甲状腺の初期被曝線量がよく分からなくなってしまった経緯――災害時の科学者・研究者の責任・続(2)――

原子力安全委員会が否定する科学的有効性
 放射線ヨウ素の拡散がかなり高いものであることを推測させるSPEEDI情報が2011年3月23日に出たのを受けて、3月26-30日に飯館村、川俣町、いわき市の3町村の1,080人の児童を対象とした「スクリーニング調査」が行われたが、その信頼性はきわめて低いものと見なされている。
 これについては、早くから原子力安全委員会がくり返し確認している。たとえば、原子力安全委員会は2011年9月9日の「小児甲状腺被ばく調査結果に対する評価について」で次のように述べている。

「今回の調査は、スクリーニングレネルを超えるものがいるかどうかを調べることが目的で実施された簡易モニタリングであり、測定値から被ばく線量に換算したり、健康影響やリスク評価したりすることは適切ではないと考える」

この「所見(2)」には2つの注がついている。一つは「簡易モニタリング」に付されたもので、「「緊急被ばく医療ポケットブック」(平成17年3月、財団法人原子力安全協会)の「頸部甲状腺に沈着した放射線ヨウ素の測定」に基づく測定であり、「放射性ヨウ素の体内良のさらに精密な測定、医学的な診察等を行う二次被ばく医療のためのスクリーニング測定の一部として、行われます」とされている」とある。もう一つはこの「所見」全体に付されたもので、G.Tanaka and H.Kawamura, “Measurement of 131I in the human thyroid gland using a NaI(T1) scincilation survey meter,” J. Radiat. Res., 19, 78-84(1978) がこの調査の基礎となるものだ。この論文には以下のような内容が記されている。英語原文とともに引かれている「仮訳」をここに引用する。

「実際の検査において直面する、この方法に伴ういくつかの不確かさを考慮すると、本方法による甲状腺におけるヨウ素131蓄積量の推定は、放射能汚染の”スクリーニング”の目的のために使用されるべきであり、そのデータはスクリーニングの第一段階の推定値とみなされる。より正確な測定は、ゲルマニウム(リチウム)検出器、あるいは、厳密に設定された条件下におけるホールボディカウンターを用いたさらに精密な技術によって実施されるべきである。」

 だからこそ、「小児甲状腺被ばく調査結果に対する評価について」は「所見(2)」に続いて「所見(3)」が付され、「今後は、福島県が実施する県民健康管理調査において18歳以下の全ての子供を対象に甲状腺検査が実施されるものと承知しており、原子力安全委員会は、将来にわたる健康影響について注視していきたいと考えている」と述べられている。これは、放射性ヨウ素の内部被ばく線量については信頼できるデータがないので、県民健康管理調査で甲状腺がんがどのように出てくるかを見なくては、放射性ヨウ素被ばく量がどれほどだったか分からないという判断を示したものだ。

スクリーニング検査の値を用いた判断の危うさ 
 原子力安全委員会のこうした判断は、今中哲二氏や早川正美氏の判断と両立できるものだろう。だが、原子力安全委員会がそう判断していたことは、国民に、また国際社会に明確に伝わっていない。マスメディアもそれを分かりやすく伝えることがなく、有識者もこのことについてよく知らなかったというのが実態だろう。
 たとえば、物理学者の田崎晴明氏(学習院大学教授)はよく読まれている『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』(朝日出版社、2012年10月)の第7章「さいごに」の7.1「被曝による健康被害はどうなるのか」で「健康を害する人が目に見えて増えることもない(だろう)」と述べ、その理由を二つあげている。第2の理由は南相馬市で2011年の9月以降に行われたセシウムの内部被ばくの調査によるもので、時期も遅く初期被ばく線量を知るには間接的なデータであり、地域的にも線量がとくに高い地域のものでもなく被検者も限定された人たちなので、重要度がやや落ちる。より重要なのは第1の理由である。

「そう思う理由の一つは、4.1節でも紹介した、2011年3月末の福島でのヨウ素131による甲状腺被曝量のスクリーニング検査だ。これは決して精密な想定ではないが、それでも、チェルノブイリの子供たちが受けたような大量の被曝は、今回の福島ではおきなかったことは(かなり)はっきりした。ともかく、チェルノブイリよりは、ずっとよかったのだ。」

 健康影響が「ずっと」少ないかどうかまだ分からないが、たとえ「ずっと」少ないとしても、「健康を害する人が目に見えて増えることもない(だろう)」とまで言えるだろうか。その第1の論拠が、科学的な信頼性が乏しいとされているスクリーニング検査であることは、全体として正確さを心がけ分かりやすく書かれている『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』の大きな弱点と言わなくてはならないだろう。
なお、田崎氏があげる第1の理由の詳しい説明は、ウェブ上の「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説」の「2011 年 3 月の小児甲状腺被ばく調査について」(公開:2011年11月12日、最終更新日:2011年11月29日)http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/details/thyroidscreening.html に見られる。そこでは、「健康を害する人が目に見えて増えることもない(だろう)」という判断をする上で、このスクリーニング調査がいかに重要であるかがひときわ強調されている。
田崎氏は言う。この調査は、初期のヨウ素 131 による内部被ばくの程度を知るための、ほぼ唯一の情報源だ。 さらに、「SPEEDI の計算結果を信頼するなら、日本中のどこであってもヨウ素 131 の内部被ばくによる小児甲状腺ガンの心配をする必要がないことを示してくれる実に貴重な(そして、うれしい)情報源なのである」と。この危ういデータが「ほぼ唯一の情報源」であるなら、「健康を害する人が目に見えて増えることもない(だろう)」との記述は慎重であるように見えながら、やや性急なものと言わざるをえないのではないだろうか。

弘前大学床次教授らの甲状腺内部被ばく調査
先に、「放医研の「ヨウ素等内部被ばく線量評価報告書」で報告されている子どもの実測対象者は約1,100人だけである」と述べたが、ここまではそのうち1,080人を対象とした調査について述べてきた。残りの数十人を対象とした調査はどのようなものだったか。
その一つは、弘前大被ばく医療総合研究所の床次眞司教授らが2011年4月12-16日に行った調査だ。計画的避難区域に指定された浪江町津島地区に残っていた17人と、南相馬市から福島市に避難していた45人の計62人について、住民や自治体の了解を得ながら甲状腺内の放射性ヨウ素131を測定したものだ。(他に鎌田七男氏による調査がある。http://togetter.com/li/300220 )
 検査の対象となった浪江町の人々はどのような経験をしてきた人たちだったか。『河北新報』は「特集 神話の果てに-東北から問う原子力」の「第2部 迷走怠慢/ヨウ素被ばくを看過」(2012年04月21日)で次のような被災者の家族の例をあげている。

「昨年3月14~15日、男性の一家は原発の北西約30キロの浪江町津島地区に避難。子どもたちは14日に1時間ほど外で遊び、15日は雨にもぬれた。
 浪江町民約8000人が避難した津島地区は線量が高かった。15日夜の文部科学省の測定では毎時270~330マイクロシーベルト。事故前の数千倍だった。
 15日午後、南相馬市に移り、男性と家族が検査を受けると、測定機の針が振り切れた。数値は教えられず、服を洗うよう指示された。
 男性は「子どもたちがどれぐらい放射線を浴びたのか分からない。まめに健康検査を受けるしかない」と途方に暮れる。」

床次氏らの測定はたいへん重要な意義をもつものだったはずだ。だが、その調査は両地域あわせて62人という少人数で終わった。『毎日新聞』はこの経緯を2012年6月14日号で「福島原発:県が内部被ばく検査中止要請…弘前大に昨年4月」と題して報じている。
それによると、床次氏らが測定した62人のうち3人は2度測定した。「検査の信頼性を高めるためには3桁の被験者が必要とされる。床次教授は、その後も継続検査の計画を立てていた。ところが県地域医療課から「環境の数値を測るのはいいが、人を測るのは不安をかき立てるからやめてほしい」と要請されたという」。

「県の担当者は事実確認できないとしつつ「当時、各方面から調査が入り『不安をあおる』との苦情もあった。各研究機関に『(調査は)慎重に』と要請しており、弘前大もその一つだと思う」と説明。調査班は「きちんと検査していれば事故の影響を正しく評価でき、住民も安心できたはずだ」と当時の県の対応を疑問視している」。

床次氏らの調査結果
 床次氏らの調査の結果については、2012年3月9日の『朝日新聞』に次のように報道されている。

「事故直後の3月12日にヨウ素を吸い込み、被曝したという条件で計算すると、34人は20ミリシーベルト以下で、5人が、健康影響の予防策をとる国際的な目安の50ミリシーベルトを超えていた。
 最高は87ミリシーベルトで、事故後、浪江町に残っていた成人だった。2番目に高かったのは77ミリシーベルトの成人で、福島市への避難前に同町津島地区に2週間以上滞在していた。子どもの最高は47ミリシーベルト。詳しい行動は不明だ。」

 ところが、この数値は大幅に改定される。ヨウ素を吸い込んだ日時の想定を変えたところ、大幅に数値が変わったという。2012年7月の共同通信配信記事では次のようになっている。

「弘前大被ばく医療総合研究所(青森県弘前市)の床次真司教授のグループは12日、福島県の62人を対象に、東京電力福島第1原発事故で放出された放射性ヨウ素による内部被ばく状況を調査したところ、最大で甲状腺に33ミリシーベルトの被ばくをした人がいたと発表した。
 62人のうち46人の甲状腺から放射性ヨウ素を検出したが、国際原子力機関が甲状腺被ばくを防ぐため安定ヨウ素剤を飲む目安としている50ミリシーベルトを超えた人はいなかった。
 床次教授は3月、62人が昨年3月12日に被ばくしたと仮定し、最大で87ミリシーベルトの被ばくがあったと公表していたが、福島県飯舘村のモニタリングデータに基づき、同月15日の午後1時~同5時の間に被ばくしたと条件を修正、再解析した。」

 条件を変えることによって、数値がだいぶ変化するが、そもそも調査対象人数が少ないのだからやむをえないところだろう。ちなみに62人中、19歳以下の子どもは8人だけである。この調査結果が科学的なデータとして価値が低いものであることは明らかだろう。

放医研報告書の床次調査結果の利用の仕方
 かくも科学的信頼性の薄い床次氏の調査結果だが、放医研の「事故初期のヨウ素等短半減期による内部被ばく線量評価調査」報告書ではこれを用いている。しかも、そこには明らかに誤りがある。
 甲状腺の個人計測としては、原子力災害対策本部が2011年3月26~30日に行った1.080人のスクリーニング調査のデータを主なものとしているのだが、その他の計測の中で主たるものがこの床次氏らの調査である。ところが、その調査対象者を誤って記述している。「
小児甲状腺被ばくのスクリーニング検査以外の甲状腺計測データとして、弘前大学が行った浪江町住民の測定がある。測定場所は浪江町津島であり、2011年4月12日から16日にかけて延べ62名に対する甲状腺計測が行われた」(p.9)とあるが、これは誤りである。実際は、浪江町津島地区に残っていた17人と、南相馬市から福島市に避難していた45人の計62人だからだ。
 さらに、この報告書は、これを第4章「初期内部被ばく線量推計」の中で、対象者のいた場所についての誤った前提のままで用いている。4.2.2「個人計測から得られた線量との比較」というところだ。ここでは、実測値が欠けている中で仮定に仮定を重ねて導き出した計算推定値を、ここまで見てきたスクリーニング検査によるたいへん危うい甲状腺内部被ばく実測値による推定値を比較している。そこには次の記述がある。

「前述したスクリーニング検査以外に拡散シミュレーションと比較検証できる甲状腺計測の実測データは十分ではないが、例えば、浪江町住民を測定して得られた結果では甲状腺線量の最大値は33mSvであり。放射性プルームの到来期間中に東海村(茨城県)に滞在していた日本原子力研究会発機構職員の甲状腺線量は数mSvであった。」

この「浪江町住民を測定して得られた結果」の数値というところには注が付され、床次氏らの論文があげられている。しかし、床次氏の調査対象の内、浪江町の住民は17人であとの45人は南相馬市の住民である。17人の中から得た最大値ということにどれほどの意義があるのか、きわめて危ういいものと言わなくてはならない。

甲状腺内部被ばく線量を少なく印象づけようとする科学者?
 以上、見てきたように、甲状腺倍部被ばく線量について、政府と福島県に協力する科学者・専門家たちが、(1)実測資料が残らないように調査を制限し、(2)限られたわずかな実測資料をできるだけ利用して、推定値が少なくなるような評価をしてきたのではないかと疑われる。
 放医研の「事故初期のヨウ素等短半減期による内部被ばく線量評価調査」報告書は、実測値に関する限り、原子力安全委員会が被曝量推定に用いてはならないとする数値と、途中で調査をやめさせられたこともあってきわめて貧弱な資料に基づいてなされた推定値を(後者についてはしかも誤って)用いているのだ。
 国連科学委員会が福島原発災害による初期内部被ばくの推定を、日本の一群の科学者・専門家たちが行ってきたかくも危うい作業に基づいてするのであれば、その信頼性は著しく損なわれざるをえないだろう。(続)

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