放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(3) ――「安全・安心」という言説

 放射性物質が福島県を初めとして東日本の広い範囲に飛散し、多くの住民が放射能の健康被害を懸念したとき、ひたすら「直ちに健康に影響はない」「安心しなさい」「不安をもってはいけない」と唱える専門家がいた。政府寄りの放射線専門家たちだ。彼らの提供する情報が、3.11後の困難に直面している多くの日本人の力にならなかったことは、多くの人が認めている。どうして専門家はそのような言い方に固執したのか。それは3.11以前からそのような考え方に親しみ、同様の情報発信を続けてきたからだ。原発の安全性を説く言説の一部として、放射能の健康影響はとるに足りないとする言説が強力に展開されていた。
 日本人はリスク認識が劣っているという言説が広められていたことはすでに述べた。もう1つの言説はこのようなものだ。――「安全」なのに「安心」できない人たちが多い。だから、「安全」とともに「安心」をも得るような政策が必要だ。このような言説も広められていた。別の言い方をすれば、国民の誤ったリスク認識による「不安」を「安心」の方へと誘導しなくてはならない。要するに国民の心を味方につけなければならないので、そのためにお金をかけ、人員を投入しなくてはならないとするものだ。
 分かりやすい例として、2001年に創設された「安全・安心科学アカデミー」(2011年までは「安心科学アカデミー」)という特定非営利活動法人のホームページを見てみよう。ここには核融合科学研究会の委託研究報告書「低線量放射線の健康影響に関する調査」(2003年)が掲載されている。著者は、近藤宗平 (大阪大学名誉教援)、米澤司郎 (大阪府立先端科学研究所放射線総合科学研究センター教授)、斉藤眞弘 (京都大学原子炉実験所放射線管理学分野教授)、辻本忠 (財団法人電子科学研究所専務理事)の4人の放射線健康影響・防護の専門家である。この報告書の序章は「放射線を正しく怖がろう」と題されており、次のような小見出しの下で叙述が続く。
 「放射線の発見」
 「X線生物作用の古典的研究」
 「1958年国連科学委員会の決議と直線しきい値なし仮説」
 「放射線の遺伝的影響は心配無用」
 「適量の放射線は健康に有益」
 「胎児は放射線に弱いが少しならぴくともしない」
 「放射線のリスクと倫理」
 「低線量放射線リスクの再評価の動き」
 最後の前の「放射線のリスクと倫理」は序章の結論的な部分だが、以下のような内容だ。
「われわれは自然放射線をあぴながら毎日を暮らしている。その放射線の量は世界平均で1年間に約1ミリシーベルト(ラドンの寄与は除外)である。この程度 の放射線の影響は、前述の例からもわかるように、無害である。それにもかかわらず、世間にはこの程度の放射線も怖いという不安が広がっている。放射線防護 の権威達は一般人の被ばく量の上限を年間1ミリシーベルトとした。そうして、世界中の国々は年間何千億ドルも費やして、この基準の維持に努めている。この ような放射線恐怖症がはびこっているのはなぜだろうか?考えられる理由にはつぎのようなものがある:
 1) 広島・長崎に投下された原爆による惨状と死傷に対する心理的反応、
 2) 市民の核兵器に対する恐怖心につけこむ心理作戦、
 3) 過剰放射線リスクの研究を認めてもらって、研究費を得ようと奮闘している放射線研究者達の利害的関心、
 4) 一般大衆の不安をあおって利益をえるニュースメディアの利害関心
 現在の放射線防護規則の履行により、生命を救うという名目で出費されている金額は、ばかげているほど高額であり、非倫理的出費である。このことは、はしか やジフテリア、百日咳などにたいする予防注射によって生命を救うのにかかる安い費用と比較するとよく分かる。放射線から人間を仮想的に防護するため巨額の 費用が使われている。他方、本当に生命を救うためのずっと小額の財源はたいへん不足している。」
 原発による放射線のリスクを軽減するためになされている努力は無駄なものであり、「非倫理的出費」だという。放射線防護の費用を軽減すれば、原発はもっと低コストになるだろうと示唆されている。また、本文の最終章第Ⅸ章は「安心と安全」と題されており、次のように書き出されている。
 「ブラックポックス化する科学技術の急激な進歩の中で、公衆は「暮らしの中でのさまざまな不安を抱いている。科学技術の進歩が高度になればなるほど、専門家集団と公衆との間に大きな乖離が生じるのは必然であろう。そして、その正確な知識の欠如が時には不安を増幅し、時には誤った判断により重大な社会間題が 生じてくる。放射線もその一つである。そこで、国及び企業は公衆に放射線に関する知識を正しく理解させようと、広報誌、説明会及びマスコミを通じて記者発 表等が行われている。さらに、第3者機関やPR機関を通じてオピニオンリーダ等を育成して、公衆の中に溶け込ませ、放射線の埋解に努めている。また、学協会は独自の立場で公衆との接触を図り、放射線の理解を深めようとしている。しかし、公衆は「安全であっても安心出来ない」と言う。さらに、科学技術の不安については男性と女性では異なった反応を示す。これからは公衆の理解なくしては何事も出来ない。そこで、専門家と公衆との乖離を無くさなければならない。 それには、住民の心を知る必要がある。現在、先進国においては、物質文明の時代は終わりをつげ、心の豊かさを求める時代になろうとしている。そこで、物質と心、論理と感覚のバランスの取れた時代が求められている。そこで、物事を考える脳の研究が重要になってさた。本稿は脳の構造を基に安全と安心、男と女の 考え方の違いについての考察を行った。」 
 不安が増幅するのは「正確な知識の欠如」によるものである。「安全であっても安心出来ない」人たちがいる。とくに女性がそうなりやすい。「第3者機関やPR機関を通じてオピニオンリーダ等を育成して、公衆の中に溶け込ませ」、また「住民の心を知」って「専門家と公衆との乖離」をなくさなくてはならない――こういう考えが示されている。
 これは辻本忠氏の執筆部分であり、同氏の特殊な考え方が混じりこんでいるが、それが通用する科学者コミュニティがここにある。「脳の構造」についての辻本氏の考えには賛成しないとしても、ここに表れている基本的な考え方は共有されているからこそ、多くの科学者が辻本氏が理事長を務めるこの団体に協力しているのだろう。安全・安心科学アカデミーのHPにはたくさんの文章が掲載されいるが、大野和子氏、丹羽太貫氏、松原純子氏、酒井一夫氏、金子正人氏、渡邊正己氏など、放射線影響協会や日本保健物理学会や政府の委員会などで重い役割を負ってきた人たちの名前が度々登場している。
 ホームページの「リスクコミュニケーション」という見出しの下には19の文章が並んでいるが、その1つ辻本忠氏による「安全と安心の乖離」には次のような一節がある(図は略)。
 「恐怖感に対する一般生活者と原子力研究者の比較を図5に示す。両者の分布は対象的であり、原子力発電の捉え方が両者の間で全く正反対の傾向となることがわ かる。この傾向より一般生活者は原子力発電に対して強い恐怖感を抱いており、この感覚が原子力発電を危険なものとみなし、それを忌避する一つの大きな要因 となっている事がわかる。一般生活者に原子力の原理を正しく教えて行けば恐怖感がなくなるのではないだろうか。」
 きりがないのでこのぐらいにするが、安全・安心科学アカデミーという団体は、放射線の健康影響についてのリスクコミュニケーションを主要な課題としているが、その際のリスクコミュニケーションとは「安全であっても安心出来ない」公衆を説得する、あるいは「オピニオンリーダ等を育成して、公衆の中に溶け込ませ」心理誘導することと理解されている。
 原子力分野、放射線の健康影響分野では、「安全・安心」という用語がこのような意味で用いられてきた。このような「安全・安心」論を妥当と考えてきた専門家たちが、3.11以後、市民に信頼されるような情報提供ができなかったことはほとんど自明のことではないだろうか。なぜなら、安全だから安心せよと説かれてきたのに、安全ではなかったわけだから、それでも安全だと言われて、なお安心せよという指示に従う気にはなれないのが自然だからだ。
「安全・安心科学アカデミー」に名を連ねる専門家たちは、「安心」できない気もち(恐怖心)が「はびこる」理由を列挙してすべて非合理なものとしていたが、実際には原発事故を恐れる合理的な理由も、放射線の健康被害を恐れる合理的な理由もある。低線量被ばくによる健康被害についても、それを懸念すべき科学的データはあるのだ。たとえば、アメリカの「電離放射線の生物影響に関する委員会」の2005年の報告(BEIRⅦ)では、こう述べている。
 「放射線にしきい値があることや放射線の健康へのよい影響があることを支持する被爆者データはない。他の疫学研究も電離放射線の危険度は線量の関数であることを示している。さらに、小児がんの研究からは、胎児期や幼児期の被曝では低線量においても発がんがもたらされる可能性があることもわかっている。例えば、「オックスフォード小児がん調査」からは「15歳までの子どもでは発がん率が40%増加する」ことが示されている。これがもたらされるのは、10から20mSvの低線量被曝においてである。」
 このような科学的情報を学んだ市民が、100mSv以下の低線量被ばくの健康影響に不安をもつのはまことに合理的である。不安を抱くからこそ、避難を初めとする防護措置にも真剣に取り組むことだろう。だが、「安全・安心科学アカデミー」の前提は、とにかく「不安をなくす」という目標に向かっていくことである。このような言説を批判しない専門家仲間のうちにあった者が、事故後に適切な情報を提示することはなかなか期待しにくい。そして、事実、3.11以後、「直ちに健康に影響はない」から「過剰な不安はもたない」ようにとの専門家の助言が繰り返されたのだった。
 もっとも「安全・安心」という言葉は、原子力や放射線のリスクに関する領域で語られただけではなかった。それはリスクコミュニケーションが原子力や放射線以外の領域でも大いに問題となる事柄だったのと同様だ。では、リスクコミュニケーションの幅広い領域の中で、「安全・安心」言説はどのように用いられてきたのだろうか。

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