甲状腺の初期被曝線量をどのように(なぜ)調べ(なかっ)たか?――災害時の科学者・研究者の責任・続(1)――

国連科学委員会の報告書の遅延 
 2013年10月に国連科学委員会(UNSCEAR)が国連総会に提出するはずだった福島原発災害による被曝量の推計と健康影響の評価についての報告書が、アウトラインだけのいわば暫定版に留まり、詳しいデータについては2014年1月まで延期になった。その主な理由は被曝推計について異論が多かったことによる。ウィーンで5月に行われた国連科学委員会のすぐ後にベルギーの委員から批判がなされた他、国際的にも多くの批判がなされてきている。(http://togetter.com/li/557946 、http://togetter.com/li/583086 、参照)

 こうした批判は別に紹介することにするが、ここでは2011年3月11日に福島原発事故が発生してから後、数か月の間に放射性物質の拡散による放射線被曝線量の推計がどのようになされ、その結果がどのように公開されてきたか、そしてそれらの推計が信頼性が薄いと考えられているのはなぜかについて述べていく。2014年1月に提出される国連科学委員会の報告書の決定版においても、そのことが明らかにされる可能性は低いが、これは報告書に示される被曝線量評価を読む上で、きわめて重要な背景事実となるはずである。

WHOの報告書(2013年2月)との関係
 なお、国連科学委員会に先立ってWHOは2013年2月に Health risk assessment from the 2011 Great East Japan Earthquake and Tsunami, based on a preliminary dose estimation という報告書を公表している。これについては、朝日新聞が「大半の福島県民では、がんが明らかに増える可能性は低いと結論付けた。一方で、一部の地区の乳児は甲状腺がんのリスクが生涯で約70%、白血病なども数%増加すると予測した。日本政府は、「想定が、実際とかけ離れている」と不安を抱かないよう呼びかけた」(2013年2月28日)と報道している。
 ここにあるように、このWHO報告書についてはリスクの過大評価であるという批判が日本政府からなされた。同じ記事は「環境省の前田彰久参事官補佐は「線量推計の仮定が実際とかけ離れている。この報告書は未来予想図ではない。この確率で絶対にがんになる、とは思わないで欲しい」と強調した」と報じている。また、WHOの担当者が過大評価かもしれないが「過小評価よりも良い」と述べたとある。他方、過小評価であるという批判文書も出されたhttp://lucian.uchicago.edu/blogs/atomicage/2012/11/26/wh-report-analysis-by-alex-rosen/ が、それについては記事はふれていない。
 このWHO報告書のもう少し具体的なリスク評価に踏み込むと、「被曝線量が最も高いとされた浪江町の1歳女児は生涯で甲状腺がんの発生率が0.77%から1.29%へと68%、乳がんが5.53%から5.89%へと約6%、大腸がんなどの固形がんは29.04%から30.15%へと約4%増加、同町1歳男児は白血病が0.6%から0.64%へと約7%増加すると予測した」。また、「事故後15年では、1歳女児の甲状腺がんが浪江町で0.004%から0.037%へと約9倍、飯舘村で6倍になると予測した」(朝日新聞、2013年2月28日)とある。
 原文にあたって甲状腺被曝線量の評価を見ると、「福島県のもっとも大きな影響を受けた地域では、甲状腺線量の推定は10-100mSvの範囲だが、例外的なある地点では、成人の甲状腺線量は1-10mSvの範囲であり、他の例では、幼児の甲状腺線量の高い範囲は200mSvと推定されている」(p.39)と述べている。ただ表題にもあるように、この線量評価は「予備的」(preliminary)なものとされている。つまり、線量評価についてはこれから後になされるだろうとの想定がある。ここでは、さかんに線量は過小評価しないように「保守的に」見積もったと書かれている(p.38)。これは日本側の委員が強く要求したことが反映しているものだろう。

放医研の初期内部被曝線量調査の報道
 このWHO報告書には組み込まれていない初期被曝線量の評価が放医研のプロジェクトとして行われていた。これについて日本の国民が初めて詳しい内容に接する機会を得たのは、2013年1月のことである。1月27日に東京の国際交流会議場(お台場)で「第2回国際シンポジウム・東京電力福島第1原子力発電所事故における初期内部被曝線量の再構築」が行われが、その内容について報道されたのだ。これは放射線医学総合研究所の主催によるもので、第1回は2012年の7月10日に放医研で行われている。第2回のシンポジウムについては、朝日新聞が「甲状腺被曝は30ミリ以下」原発事故巡り放医研推計」と題された報道を行った。(2013年1/27)http://digital.asahi.com/articles/TKY201301270130.html 朝日の記事の主要な部分を書き抜くと以下のようになる。
 「放医研の栗原治・内部被ばく評価室長らは、甲状腺検査を受けた子ども1.080人とセシウムの内部被曝検査を受けた成人約300人のデータから、体内の放射性ヨウ素の濃度はセシウム137の3倍と仮定。飯舘村、川俣町、双葉町、浪江町などの住民約3千人のセシウムの内部被曝線量から、甲状腺被曝線量を推計した。最も高い飯舘村の1歳児でも9割は30ミリシーベルト以下、双葉町では27以下、それ以外の地区は18~2以下だった。国際基準では、甲状腺がんを防ぐため、50ミリシーベルトを超える被曝が想定される場合に安定ヨウ素剤をのむよう定めている」。
 この記事を見ると、このシンポジウムで報告された甲状腺被線量は、WHO報告書よりもだいぶ値が低かったように読める。放医研の国際会議の約1か月後に公表されたWHOの報告書に対して、「日本政府は、「想定が、実際とかけ離れている」と不安を抱かないよう呼びかけた」と報じられたのは、放医研がWHOよりも甲状腺被曝線量を一段と低く推定しようとしており、その放医研の見方を政府が代弁したものと見ることができるだろう。
 甲状腺被曝線量の推計について、次に大きな報道がなされたのは、2013年5月にウィーンで行われた国連科学委員会の会議に関わるものだ。朝日新聞の2013年5月27日の記事は、「チェルノブイリの1/30 福島事故、国民全体の甲状腺被曝量 国連委報告案」 http://digital.asahi.com/articles/TKY201305260377.html?ref=comkiji_redirect と題されている。他新聞も類似の記事を出しており、放医研の関係者から意図的に流されたものと考えるのが妥当だろう。

国連科学委員会に日本から提出された放射線線量評価
 朝日の記事を見ると、分かりにくい数字や説明がいくつか記されている。 

1)「甲状腺は、原発30キロ圏外の1歳児が33~66、成人が8~24、30キロ圏内の1歳児が20~82ミリシーベルトで、いずれも、がんが増えるとされる100ミリ以下だった」。
2)「日本人全体の集団線量(事故後10年間)は、全身が3万2千、甲状腺が9万9千(人・シーベルト)と算出され、チェルノブイリ事故による旧ソ連や周辺国約6億人の集団線量のそれぞれ約10分の1、約30分の1だった」。
3)「チェルノブイリ原発事故と比べて、放射性物質の放出量が少なかった上、日本では住民の避難や食品規制などの対策が比較的、迅速に取られたと指摘した。避難により、甲状腺の被曝が「最大500ミリシーベルト防げた人もいた」とした」。

 1)については、WHOでは甲状腺がんが増えるだろうと予測されていたのに対し、増えないだろうとの予測と読める。だが、2つのリスク評価のどこがどう異なるのかは分からない。2)については、日本の約1億人と旧ソ連や周辺国6億人とを比較することにどのような意味があるのか理解しにくい。だが、甲状腺の被曝量がチェルノブイリの1/30ならそれほど被害は出ないだろうと受け取るような印象を与えるものだ、3)はもっと分かりにくい。後から述べるように、福島原発災害では安定ヨウ素剤の配布と服用指示がほとんど行われなかった。被災者を放射線から守るための対策がうまくとれなかったのだが、ここでは「迅速に取られた」となっており、これもたいへん分かりにくい内容だ。

事故初期のヨウ素等短半減期による内部被ばく線量評価調査」成果報告書
 この国連科学委員会に日本の放影研から提出された放射線線量評価の内容に、公衆が接することができるようになったのは、2013年8月20日のことである。NPO法人情報公開クリアリングハウスの情報開示請求により、2013年2月に放医研から出された「平成24年度原子力災害影響調査等事業「事故初期のヨウ素等短半減期による内部被ばく線量評価調査」成果報告書」等が公開されたのだ。http://clearinghouse.main.jp/wp/?p=774
 この「報告書」は2013年1月27日のシンポジウムの時にはすでにおおよそできあがっていたはずだ。また、5月の国連科学委員会のウィーン会議においては日本側から提示される最重要資料の1つだったはずだ。だが、それを国民が読むことができるようになったのは、ようやく2013年8月20日のことであり、それも情報開示請求を受けていわばしぶしぶ提示されたものである。国際機関に提示するために準備された資料だが、被災者のいのちと健康に直接かかわる資料でもある。それが数か月も公表されなかったことは、科学のあり方という点からも、民主主義社会のあり方という点からも問い直されるべき事柄だろう。
では、この「「事故初期のヨウ素等短半減期による内部被ばく線量評価調査」成果報告書」(以下、「ヨウ素等内部被ばく線量評価報告書」と略す)では、どのように内部被ばく線量評価を行っているのか。
 まず、明白なのは初期放射線ヨウ素内部被ばくの実測資料がきわめて少ないということだ。チェルノブイリ事故後、ソ連政府は20万人近くの子どもの甲状腺検査を実施している。それに対して、放医研の「ヨウ素等内部被ばく線量評価報告書」で報告されている実測対象者は約1,100人だけである。
 どうしてかくも少ないのか。政府と福島県、そして放射線健康影響・被ばく医療に関わる科学者・専門家が積極的に取り組まなかったためであることは明白ともいえるが、具体的な事実経過によって示そう。

原子力安全委員会の追加検査要請拒否
 2012年2月21日の毎日新聞は「<甲状腺内部被ばく>国が安全委の追加検査要請拒否」と題する記事を掲載した。記事の内容は以下のとおりだ。

「国の原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)が東京電力福島第1原発事故直後に実施した子供の甲状腺の内部被ばく検査で、基準値以下だが線量が高かった子供について内閣府原子力安全委員会からより精密な追加検査を求められながら、「地域社会に不安を与える」などの理由で実施に応じなかったことが分かった。専門家は「甲状腺被ばくの実態解明につながるデータが失われてしまった」と国の対応を問題視している。
対策本部は昨年3月26~30日、福島第1原発から30キロ圏外で被ばく線量が高い可能性のある地域で、0~15歳の子供計1,080人に簡易式の検出器を使った甲状腺被ばく検査を実施した。
安全委が設けた精密な追加検査が必要な基準(毎時0.2マイクロシーベルト)を超えた例はなかったが、福島県いわき市の子供1人が毎時0.1マイクロシーベルトと測定され、事故後の甲状腺の積算被ばく線量は30ミリシーベルト台と推定された。対策本部から調査結果を知らされた安全委は同30日、この子供の正確な線量を把握するため、より精密な被ばく量が分かる甲状腺モニターによる測定を求めた。安全委は「ヨウ素は半減期が短く、早期に調べないと事故の実態把握ができなくなるため測定を求めた」と説明する。
しかし、対策本部は4月1日、(1)甲状腺モニターは約1トンと重く移動が困難(2)測定のため子供に遠距離の移動を強いる(3)本人や家族、地域社会に多大な不安といわれなき差別を与える恐れがあるとして追加検査をしないことを決定した」。

 この記事を理解するには、まず2011年3月26-30日に行われた検査は「簡易式の検出器」を用いたもので、その信頼性は低いと考える専門家が多いという事実を念頭に置く必要がある。これは飯館村、川俣町、いわき市の3町村の1,080人の児童を対象としたものだが、「スクリーニング」を目的とし、サーベイメーターで検査が行われたものだ。スペクトロメーターで測ればかなり正確な数値が出るが、サーベイメーターでは危うい。バックグラウンドの線量とその子供の内部被ばくの線量とを分けるのは容易でないからだ。

原子力災害対策本部のスクリーニング検査に対する厳しい評価 
 これについて京都大学の今中哲二氏はすでに2012年夏の講演で、次のように述べている。http://archives.shiminkagaku.org/archives/imanaka-20120616-matome-20120806-2.pdf (『市民研通信』第 13 号 通巻 141 号 2012 年 8 月) 

「私はこの頃ちょうど飯舘村に行った。28日、飯舘村で30μSv/hあった。役場の前あたりで6μSv/hか7μSv/h、役場の中に入ると0.5ぐらい。
彼らがどこで測ったかというと、飯舘村の公民館らしいのだが、公民館の建物はどう見ても役場より遮蔽はよくない。議長席の裏で測ったため、議長の厚い衝立席があって遮閉がきいていたということらしいが、どっちにしろ0.5ぐらいあったはず。原子力委員会の誰がまとめたのか知らないけれど、バックグラウンドが0.5あるときに0.01なんて話は無理。0.1も無理。
シャーシャーとこんなことを書く神経が私には知れない。よくよくこういう体質なんだと。一番の問題は初期被ばくで、僕は子どもの甲状腺はちゃんとやらなきゃいけないと思う」。

 この検査の危うさについては、すでに「ふくしま集団疎開裁判」の法廷に提出された早川正美氏の報告書「放射性ヨウ素の初期被曝量推定について」(2013年2月20日)http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2013/03/blog-post_18.html でも指摘されている。そこでは、1)今中氏が指摘している点に加えて、2)「スクリーニングレベル「0.2μSv/h」は、人が吸入した直後、甲状腺残留量が最大の時に当てはまるもので、12~16日間もたって甲状腺残留量が減衰してしまった時点では、当てはまらない」、3)「被曝シナリオの描き方ひとつで、もとめる内部被曝線量は大きく変わる。シナリオに恣意性はないのか?」という問題点も加えられている。
 この1,080人の子どもの検査について、今中氏はこうも述べている。「3月23日にSPEEDIが初めて出てきた。私はてっきりSPEEDIは地震でつぶれたかと思っていた。原子力屋にとってSPEEDIがあるのは常識。SPEEDIが出てきてどうも甲状腺被ばくの可能性があるという。あわてて原子力(安全――島薗注)委員会が指示して対策本部が千人ぐらい測った。それが3月の末」(前と同じ資料http://archives.shiminkagaku.org/archives/imanaka-20120616-matome-20120806-2.pdf )。

安定ヨウ素剤の服用とその後の被曝量検査がどちらも行われなかった
 3月23日にSPEEDIによる放射性ヨウ素の拡散予測が出たときのことについては、朝日新聞の「プロメテウスの罠 医師、前線へ」の「21 まさかの広範囲汚染 」(2013年11月8日) http://digital.asahi.com/articles/TKY201311070549.html 「22 聞く度に話変わった」http://digital.asahi.com/articles/TKY201311080630.html が注目すべき記事を載せている。安定ヨウ素剤の配布を行わなかったことに責めを負う、福島県の放射線リスクアドバイザーの山下俊一氏が「3月23日にスピーディの結果を見て、ありゃーと」、「放射性物質があんなに広範囲に広がっていると思わなかった」と述べているのだ。
 かなりの甲状腺被曝が懸念されるのであれば、被曝安定ヨウ素剤を子供たちに服用させることができなかったとしても、今後のために甲状腺内部被曝線量の計測をできるだけ正確に行うよう全力を尽くしてしかるべきだろう。原子力安全委員会の指示に従って、より精密な甲状腺内部被ばく線量検査を行うのが、医療倫理にのっとってもおり、真実を尊ぶ科学的態度にのっとった行為でもなかっただろうか。
 しかし、前述したように「対策本部は4月1日、(1)甲状腺モニターは約1トンと重く移動が困難(2)測定のため子供に遠距離の移動を強いる(3)本人や家族、地域社会に多大な不安といわれなき差別を与える恐れがあるとして追加検査をしないことを決定した」(毎日新聞2012年2月21日)。この段階でもできるだけ検査を進め、被ばく線量の高い子どもにはその後の被ばくを避けるようにすれば、子どもの甲状腺を守るのにある程度、貢献できただろう。だが、これに責任を負う山下俊一氏や放医研の緊急被ばく医療の専門家(明石真言氏ら)は、それを行わなかったのだ。
 先の毎日新聞記事には次のような記述もある。「対策本部被災者生活支援チーム医療班の福島靖正班長は「当時の詳しいやりとりは分からないが、最終的には関係者の合意でやらないことになった。今から考えればやったほうがよかった」と話す。安全委は「対策本部の対応には納得いかなかったが、領分を侵すと思い、これ以上主張しなかった」と説明する」。多くの専門家は進んだ検査をやっておくべきだったと考えている。行われなかったヨウ素剤服用について、責任を負う専門家が後に「服用指示すべきだった」と述べているのと同様だ。
 もし、より正確な検査を行っていれば、ヨウ素の内部被ばくのより高い値が出ていたかもしれない。そうなれば、さまざまな措置をとらざるをえなくなっただろう。また、山下俊一氏や明石真言氏、また政府や福島県の責任者は、子どもたちの甲状腺を防護するための安定ヨウ素剤の服用指示という措置を取らなかった責めを問われることになるだろう。それらを避けたかったのだろうか。「地域社会に多大な不安といわれなき差別を与える恐れがある」というが、子どもの健康を守るという科学者や医師としての責務はどこへ行ったのだろうか。
 これから見ていくように、初期被曝のデータがチェルノブイリと比べて圧倒的に少ないという事態は甲状腺に限定されない。だが、甲状腺の内部被ばくのデータの欠如という事実は、問題のありかを如実に示してくれるよい例である。災害時の科学者・研究者の責任を考える際、注目すべき素材の1つだ。以下、もう少し甲状腺内部被曝線量の問題について考えていきたい(続)。

付記:この文章を書く際、cyborg001(@cyborg0012)さんの連続ツイートhttp://togetter.com/li/583189 (及び、http://togetter.com/li/583186 http://togetter.com/li/583187 http://togetter.com/li/583193 )から多くを学んでいる。また、宍戸俊則さんの「プロメテウスの罠」(朝日新聞)をめぐる連続ツイート http://togetter.com/li/587634 (及び、http://togetter.com/li/587257 http://togetter.com/li/587941 http://togetter.com/li/588313 )からも多くを教えられている。

 

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