放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか

福島原発事故による健康被害の可能性について、国民、とりわけ福島県や近隣地域の住民は正確な情報を必要としている。では、医学者はそれについてどのように語っているだろうか。そこで述べられていることは、住民にからだに対する放射能の危険について適切な情報提供をしていると言えるだろうか。2,3の例を見てみたい。

まず、「東大病院放射線治療チーム」のツイッターでの連続発言を取り上げてみよう。3月19日の記述からはじめる(http://togetter.com/li/113523)。ここでは、内部被ばくの問題を主に放射性よう素の問題に即して取り上げている。牛乳に含まれた物質による放射線量が問題にされるのはチェルノブイリの事故で小児の甲状腺がんの顕著な発生が認められたからで、その甲状腺がんの発生には住民が続けて牛乳を飲んだことが関わっているからだと述べている。

ここで問題なのは、まず以下の記述である。

「史上最大の放射事故であるチェルノブイの原発事故では、白血病など、多くのがんが増えるのではないかと危惧されましたが、実際に増加が報告されたのは、小児の甲状腺がんだけでした。なお、米国のスリーマイル島の事故では、がんの増加は報告されていません。」(team_nakagawa2011-03-19 17:10:27 )

ここからは、チェルノブイリ原発事故の後、住民に対して広く健康被害調査が行われ、その中で「実際に増加が報告されたのは、小児の甲状腺がんだけ」だったというふうに読める。「白血病など、多くのがんが増えるのではないかと危惧されましたが」、調査の結果、それはなかったというふうに読者は読むだろう。

だが、実際はそうではない。白血病などのがんがどのぐらい増えたのか信頼できる調査があるわけではなく、あるいはそもそもそうした調査は困難だったので、よく分からないというのが事実ではないか。そうでなければヨーロッパの人々が原発事故にここまで神経質になっている理由が理解できない。しかし、ここではそこが分からない叙述になっており、ことさらに安全を強調する記述となっている。

この記述の後、日本では放射性よう素による内部被ばくの被害を恐れる必要は少ないという理由が書いてあり、ここまでを見ると福島原発事故がたとえチェルノブイリ事故に近づく事態になっても、放射性物質による内部被ばくの危険は小さいかのように読めてしまう。

野菜からの放射性物質の検出がテレビや新聞で報告されて以後のツイートを見ると(3月21日)、セシウムの影響についての説明が出てくる。しかしそこでもホウレンソウの摂取の量だけを評価しようとした叙述が続くために、途中で読者に疑問を付されている。そして、「他の食物や自然界からの放射線をすべて考慮して、被ばく量を考慮すべきというご指摘をいただいていますが、その点はまったくその通りです」(3月21日)との弁明が出てくる。危険を過小評価しようとする記述が多いため、かえって信頼性を失っているのだ。

次に、SMC(サイエンス・メディア・センターhttp://smc-japan.sakura.ne.jp)の3月22日配信の記事「放射性物質の影響:山下俊一・長崎大教授」をみてみよう。これは「by Tanaka」とあるように記者がインタビューしたものをまとめたもののようだが、これを紹介しているMiho Nambaさん(@orcajump)のツイートによると、「山下さんは本日海外メディア向けに記者会見をし、このコメントの英文が配られました」とのことである。

いちおう山下氏の真意を伝えたものと思うが、必ずしもそうではない可能性もある。また、この記事には見出しが付けられているが、これもSMCによるものであって、山下氏の真意とはずれている可能性がある。したがって以下に述べることは、あくまでSMCに記載されたコメントまとめ記事についての意見であることをまずお断わりしておきたい。

以下は、「現状で、発がん率が上がるということはない」という見出しの部分の記述である。

「今回ほうれん草や牛乳から規定値を超えるヨウ素131やセシウムが検出されていますが、1回や2回食べても問題ありません。またヨウ素131は半減期が8日と短くすぐに影響が落ちていきます。

1度に100mSv以上の放射線を浴びるとがんになる確率が少し増えますが、これを50mSvまでに抑えれば大丈夫と言われています。原発の作業員の安全被ばく制限が年間に50mSvに抑えてあるのもより安全域を考えてのことです。

放射線を被ばくをして一般の人が恐れるのは将来がんになるかもしれないということです。そこで、もし仮に100人の人が一度に100msvを浴びると、が んになる人が一生涯のうちに一人か二人増えます(日本人の3人に一人はがんで亡くなります)。ですから、現状ではがんになる人が目に見えて増えるというよ うなことはあり得ません。」

引用部分の第1段落は、食料を通して、またその他の仕方でからだに取り込まれる放射性物質の影響について述べている。ここでは、「1回や2回食べても問題」ないと書いてある。では何度も食べたらどうなるのだろうと問いが生じるところである。また、ほうれん草や牛乳だけでなく、他の食料や他のしかたで取り込まれる放射性物質とあわせた場合、どうなるのだろうとの問いも生じる。これは内部被ばくに関する問題であり、読者はその影響をどう考えればよいのか大いに関心をもつだろう。しかし、これについてこの記事は何も答えていない。

そしてすぐに外部被ばくの問題に移って、だ3段落では「現状ではがんになる人が目に見えて増えるというようなことはあり得ません」と述べている。これは外部被ばくに限定しての話だとすれば理解できるが、話の筋からして内部被ばくについてもそうなのかと思わせかねない展開になっている。

次の見出しは「一般の人は心配する必要はない」というもので、これも外部被ばくについての話であり、その限りではこの見出しは納得できる。ところが、そこでは、「被ばくについて心配しなくてはいけないのは、福島第一原発の中で働いている人たちです。彼らは、被ばくを避けながら決死の覚悟で働いています。彼らの健康をいかに守るかを考えていかなければなりません。一般の人は、まったく心配いりません」と述べられていて、内部被ばくも含めて「一般の人」が健康被害について考えることは、引け目を感じるべきことであるかのような記述になっている。

最後に「今後心配していることとお願い」ということで、で放射性物質が体内に取り込まれたときの問題について述べている。ここで「今後食物連鎖を通じて、汚染された食べ物が市場に出るのが困ります」とある。まさにこれこそ住民が不安を感じていることである。これについて、「食べたときの被ばく線量を推定し、1年間に数十mSv~100mSvに近づくようであれば、規制が必要になります」とここではじめて、一般人の被ばくの危険性について述べられている。

だが、これについての説明はそれ以上ない。これによる健康被害の不安があるからこそ、福島県や周辺地域の人は遠くへ避難しようかどうか考えており、事実、移動している人は多い。また、公表されている放射性物質の降下データを見てもその食物等を通しての影響に不安をもつ人は多いはずだ。しかし、そのような人々の問いに答えようとする姿勢は皆無である。

そして、続いて以下のように述べられている。

「食の安全に厳しい日本では監視体制が強化されると思いますが、逆に規制が風評被害を及ぼさない配慮が必要になります。」

この配慮もどのようなことなのか分からない。食料の規制が行われるときも、その食料の危険性についてあまり重くは見ないようにしてしいということなのだろうか。これは福島県の農民に対して親切な発言のように見える。だが、放射性物質を多量に体内に取り込む可能性が高いのも福島県民である。放射性物質を多量に取り込むことにも少し目をつぶってもよいと受け取られるとすれば、大いに疑問がある。その害を被るのは福島県やその周辺の地域の人たちだということも考えておきたい。

要するにこの記事は外部被ばくの安全を強調しながら、そこに内部被ばくの問題を織り込んでいる。だが、内部被ばくの危険性、安全性についてはあまり述べていない。にもかかわらず記事全体として安全性が強調されている。そして、放射能の健康被害への問いをもつことすら許されないような口吻になっている。

以下の記述は、外部被ばくを述べる文脈で語られていることだが、記事全体としては内部被ばくにも関わる記述になっている。

「放射線を被ばくをして一般の人が恐れるのは将来がんになるかもしれないということです。そこで、もし仮に100人の人が一度に100msvを浴びると、がんになる人が一生涯のうちに一人か二人増えます(日本人の3人に一人はがんで亡くなります)。ですから、現状ではがんになる人が目に見えて増えるというようなことはあり得ません。」

これは被ばくしてがんになるとしても、1%か2%ならどうということはない。許容の範囲内だということだろうか。どうせ3分の1の割合でがんで死ぬはずの人間なのであれば、被ばくによって1%か2%がんにかかる可能性があっても見逃すということなのだろうか。そうだとすれば医療倫理的にも大きな問題がある。

もし、このような考え方から福島原発の作業員の被ばく許容量が100mSvから250mSvにあげられたのだとすれば、これは許容しがたいことである。そして、もしこのような考え方が食料や環境における放射性物質の規制にも及ぼされるのだとしたら、福島県や周辺地域の住民の福祉を大いに傷つけるものになるだろう。

ここで取り上げた二つの例(「東大病院放射線治療チーム」のツイッターでの連続発言、「放射性物質の影響:山下俊一・長崎大教授」)は、医学者が放射性物質による健康被害の可能性について、できるだけそれを低く印象付けるような発言をしているものである。そこでは健康被害の可能性についての市民の問いに対する答えがはぐらかされている。そして、ことさらに「安全」を強調するものになっている。

だが、このような説明によって安心できるだろうか。健康被害がありうること、それがどのように生じるかをはっきり述べてほしいものだ。その上でそれを避けるにはどうしたらよいか、市民それぞれが判断できるようにしてほしい。

それを抜きにして権威ある「医学的説明」であろうとし、「安全」を過度に強調すると、市民が危険を軽視することが義務であるかのごとくに受け取れてしまう。放射性物質の危険について口にすること、疑問を投げかけることが、「風評被害」をあおるものであるかのごとくに語られてしまっている。

「放射性物質の影響:山下俊一・長崎大教授」の末尾はこうなっている。

「食の安全に厳しい日本では監視体制が強化されると思いますが、逆に規制が風評被害を及ぼさない配慮が必要になります。福島県民が背負った震災、津波、そし て原子力災害という三重苦に対して、また東日本を襲った国家存亡の非常事態にすべからく国民がその重荷を分担する覚悟が今こそ必要であり、そのことが古来 山紫水明の山島と呼ばれた大和の国の“和”を大切にパニックならず落ち着いて行動する日本の誇るべき文化ではないでしょうか。」

「国家存亡の非常事態にすべからく国民がその重荷を分担する覚悟」が求められている。このような覚悟があれば、統計的に検証できないような健康被害について述べるのは「“和”を大切にする」「大和の国の」精神に反することで慎むべきだと響いてしまうのだ。

これはパニックを静めるものだろうか。私にはこれらの発言がむしろパニックの下で発せられているように感じられる。専門家による適切な情報の提供を求めている市民を混乱させ、不安を高めるもののように思われるのだ。

追記:2011年3月24日、山下教授は、TBSテレビ報道ステーションで、放射性セシウムは筋肉に蓄積するが、チェルノブイリで肉腫(?)の患者はまったくいなかったと語られた。私はそのように聞いた。そして、他のがんへの影響についてはまったく言及されなかった。では、放射性セシウムはなぜ厳しく計測され、出荷停止、摂取停止の理由になるのだろうか?なぜ、放射性セシウム体内除去剤というような薬剤があるのだろうか?私は再び山下教授の説明に大いに不安を覚えたのだった。( 追記以外は、2011年3月23日 水曜日 4:28 AM公開、追記は3月24日11:33PM公開

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