1946年1月1日と2016年8月8日の2つの天皇の「お言葉」

 8月8日の「お言葉」に示された今上天皇の生前退位のご意思に対し、天皇の生前退位を認めず摂政制で問題を解決すべきだという考えを表明している論者もいる。たとえば、『産經新聞』の7月16日号では、小堀桂一郎(東大名誉教授)の次のような見解が紹介されている。「退位された前天皇の国法上の地位、処遇、称号の問題。明治天皇の御治定にかかる一世一元の元号の問題。何よりも、天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。」http://www.sankei.com/life/news/160716/lif1607160022-n2.html
 「国体」は万世一系の神聖な天皇こそが日本の国家の精神的な支柱であるとし、そのような存在として天皇崇敬を鼓吹し、そこに「美しい日本の国柄」を見ようとする理念である。このような「国体」理念にそった天皇のあり方と、日本国憲法が規定する「象徴天皇」のあり方には大きな開きがある。このことを理解するためには、戦後すぐに表明されたもう一つの「天皇のお言葉」を参照するのがよいだろう。「天皇の人間宣言」とよばれる文書である。

 「天皇の人間宣言」と称される文書は、1946年1月1日に官報により発布された昭和天皇の詔書を指す。「新日本建設に関する詔書」とも呼びならわされてきたもので、1千字近くに及ぶ長いものであるが、「天皇の人間宣言」にあたる核心部分は以下のようなものである。

惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

 「新日本建設に関する詔書」が出されるようになった経緯については、事実経過の究明と背景事情の考察が積み上げられてきた。ウィリアム・P・ウッダードの『天皇と神道——GHQの宗教政策』(1988年、原著、1972年)、平川祐弘『平和の海と戦いの海』(1983年)、木下道雄『側近日誌』に付された高橋紘の「解説」(1990年、その後、高橋紘『象徴天皇の誕生--昭和天皇と侍従次長・木下道雄の時代』として、2002年に刊行)、大原康男『神道指令の研究』(1993年)、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(2001年、原著、1999年)などが主なものだ。
 高橋紘や大原康男やダワーはGHQ側のイニシアティブを強調しているのに対して、ウッダードや平川祐弘は天皇と日本政府側のイニシアティブを強調している。この後者の立場が依拠する主要な資料の一つは、首相だった幣原喜重郎の回想である。以下、幣原平和財団編集兼発行の『幣原喜重郎』から、その要所を引く(667ページ)。幣原は来るべき民主主義国家としての日本にとって、天皇と国民の距離を縮めることが重要と考え、その方策をとろうとしていた。

一方陛下におかせられても、「常に我れ民と共に在りとの御覚悟をお示しになるようご努力あらせられたのみならず、従来の天皇は所謂「現人神」として「神格化」の御立場に立ち、民衆と全く隔絶してをることを深く遺憾とし、何とかして「人間天皇」に立ち還らねばならぬとお気付になってをられたのである。
 昭和二十年の晩秋、幣原首相が陛下に拝謁すると図らずも陛下からこのことに関するお話があり、そのお言葉の中に「昔ある天皇(後水尾天皇、在位1611—29年——島薗注)」が御病気に罹られた。天皇御自身が医者を呼んで来いと仰言ると、宮中の連中が、とんでもないことです。天皇は神様でいらつしゃる。それを医者のやうな怪しからぬ者に玉体に触れるといふことは絶対にいけませんと言つて、とうとう呼ばなかつた。その結果、医者は見ないし、飲む薬は飲まれず、みすみす病気が悪化してなくなられたといふことがあつたさうだ。とんでもないことじゃないか。」と仰言つて、暗に天皇の神格化を是正しなければ、民主主義日本の天皇にはなれないといふことを暗示遊ばされたのである。幣原は深く恐懼感激し、「国民が陛下に対し奉り、あまりの神格化扱ひを致すものでありますから、今回のやうな軍部がこれを悪用致しまして、こんな戦争をやつて遂に国を滅ぼしてしまつたのであります。この際これを是正し、改めるように致さねばなりません。」と申し上げると、陛下には静かに肯かれ、「昭和二十一年の新春には一つさういふ意味の詔勅を出したいものだ。」と仰せ出された。

 実際にはGHQの意向を察知し、それにそって「新日本建設に関する詔書」がまとめられたという側面も無視できない。幣原の叙述は天皇の意思が「天皇の人間宣言」の主要な要因だったとする点で、それは歴史をそのまま反映したものとは言えない。にもかかわらず、昭和天皇が軍部等による「天皇の神格化」から脱することが重要だと考えており、その意思を表明することに積極的に同意したというのは重要な歴史的事実である。
 1946年1月1日の「天皇のお言葉」と2016年8月8日の「天皇のお言葉」の間には重要な類似点がある。神聖な存在としての天皇を掲げて全体の統合を強化しようとする視点に対して、人間としての天皇のあり方、天皇の人間性を尊ぶあり方を求めようとしているところだ。
 もちろん70年の年月の開き、その間の国のあり方の変化は大きい。昭和天皇と今上天皇の考え方の違いも小さくはないだろう。だが、「国体」の理念に代表されるような「神聖な国家統合を天皇が具現する」という考えかたに対して、天皇ご自身が天皇の人間性を理解するように国民に訴え、人間天皇のあり方を重視しようとするところに2つの「お言葉」の共通点がある。全体のために個々人が犠牲になることを前提とするような秩序の体現者としての天皇から、個々人それぞれが尊ばれるような民主主義社会にふさわしい敬愛される人間天皇というあり方への変化を進めるということである。「象徴天皇」とはそのような天皇のあり方を指し示す言葉だろう。
 1945年に始まりなお持続されるべきは、「神権的国体論」(佐藤幸治『立憲主義について』)と不可分だった天皇制から、「象徴天皇制」への転換の持続である。というのは、「神権的国体論」の方向に日本を引き戻そうとする考え方が一定の勢力をもっており、日本会議などの形をとって国政にも大きな影響力を保持しているからである。このように見るとき、平成天皇が「象徴としての天皇」という言葉を繰り返し用いられていることの意味がよりよく理解できるのではないだろうか。

参考文献
ウィリアム・P・ウッダード『天皇と神道——GHQの宗教政策』(サイマル出版会、1988年 (William P. Woodard, Thw Allied Occupation of Japan 1945-1952 and Japanese Religions, E.J.Brill, 1972)
大原康男『神道指令の研究』原書房、1993年
木下道雄『側近日誌』文藝春秋、1990年
幣原平和財団『幣原喜重郎』幣原平和財団、1955年
佐藤幸治『立憲主義について--成立過程と現代』左右社、2015年
高橋紘『象徴天皇の誕生--昭和天皇と侍従次長・木下道雄の時代』角川文庫、2002年
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』下、岩波書店、2001年(John W. Dower, Embracing Defeat: Japan in the Wake of World WarⅡ, W.W.Norton and Compan/ The New press, 1999)
平川祐弘『平和の海と戦いの海』講談社文庫、一1993年(初刊、新潮社、1983年)

カテゴリー: 宗教と公共空間 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です