放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(6) ――「不安をなくす」ことこそ長崎の医学者の任務という信念

 福島原発災害の放射線健康影響対策では長崎大で師弟関係にあった長瀧重信氏と山下俊一氏が多大な権限を得て対応してきている。政府と福島県が対策を取るに際して、それぞれ長瀧氏と山下氏が中心的な助言者となり、責任者にすえられてきた。どうしてそうなったのか。 
 長崎大学医学部がチェルノブイリ事故に対する1990年代の日本政府筋の医療援助の代表的存在だったこと、それを受けて2000年代のCOEで長崎大学が放射線リスク対策の研究教育の最大拠点と見なされたことが背景にある。

 長崎大では21世紀COEのスタート直後の2002年、「低線量放射線の人体影響」をテーマに東京電力の寄附講座が設置されるはずだった。一度は「医歯薬学総合研究科の教授会東電の寄付講座開設を大多数の賛成で了承した。講座名は「国際放射線生命科学」。3年間で9千万円の提供を受け、低線量放射線の人体影響を研究するはずだったが、直後の8月に原発トラブル隠しが発覚、結局は開設を断念した」 http://t.co/efisZuOu 入金した3千万円は返金された。
 これにつき山下氏は「放射線の基礎研究や安全研究を実施しようという提案だったのですが、多くの人が大反対、タイミング悪く東電の不正隠蔽問題」も露呈したために失敗と述べている。山下氏は受け入れ側の中核の一人と見るべきだろう。以上は、柴田義貞編『放射線リスクコミュニケーション』(2012年1 月)p145から引いている。国も東電も原発に関わる放射線健康影響に関わる医学系の拠点を形成したいと考えていたが、長崎大がそれに乗った形だ。背後には放影研の所長も務め、長年、政府近くにいた長瀧氏の影響があっただろう。厚生省・厚労省と医学者の関係のあり方があらためて問い直されるべきである。
 長瀧氏が若手とともに長期間チェルノブイリ支援をして来たことが、長崎大が放射線健康リスクのCOE拠点に選ばれる背景となったことは明らかだろう。法人化で国立大学は外部資金で大型予算を取らなくてはならないことになり(山下氏は「大学の存亡そのものが厳しく問われています」と述べている。『放射線リスクコミュニケーション』p4)、長崎大医学部(医歯薬学総合研究科)としても国や電力会社の支援を得たいという思惑があった。東電の寄附講座は挫折したものの、COEでは国の原発推進政策に そった社会貢献を求められることになる。
 山下氏を拠点リーダーとする長崎大のグローバルCOEは、2012年3月『放射線リスクコミュニケーション』を刊行し、「リスコミ重視」を打ち出して終わっているが、それは科学者の社会貢献を意図したものという。山下氏の序文に「科学者が社会貢献を目指す場合、社会と科学とのインターフェイスが重要となります」(p4)とあるとおりだ。そこで、山下氏が考えるリスコミとは、医療被曝も含めてリスク評価、管理を専門家が先導し、「国民と共に正しく共有する」(p5)というものだ。
 「リスク分析を学問の始まりとして、最終的にはリスクに 対する統一見解からリスク評価、管理を国民と共に正しく共有できるメカニズムの構築も最終的にはリスクコミュニケーションとして重要な意義を有するはずで す」(p5)。
 文意やや不分明だが、COEの成果報告資料からは、山下氏は専門家によるリスク分析を基軸とし、専門家のリスク評価 を社会に受け入れさせるプロセスも「科学」として捉えたいようで、「規制科学」や「リスクコミュニケーション」がそこに来るものと考え、2009~10年 度に講師を招き勉強したことが分かる。
 電中研、放医研等の人々を招き、リスコミについて話し合ってまとめた成果は、柴田義貞編『放射線リスクコミュニケーション』2012年1月で見ることができる。これは『リスクコミュニケーションの思想と技術』、2010年『リスク認知とリスクコ ミュニケーション』2011年、の2冊を合冊したものだ。さらに長崎大グローバルCOEは、同じく柴田義貞編『福島原発事故―内部被ばくの真実』2012年3月、を刊行。この書物については以下に私の批判的紹介がある。http://t.co/4851XPge この書の「序」でも山下氏はこれをリスコミ学の展開と位置づけている
 『放射線リスクコミュニケーション』では所々に山下氏の 発言が記録されており、リスコミについての氏の理解度が分かる。同書で講演者の木下冨雄氏が説いている科学者のリスコミ誤解( p30-31)を思い起こさせるところがないでもない。「自然科学者は、人間は合理的存在だから、リスコ ミによってリスクとベネフィットを詳しく述べてやれば、市民は合理的に判断をしてくれるはずだ、いや、するべきであると誤解してしまうのです」というのが木下氏が専門科学者に向けていいたいところだが、山下氏はどこまで理解したのだろうか。山下氏自身はこう述べている。「放射能が内包する危険性に関する知識が正しく理解されず、日本国民全体にリスク論的立場で普段の生活 を議論する力が不足していたとも考えられます」(『福島原発事故―内部被曝の真実』p8)。放射線で混乱するのは、日本人が力不足であるためだというのが同氏の考え方の基本である。
 笹川チェルノブイリ医療協力事業に長期間加わり、そこから放射線健康影響の国家的研究教育拠点へと発展していった長崎大学だが、山下俊一教授に先だってその道を切りひらいてきたのは、山下氏の前任者であり甲状腺の専門家である長瀧重信氏である。これからしばらく長瀧氏のリスクコミュニケーション観を見ていきたい。12月15日に報告書を出した「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」の二人の座長の一人で、もう一人の前川和彦氏よりもずっと専門が近いことからも知れるところだが、同氏は福島原発事故以後の政府の対策の中心人物である。(裏づけ資料提示は省くが、たとえば首相官邸HPの「原子力災害専門家グループ」のページ http://t.co/cyCO3KRU を見ていただきたい)。
 長瀧氏はまた現在(2012年6月より)行われている「原子力被災者等との健康についてのコミュニケーションにかかる有識者懇談会」の座長でもある。では、同氏は原発災害によるリスクの評価とリスクコミュニケーションにつき、どんな経験をもちどんな考え方をもっているのか。同氏著『原子力災害に学ぶ―放射線の健康影響とその対策』 丸善(本年1月刊)を見ると同氏のリスクコミュニケーションの経験とリスクコミュニケーションについての考え方がよく分かる。
 同氏は長崎大教授として甲状腺への放射線の影響について研究蓄積がある。長崎大に赴任した後に、原爆被災者の甲状腺異常についての研究にも取り組んだ。そして、1987年には核医学会会長にもなっている。だが長瀧氏の放射線健康影響との本格的関わりはチェルノブイリ事故後である。同事故への日本政府と連携した笹川祈念保健協力財団の医療協力(1990年8月より)に長瀧氏が参加した事による。この企ては笹川陽平団長、重松逸造副団長(当時、放影研理事長)が先導したもので、長瀧氏の前掲著書『原子力災害に学ぶ―放射線の健康影響とその対策』とともに、『笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返って』((財)笹川記念保健協力財団、2006年 http://www.smhf.or.jp/outline/pdf/chernobyl.pdf )によってそのおおよそを知ることができる。
 長瀧氏は長年、放射線影響研究所の理事長を務めたこの分野の大御所である重松逸造氏の依頼によって調査団に参加した。最初の訪問ではモスクワでソ連政府要人との会議に出た。「とくに子どもの甲状腺疾患、白血病、遺伝に対する影響を心配している」、また「とくに原爆を経験した日本の学者の協力を得たいと の気持ちが随所で感じられた」p43という。
 一行は続いてベラルーシのゴメリへ。汚染地帯にあるゴメリ州立病院 訪問。病院関係者、患者、家族の声を聞く。長瀧氏はこう述べている。「ここで強く感じたのは、事故が汚染地帯住民の精神に非常に大きな影響を与えている、ということで あった。」(p44)ここでの体験記は大いに注目すべきだ。
 「まず、入院している患者のほとんどはチェ ルノブイリ原発事故によって病気になったと信じていた。[ある]患者はバセドウ病であるが、原因はチェルノブイリ原発事故で、原爆の専門家の先生はすぐに 治してくれると期待しているといわれた。また病院で出産した新生児の母親は、自分たちの子どもに 奇形はないか、いつ白血病あるいは癌になるのか、いつまで生きられるのかなどと大きな不安に駆られており、まさに半狂乱の状態である。今まで政府の 350mSvまでは安全であるとの話を信用してきたが、最近海外からの報道関係者は、この地域は汚 染されており、放射線による病気でたくさんの人が亡くなり…と報道している。自分たちはどうしたらよいのか。子どもだけは助けてほしい。ここで原爆の調査 治療の経験のある日本の専門家が来てくれたことは本当にうれしい。本当に頼りにしていると医者 冥利に尽きるほどの信頼の眼で見られたことは忘れられない。また、医療協力としてもっとも大切なことは、この住民たちの不安に応えることにあると確信した」。
 ここには、著者(長瀧氏)のリスコミ観を方向づけた1990年8月の重要な経験が語られている。長瀧氏の経験の叙述から浮かぶ疑問は、まず 「不安」に強い印象を受けたのは分かるが「不安こそ問題」という「確信」に医学的根拠はあったのかというものだ。 バセドウ病を放射線被曝の影響と誤解する患者のように過剰な不安があるという認識は理解できるが、しかしそれが「もっとも大切なこと」と「確信」するのは 科学的、医学的な慎重さに欠けてはいないだろうか。そもそもこうした文章には、リスク評価に予断を持ちこむことを躊躇しない態度が現れている。事実、長瀧氏は3.11後も「不安こそ問題」とい う「確信」を貫き通してきている。
 関連する叙述を、『原子力災害に学ぶ―放射線の健康影響とその対策』からあげておこう。第4章「東海村JCO臨界事故――周辺住民の心のケア」の末尾にはこう述べられている。「以上の結果は、原子力災害においては、被曝線量にかかわらず、被曝の影響があるのではないかという被曝者、被害者の心配、恐怖は深刻な問題であることを示している。被害者の不安、不信への対応、安全、安心の確認は原子力災害時に全力をあげて取り組むべきもっとも重要な課題であると改めて感じたしだいである。」(p80)
 第5章「スリーマイル島原発事故」の末尾は次のとおりだ。「これらの被曝線量から判断して、被曝によって生じうる健康への配慮は、無視できる程度であった。周辺公衆の受けた健康上の影響の最大のものは、放射線被曝により影響よりはむしろ精神的影響であったと考えられる。」(p84)
 チェルノブイリ医療協力にもどろう。長瀧氏はまた、次のような回顧も行っている。「「何をすべきか」については、先ほど述べた現地での経験から、医療協力としてはなによりも住民のパニックともいうべき不安状態に対応することが最重要であると考えた。そのために「何ができ るか」としての調査団の結論は人道的には親の前で子どもを診察し、少なくとも現在心配すべき病気はないと親に告げることであった。これが、一番早くこの極端な不安を取り去る方法であると考えた。またさらに、可能な限り」たくさんの子どもを診 察すると同時に、その診察した結果を科学的な調査結果としてまとめ、被曝の状態を明らかに し、子どもに検診を受けさせられない親たちの不安を取り除くことを目的とすべきであるということになった」(p47)。
 科学者はこれを妥当な調査方針と考えるだろうか。 「不安を取り除く」という目的がまずあり、その目的にそった調査を行うのだという。また、子どもを検診するのも「不安を取り除く」のが目的だという。原爆被災地から来た医師として、子どもを診察して他にできることはなかったのか。実際、地域社会で個々の住民たちに丁寧に向き合いながら被爆者医療に取り組んできた人たちはこれに批判的だった。だが、これについては別に述べる。(たとえば広島の甲状腺専門医、武市宣雄医師で、同氏らと長瀧氏らとの対立は武市氏他『放射線被曝と甲状腺がん』(渓水社、2011年)に穏やかにふれられているにとどまる)。
 長瀧氏らがひたすら「不安をなくす」「パニックを抑える」との信念にそって行動する姿勢を固めていく次第だが、それに拍車をかけたのは論争の的の1991年IAEAレポートだった(『原子力災害に学ぶ―放射線の健康影響とその対策』p51-52)。重松逸造を委員長とする国際委員会による、このIAEAレポートをめぐる論争において、断固として重松側、IAEA側についたことが、前年のチェルノブイリとの最初の出会いの経験とともに、「不安をなくす」を基本とする長瀧氏の姿勢を一段と強めたようだ。

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