『池田大作全集』第1巻に収録されている「二十一世紀の平和路線」という論文は、現在の創価学会の平和思想を理解する上で欠かせないものの一つだ。池田=トインビー対談(以下のウェブサイト、参照 http://shimazono.spinavi.net/wp/?p=675 )などと並んでもっとも重要なものの一つだろう。この論文は『創大平和研究』の創刊号(1979年2月)に掲載されたもので、概要は以下のウェブサイトにまとめられている。
http://space.geocities.jp/felix_jpn_sgi/Marathon/001-02.html
この論文は、1980年頃から2010年代に至る時期の創価学会の平和思想と、創価学会が支持する公明党の政策との関係を理解するのに大いに役立つはずだ。とりわけ、2014年から2015年にかけて、公明党が集団的自衛権を容認し、一般の創価学会員の平和観との間に齟齬を来している事態を理解する際に意義が大きい資料である。だが、ここでこの論文を取り上げるのは、そうした時事的関心にとどまらない。あわせて、この論文がもつ宗教的な平和思想としての現代的意義についても考えていきたい。
以下、この論文の論旨を追い、池田大作氏の平和思想、および日本国憲法第9条に対する考え方について紹介しながら、その特徴について見ていく。その際、とくに集団的自衛権の容認は是か非かという問題との関係について注目していきたい。この論文では、「プロローグ」に続いて、1.平和憲法の遵守、2.南北問題、3.国際機構、4.「地域」「地方」の活性化、5.平和のための教育、6.個の尊厳の理念、の6つの提言が述べられていく。
まず、「プロローグ」の内容を紹介していく。
戦争と平和の問題は、我われ一人一人にとっても人類全体にとっても、現在、最も重要にして緊急の課題である。戦争を排し平和を選択するということが、現代ほど重要性を帯びてきた時代は、かつてなかった。たしかに過去においても、平和を熱烈に希求した思想家は数多くあったし、殺害や殺生を悪と断罪する宗教も存在してはいた。しかしそれらは、あたかも間歇泉のように、時折、人類の歴史のうえに顔を出すことはあっても、その主役を演ずるには程遠い存在であった。常にアウトサイダーの位置にとどまっていたといってよい。
それどころか戦争は、しばしば文明の推進者として、多くの人びとの称賛するところであった。古代社会を彩る英雄像のほとんどは、おびただしい民衆の屍のうえに築かれていた。人びとは彼らを鑚仰しこそすれ、決して非難の目で見てはいない。この事情は近代にあっても、基本的には変わっていない。
池田氏のこの論文は、歴史的な展望の下に、平和をめぐる現代の新たな条件について考察し、平和主義的な考え方が必要である所以を述べようとするものだ。そこで、初めに近代までの歴史において、平和主義的な思想が影響力をもたなかったのはなぜかという問題について述べている。そして、話は現代に及ぶ。
二度の大戦を経験した今日でさえ、長年植民地として、列強の支配下におかれてきた国々に、武器を捨てて平和の道につくことを説いたとしても、さほどの説得力を持つことはできないであろう。こうみてくると“人類史とは戦争につぐ戦争、その幕間に束の間の平和がある”との説も、あながち的外れではない。
こうした状況の中で、平和を唱え、実践することは、実に至難の業であるといってよい。しかし、至難だからといって、それを避けて通ることができなくなったのが現代であるということも、厳然たる事実なのである。そこに我々が直面している人類史的アポリア(難問)がある。我々は、あらん限りの英知と努力を結集して、できるところから勇気を持った一歩を踏み出さなければならないと思う。
現代でも平和主義を唱えることはなお困難であるが、しかし、それは避けられない課題となった。それには、“外から”と“内から”の二つの要因があるという。まず、“外から”の要因とは、核兵器の開発による核戦争の脅威を指す。
平和が焦眉の課題であることを知らしむる衝撃は、周知のように、まず、“外から”きた。原爆、水爆などの原子力兵器の出現がそれである。“ヒロシマ”“ナガサキ”という二つの実例からみても、核兵器が、従来の兵器とは比較にならないほどの破壊力を持つことは、明らかであった。もし核兵器の開発、使用が進めば、そこには戦勝国も戦敗国もなく、人類そのものが滅亡の危機に追いやられかねない。
こうした事態は、かつて有力であった肯定的な戦争観をもはや通用しないものにしている。国益の追求という政治の主要関心事の延長上に戦争があるという見方では、間に合わない事態なのだ。
それは同時に、旧来の戦争観の一変である。従来、戦争とは、クラウセヴィッツの古典的定義にあるように、政治や外交の延長線上に位置づけられていた。国策の根本動機である国益を実現、もしくは確保するための手段であった。ところが核戦争というものが、一国のみならず人類存亡の危機につながるとあっては、もはや戦争は、そのような位置にとどまっていることはできない。
だが、これは核兵器によって突然生じた事態ではない。すでに近代における戦争がそもそも破壊力のとめどもない増大を押し進めていた。すなわち、機械と国家組織が優位に立ち、人間がそれに従属するような傾向である。これが平和主義を唱えることが避けられない課題となったことの“内から”の要因である。
もとより核兵器の出現が、戦争観の変貌にもたらした襲撃がいかに大きいといっても、何の脈絡もなしに生じたものではない。たしかにそれは、戦争のあり方に質的変化ともいうべきドラスチックな影響を与えたが、同時に、近代戦争というものの持つ性格の、半ば必然的な帰結でもあったのである。ここに目を向けることは、核という“外から”の衝撃に対する“内から”の対応を考えるとき、特に重要になってくるであろう。
近代戦争の性格を、一言にして言えば、とめどもなく発達し続ける兵器の破壊力が、それを動員する国家権力の強大化と相まって、次第に戦争の規模を拡大してきたこと、それにつれて人間が兵器を使うというよりも、兵器に人間が使われる傾向が増大し、人間そのものが、兵器や戦争の全き支配下におかれるようになってきたこと、以上のように要約できるであろう。
ここで池田氏は、近代の戦争がもたらした人間性の抑圧という事態に言及する。ルソーやラスキンのように戦争がもたらす美徳を説くような論は、今や過去のものになってしまった。それは、近代以降の戦争が、血の通った人間同士の対峙を基盤としたものではなくなっているということだと言う。
ルソーやラスキンは、決して好戦主義者ではない。にもかかわらず、彼らが戦争や動乱の効用を認めたのは、軍隊や戦場というものが、ある意味で人間性を厳しく鍛えあげる格好の場であるとしていたからにほかならない。義務への忠実、規律正しさ、平等主義、忍耐、勇気、努力――そうした徳目は、例えば商業主義にみられる功利性や抜け目のなさ、打算などに比べれば、よほど価値あるものと映っていたに違いない。
しかし、近代戦争は、そうしたと徳目を徐々に無意味なものにしてしまった。騎兵の前に立ちはだかる敵方の勇者の姿は、歩兵や砲兵の目には見えない。彼らが見るのは、数十メートル、数百メートル先に倒れ、飛散するであろう、無名の敵兵である。まして何万フィートの上空から核兵器を投下する者に、地上の苦悶が想像できるはずはなかろう。うめき、苦しみ、死んでいく幾十万の人々は、彼にとって人間というよりも物体に近い。我が国の故事にならっていえば、平敦盛を討った熊谷次郎直実の心事など、今は昔の絵空事である。恐るべき想像力の荒廃、貧困であり、人間精神の敗北も、ここに極まるの観さえある。核先制攻撃による確証破壊能力の計算などに血道をあげている人の精神構造を思うとき、私には、このことが痛感されてならない。
しかも、核に収斂されてゆく近代戦争の歩みは、近代国家の強権化、中央集権化と、不可分の関係にあった。近代戦争は、その規模といい、それに要する費用といい、人員といい、文字通り、国を挙げての総力戦の色彩を強めてきた。その意味でも、フランス革命が打ち立てた徴兵制、義務兵役制は、象徴的であった。これによって近代戦争は、一部職業軍団による争いから、国民皆兵の全体戦争となってきたのである。国民を一つの目標に向かわせるために、いかに多くの大義名分、イデオロギーが動員されてきたかは、もはや指摘するまでもないだろう。
現代の戦争は人類社会にとって破壊的であり、近代文明の非人間性を集約したような性格をもつ。これは核兵器の脅威に典型的に現われているが、近代の戦争の展開がもたらした帰結でもあるとの論だ。
こうみてくると、核戦争の脅威というものは、ヨーロッパ主導型の近代文明総体が直面している、一つのカタストロフィー(破局)であることが分かる。それは、近代史を通じて徐々に進行してきた、機械や政治機構による人間支配の完結とも言える。したがって、二十一世紀への平和路線を模索するには、そうした史的視野に立って、文明総体を問い直すという、広範な分析、パースペクティブ(展望)が要請される。機械や巨大機構による人間支配から人間を救い出し、どう主役の座を回復せしむるかという、明確な目標を浮かび上がらせるために――。
以上のような論を踏まえて、池田氏はこの論文の課題は限定的なものであるとしながら、それは「今後の平和路線の進め方」についての「提言」であるとする。
もとよりこうした大作業が、限られた紙幅で可能なはずもなく、また正直いって私一人の手に余ることでもある。しかし、多くの科学者も述べているように、平和というものは、一握りの人々に任せておくには、あまりに重大な問題であるし、またそれは危険でもある。そこで、平和を希求してやまない一仏法者としての立場から、今後の平和路線の進め方について、素朴な提言を試みたいと思う。
以上、「プロローグ」の概要を見てきたが、論旨は明快である。この論が1979年に発表されており、米ソの冷戦、およびとめどもない核軍拡という事態を背景にして書かれたものであることは念頭に置いておく必要がある。だが、ここで示されている問題意識は、冷戦時代が過去のものになった2015年の現在にも、十分に通用するものである。平和をめぐって「人間」が軽視される事態、「一握りの人々」の意志と「大衆」の感じていることが大きく乖離している事態などは、現代においてますます顕著になってきているかに思われる。
1970年代にはようやくベトナム戦争が終結した。1980年代の末には冷戦そのものが終結する。しかし、その後もアメリカが陰に陽に関与する戦争は行われ続け、非人間的な戦争は収まる気配がまったくない。そうした世界情勢の下で、日本において平和を考えるという点では、1970年代の池田氏の考察は古びていない。創価学会のメンバーがこの論文に見えるような池田氏の平和思想を尊んできたのは、時代錯誤などではまったくない。
2014年から2015年にかけて、公明党は集団的自衛権を容認しようとする安倍政権に同調してきた。その際、「平和をめぐる国際環境の変化」が理由として持ち出されている。平和のための施策を考える際、国際環境の変化について考慮すべきであるのは言うまでもない。だが、尊ばれて来た平和についての考え方を大きく変えるような施策を導き出す際に持ち出される新たな国際環境なるものが、この論文で池田氏が提起されているような文明史的な現代政治環境の理解と、どのような関係にあるのかは十分に考察されてしかるべきだろう。創価学会の会員が仏法に基づくと考える政治のあり方と、支持政党の提起する政策とがどう関わるのか――信仰者として説明を求めるのはきわめて自然なことである。
次いで、池田氏は6つの「提言」について述べて行くが、その第1は「平和憲法の遵守」である。その内容は次のように要約されている。
第一に、日本が世界に誇る平和憲法を遵守し、その精神を内実化させるとともに、世界の共有財産にしていくこと、憲法の精神は、恒久平和を謳うとともに、国際紛争のガンともいうべき、相互の不信を信頼に変えていくことを根本にしているからである。
(以下、続く)