長瀧氏の指導の下、その「手足となって」働いた(下記資料 での本人の弁)山下俊一氏は、とにかく住民を「安心させる」ことを至上命題としてチェルノブイリでの検査・調査にあたった。「すぐに感謝されたのはセシウ ム137をホールボディカウンターで測定して、その体内被曝を心配しないでよいと子どもたちや親たちに知らせてからです」。笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返る座談会(2004年12月)http://t.co/vAtjH8gn で山下氏はこう発言している(p17-18)。「そこではじめて現場は安心するのです。それしか現場ではすぐに結果が出ないのです。ですから、まずは心配要らないと伝えられることがまず第1ですね」(p18)。「結果が出ない」というがどういう結果なのか。
チェルノブイリの内部被曝は現福島よりもだいぶ高かったと主張する日本の科学者も少なくないhttps://t.co/MRmvcxjQ 。だが、日本側は放射線の内部被曝についての研究蓄積はもっていなかったはずだ。原爆の被害について放影研では内部被曝はありえないという前提で進んできており、研究蓄積はわずかだった。何を根拠に「安全」と述べたのか。根拠はなくても医師が「被害はない」と述べることで、地域住民の「不安をなくす」ことができ、それこそがもっとも重要な医師の役割だ――長瀧氏に従って山下氏もそう考えているようだ。
だが、そのような確言は反証されてしまうことがある。事実、その後、内部被曝由来と思われる甲状腺がんが多数見つかることになった。実は、山下氏はその一方で甲状腺が疑われる子どもの触診をしていた。「とんでもないことが現地では起こっているのではないかと 漠然とした不安がありました」(p18)と山下氏は述べている。山下氏は医師としての科学的知見からは「不安」をもっていたのに、心理的な配慮から現地の人々には「心配要らない」と伝えたらしい。このような情報の隠蔽は限りなく虚偽に近づいていくが、「不安をなくす」「精神的影響」に配慮するという理由によって正当化されてしまう。
長崎大のグローバルCOE「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」ではリスクコミュニケーションを取り上げ、2009年と10年に講演会や座談会を行いその記録を冊子にした。そして2012年にはその合冊版柴田義貞編『放射線リスクコミュニケーション』(長崎大、2012年)を刊行している。そこに収録された土屋智子氏の講演の質疑応答で、山下氏はこう述べている「我々も広島・長崎から来たというだけで住民は信頼してくれました。被災者に対する目はお母さん達の心配であり、自分達の子どもがいつがんになるか分からないのです。彼らが汚染地に生きて安心できるためには、広島・長崎の力は大きいのです」p145。山下氏は「心配ない」と言って「安心させた」と述べているが、実際には科学的な所見をそのまま述べたわけではなく、「信頼」を利用し「安心」を得させるために科学に基づかずにそうしたことを半ば告白している。
山下氏が「心配ない」と述べた相手の人が、後で放射線由来が疑われる症状(たとえば甲状腺がん)に罹患していると想像できる。彼らはどう感じているのだろうか。なお広島・長崎の神通力が効を奏するのだろうか。少なくとも「広島・長崎から来たから安心させられる」との山下氏の考えは福島では通用していない。
同じ『放射線リスクコミュニケーション』収載の座談会で、山下俊一氏は「リスクコミュニケーションのファイナルなゴールは何か」についてこう語っているp417。「原発の場合は安全説明ということも当然あるから、原子力発 電所を増やしたいという大きなバイアスが、あるいはそういうものが見え隠れしてくる。それをパブリックがどう理解し、やっぱり原発は必要なんだということにコンセンセンサスをコミュニケーションでどうとっていくのかが非常に大きいと思います」。
この本には原発に関わるリスクコミュニケーションの困難を指摘しつつそれを長崎大が引き受けようとの姿勢がよく出ている。――原発をめぐり両極化する論議をどう超えていくのか。放射線リスクの世界基準を提供してきた広島・長崎で中立的な評価の組織を作ればよい。広島や長崎が被害者だからこそ信頼できるという事を利用した第三者機関を作ればよいのではないか――こんな案を提示してもいる。
「広島・長崎の被曝をした地域の声を代表して、そういうことをやる研究所を作ることによって、それがひいては第三者的に地域住民に対して、あるいは国民や世界に対して公平な情報を発信できる機関になります」。原発推進だが被害者の立場なので信頼を得られるとの構想だろう。これはかなり甘い発想だ。山下氏や長崎大医学部の関係者は原発安全論の立場であると見なす人が圧倒的に多い。3.11以後のかなり早い時期に、そのことは明白になってしまった。
山下氏は原発推進側に立つからこそこのグローバルCOEの拠点リーダーを託されてきているわけで、原発推進側でない第三者と主張するのは相当に無理がある。もちろん日本の原発推進勢力と政府は山下氏の見方を組み込んで、長崎大 にリスク制御の拠点としようとしてきた。東京電力がそこに寄附講座を設けようとしたことは、たいへん分かりやすい判断材料だ。事実、山下氏は『放射線リスクコミュニケーション』と題されたこの本で、原子力開発を押し進めるべきだという考えを堂々と語っているp423-4。
「原子力の問題が出たときには、昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護報告書の最後の一文を述べるようにしています。理由は、永井隆が戦争で200名近い被曝者の救護報告書を書いた最後の纏めの結辞のところに、「祖国は敗れた。全てがもう壊滅状態になった」ということを述べた後に、「これは日本人が犯した罪に対する一つの罰である」「日本人は科学というものを軽視したがために科学の力によって原爆というものが相手国に先に開発されて日本はこういうふうに敗れた」というこ とを書いています。竹やりでやっても戦争なんか勝てんぞと、であればこそ、この亡くなった方々のためにも、原子力という科学の光、力を利用してより良い世界を作って行くべきだ、ということを彼はその当時既に書いているのです」
これは永井隆が長崎医科大学学長宛に提出した「原子爆弾救護報告書」 http://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nagai/index.html の末尾を指している。そこで、永井隆は以下のように述べている。「すべては終った。祖国は敗れた。吾大学は消滅し吾教室は烏有に帰した。余等亦夫々傷き倒れた。住むべき家は焼け、着る物も失われ、家族は死傷した。今更何を云わんやである。唯願う処はかかる悲劇を再び人類が演じたくない。原子爆弾の原理を利用し、これを動力源として、文化に貢献出来る如く更に一層の研究を進めたい。転禍為福。世界の文明形態は原子エネルギーの利用により一変するにきまっている。そうして新しい幸福な世界が作られるならば、多数犠牲者の霊も亦慰められるであろう。」
山下氏は敗戦直後の永井隆の言葉を、原発推進に都合よく解釈している。これから分かるのは、山下氏と他の長崎大の関係者に共有された考え方だ。原爆被災地であることを背景に平和運動とは切り離して、原発推進に協力し長崎大の発展を目指すという戦略をとるということだ。これは80年代後半以降に熾烈化していく大学のサバイバル競争と関連する。背景にチェルノブイリ支援で「大きな成果をあげた」(少なくとも原発推進の政官財学報各界の立場からは)という実績を誇示し、それを掲げて放射線リスク制御問題を看板部門として大学発展の戦略を立てていこうとするものだ。
そもそも柴田義貞編『放射線リスクコミュニケーション』(長崎大COE刊2012)という刊行物は、放射線リスク制御という枠組みの中で、原子力推進のためのリスコミに取り組み社会に貢献するという長崎大医学系(医歯薬系)の中心戦略を、山下氏が牽引するという方針に基づくものだ。同書の中でも、山下氏はそのことを意識した発言を繰り返している。まず、日本人の誤ったリスク観を克服することを課題とし、それを「安心」を確保することと理解している。「長崎大学の中期目標中期評価という中で、「地球と人間の安全と安心を確保する」という大きな命題に」取り組むのだという。P396
これは2010年12月に行われた座談会「放射線リスクを語る」での発言だが、山下氏は「「地 球と人間の安全と安心を確保する」という大きな命題」に沿って長崎大はリスコミに取り組んでいると述べている。「より大学は放射線のノウハウを社会に還元すべきだ」との「中間評価」を受けてのことだとも述べている。2000年代に各大学が取り組んだCOE(21世紀COE、グローバルCOE)では「中間評価」が大きな力をもった。公的資金の継続獲得の重要な材料になるからだ。COEによって科学・学術が「社会還元」の姿勢を強めることを求められたが、長崎大の場合、それは産業界の意志を背負い国策としての原発推進への協力を進めていくことを意味するものでもあった。そしてこうした長崎大の原発推進への協力体制は1991年以来の長瀧教授のチェルノブイリ支援によって方向づけられていた。
山下氏のリスコミ取り組みの背景を述べてきたが、では、山下氏はリスコミについて何を語っているか。まず、強調されているのは日本人はリスク理解が劣っているということだ。ではそれをどうやって克服するのか。ウルリッヒ・ベックの『リスク社会Risikogesellschaft. 』(1986年)を『危険社会』(1998年)と訳したように、「チェルノ ブイリ原発の事故が起こって、「ほーら危険がいっぱいだ」とか、「現代社会が危険なんだ」とか騒がれ始めました。それがイコールリスクなんだという、そう いうふうな「リスク=危険」という日本では「リスク=危険」という刷込みがあったと山下氏はいうp400。だからCOEでは「算術や確率論という概念で起こる事象の頻度の多さ低さと事象の大きさ。つまり規模の大きさを積で表して、こういうのをきちんとリ スクとして認識し教育する場の提供です」p401。
山下氏はリスク認識が劣った日本人にリスク認識を教えることが、リスクコミュニケーションの主要な課題であり、長崎大のCOEの任務であるとも考える。またそれによって「リスク」というと「危険」と捉え、それを怖れる日本人を安心させることに貢献できると述べる。教えるべきことの要点については、p401「科学的にリスクをそれぞれ数値化する、あるいはリスク間のバーターというふうな概念を学生に教えるのは非常に難しいんですね。ですから、どのぐらいの確率だったら安心で、どのぐらいなら危険だということを、最近では原子力の分野でいろいろと言ってますけども、その数値化に対するリスク評価というのが非常にあやふや」でマスコミも取り上げない。
「というので…我々は放射線が専門ですから、横軸に線量そして縦軸に傷害の程度や精度という、後で述べますけども相関関係が重要となります。当然、線量依存性で癌が起こる、どこかに閾値があるかないかという問題などは、極めて数学というが 算術の問題ですね。寄与リスクとかの名称が出てきて、その辺になってくると「一般の人はall or nothingに考えるから、分かりづらい…。これは日本独特なんでしょうか。そういう科学に弱い文化が既に日本に定着しているのではないかという大前提を持っています」。独断的な前提をいくつも並べた上で、山下氏は日本人批判へと踏み込んでいく。
少し後のところでは、日本ではインフォームドコンセントが難しいというp406。日本では患者側が意思表示できないのでインフォームドコンセントの際のリスコミもうまく行か ないという。脳死臓器移植が進まないこともこれと関連しているという。これらは科学的学術的に明らかにされた知見というわけではない。山下氏はこのような文化論については、学術的論証がどのようになされるものか、理解しているのだろうか。
「リスクコミュニケー ションを医療の現場で導入するというのは、こういう文化が熟成していない中ではむしろ危険ではないかとさえ言えます。リスクのリスクという最大の理由、正に柴田先生がおっしゃった受動的な国民性で、リスクを受けることに対して、補償とか怖さの軽減とかを期待する気持ちが非常に強くで、それを自 分が受け入れて、それに対するリスクの代わりにベネフィットをとるんだというふうなバーターをする考えが乏しいと言えます。いわゆる「リスク選択」という考えはないようです」。専門家のリスク論を理解できない日本人は算術に弱いだけでなく、リスクを引き受けるという能動性にも欠けるのだという。
座談会「放射線リスクを語る」の発言を私なりにまとめると、山下氏にとって、リスコミとは(1)日本市民に「算術」を教え科学的リスク論を習得させ安心を得させる、また(2)リスク選択的な思考法に慣れさせることだが、これは容易でない――となる。リスク評価の正しい知識の材料はすべて専門家の側にあり、リスク評価ができない公衆にそれを教え諭すこと――このような考え方で放射線健康影響についてのリスク・コミュニケーションはうまく進むだろうか。
相互性を欠いたリスクコミュニケーションは失敗を免れない。代償はきわめて大きな不信である。だが、それを招いたのは山下氏一人ではない。広島・長崎の原爆調査を踏まえて重松氏や長瀧氏らの主導したチェルノブイリ調査の中で養われたものがあり、90年代後半から2000年代にかけてまずは原発推進者たちが培い次いで諸分野のリスク論者が広めていったリスコミ観が背景にある。この連載(1)~(7)で見てきたとおりだ。
そして、それは、政財官界が望む経済発展に寄与する科学技術という方向づけに対して、1)距離をとって科学・学術の自律性を保持すること、2)科学技術を方向づける倫理性や文化的ビジョンを尊ぶこと、また、3)現在と近未来の経済利益だけでなく不可測の事態や未来世代を視野に入れることに失敗した科学者・研究者たちによってあと押しされ、固められていったのだった。
放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(8) ――山下俊一氏はリスコミをどう理解してきたのか?
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