災害時の科学者・研究者の責任――「放射線の健康への影響と防護分科会」は医療・学術倫理にそう行動をとったか?――

 日本学術会議は東日本大震災後、放射線健康影響問題について早い段階で「放射線の健康への影響と防護分科会」を立ち上げた。この分科会の「設置目的」は次のように記されている。

 平成23 年3 月11 日に発生した東北地方太平洋沖地震及びそれに起因する津波により東京電力福島第一原子力発電所は甚大な損傷を受けた。その結果、同発電所から放射性物質の流出という事象が発生し、周辺住民への避難指示等が出されるとともに、農産物、浄水場の水、海水等から同発電所を発生源とみられる放射性物質が検出されている。
国民は、政府等による発表、マスメディアによる報道、Web等からの大量の情報をどのように理解し、行動したらいいのか戸惑っており、また、我が国にはリスクコミュニケーションがあまり根付いていないため、健康や生活に対して大きな不安を抱いている。
このため、日本学術会議が、正確かつ役に立つ情報を国民に向けて発信することにより、国民が正しい知識に基づく行動を起こすことを支援するとともに、国民から健康や生活への不安を取り除くことを、この分科会の設置目的とする。

 この分科会は学術会議執行部が、東日本大震災対策委員会の緊急かつきわめて重要な課題を扱うため9月末までの時限をつけて設けた3つの分科会の1つだった。他の2つは「被災地域の復興グランド・デザイン分科会」と「エネルギー政策の選択肢分科会」である。これら2つの分科会は4月20日に最初の会議をもち、精力的に七回の会合を開いて課題に取り組んでいる。
 ところが、放射線の健康への影響と防護分科会の最初の会合はようやく6月24日に開かれ、そこで委員長を決めている(議事録は「各委員自己紹介に続き、佐々木康人委員を委員長に選出した」と記している)。そしてその後2回、あわせて3回会合を開いたにすぎない。6か月足らずの時限がある分科会であり、新たに12人の特任連携会員を加えて設けられたものだ。にもかかわらず、設置後2ヶ月半余りは会合を開かなかった。ちなみに日本学術会議は約2百人の会員と2千人の連携会員からなっている。会員・連携会員で分科会を構成するが、特別に必要という場合は特任連携会員を新たに任命するよう、日本学術会議に要請することができる。
 では、6月24日の第1回会合では何が話し合われたのか。以下で見ることができる。
http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/shinsai/pdf/housya-yousi2101.pdf
 この分科会は6月下旬まで一度も会合を開かなかったが、それまでの活動はゼロだったわけではない。では、活動にあたってどのように分科会の意志を決定したのか。それについて公表された記録がない。第1回会合の議事録には、委員長の説明があったとしてこうまとめてある。「当分科会は、国民への迅速な情報提供を、目的とする」「発足当時は週1回程度HP更新を予定し、まず資料5のような4コマスライドを掲載した」。このスライドの内容はとても市民の理解に資するようなものではないことが明らかだったので、私は5月19日のブログ記事でその内容を批判した。その経緯については、拙著『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社、2013年)の第1章にあらましを記述している。
 これには日本学術会議内部でもかなりの反響があった。そのことについて、6月24日の第1回会合では、「しかし、予想以上に批判的な反応が多かったことと分科会発足時ほどの緊急対応を必要としない現状を考慮し、分科会の活動を再考する」とある。また、資料1~7の次に以下の記載がある。「その他資料(資料番号無し)、島薗進 宗教学とその周辺(ブログ)・日本学術会議会長は放射線防護について何を説明したのか?福島原発事故災害への日本学術会議の対応について」。私のブログ゙記事をコピーして配布したのだ。
 つまり、ようやく6月24日になって開かれた最初の会合で私などの批判を受けて対応を協議したということだ。「緊急だから」という理由でだろうか、討議はせずにあるメンバーの意志でよく分からない情報発信をした。だが、批判があったこともあり、その後そのよう な発信はやめ他の形での発信もまったくしなかった。そして2ヶ月以上経過して、初めて会合をもち、対応策を協議した。
 委員の自由な発言がまとめられているが、最初のものには「本会は、金澤前学術会議会長の強い意向を受けて発足した」とある。そして金澤一郎会長の意見は「…非科学的な恐怖が多すぎる。科学的根拠に基づき、「正しく怖がる」という提言が必要」というものだったという。会長がその意志をもっているので、それに従おうと示唆するものなのだろうか。またこの委員は、4コマスライドは分かりにくいという批判はもっともだが「放射線を怖がっている人からの反応が多かった」とも述べている。「低線量の長期被曝については過去の事例を含め、情報が少ないことが問題との意見もあった」という。だが、それについて討議した記録は残されていない。
 討議らしい討議はないのだが、次に何をやるかはこの会議の前に決められていた。議事録には、「7月1日に緊急講演会(資料7)を予定している。このような、市民との対話が当分科会の重要命題と考えている。なお、この講演会をリスクコミュニケーションの場と位置づけており、異なる意見を持つ講演者に依頼した」とある。もちろん開催一週間前のこの時までには講演者は決まり依頼もすんでいるはずだ。いったい誰がどのようにしてこの案を決めたのか。
 不明なことは多い。だがはっきりしているのは、1)この分科会はほとんど討議していない、2)放射線の健康影響につき注意すべきだという立場の学者をメンバーにしようとした形跡がない、3)「正しく怖れる」ための情報発信を是とする立場への異論はまったく記録に残っていないということだ。討議を行わない、また、共同の場での異なる立場からの発信を排除することは科学・学術のあり方として適切でないし、リスクコミュニケーションのあり方としても拙劣といわなくてはならない。リスクを前に医師の判断を押しつけるのではなく、当事者に十分に情報を提供し、その判断を尊重することがインフォームドコンセントの大前提であるとすれば、医療倫理、生命倫理の基本にも背くものと言わなくてはならない。
 日本学術会議はこの分科会が設置の趣旨にそった活動を行ったかどうか、批判的に問い直す必要があるだろう。そして、適切でなかったとすれば、どこに問題があったのかを明らかにして、どう改めていくか検討し公表すべきだろう。科学・学術の倫理の基本に関わることだろう。

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