認識しています。
実際に、チェルノブイリ事故の際に、非常に低い線量まで考えて予測された膨大ながん死亡率というのがマスコミ等に出ました。ところが、現実にはこれが観察されていないということは、直線モデルが必ずしも実際の健康影響を反映するものではないということを示す状況証拠の一つでもあるかなとも考えられます。」

要するに、ICRPが掲げているLNTモデル(直線しきい値なし)を否定する方向の安全論を示唆しているのだ。「メカニズム」云々は佐渡俊彦氏や島田義也氏の研究領域に関わる。次回は、まず、これら放医研の発がん研究分野の研究者について述べていきたい。

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