危険が身近になって少し目が覚めた弁

3月22日から23日へといっきに状況が悪化した。22日には野菜等の出荷制限が主要な問題であり、「風評被害」に関心が集まった。23日には野菜等の出荷制限は摂取制限に拡充しその種類も格段に増えた。その上、午後には東京の水道の水が汚染されていて乳児は飲めないということが分かった。

22日には放射能が健康被害を起こすということを否定しなくてはならないという論調が報道の主流だった。23日には放射能が健康被害を及ぼすということを前提として、どのように健康被害を小さくするかが報道の眼目となってきた。

22日の夜に記したブログ記事「放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか」では、あくまで「健康に影響はない」と主張し、健康への影響を隠蔽するかに見えた医学者の発言について批判的な考えを記した。

だが、その記事はまったく古くなってしまったかのようだ。今、宮城県から首都圏の間に住む人で乳幼児がいる母親や妊婦は、もし伝手があるなら原発の影響が薄いところへ避難したいところだろう。

このような展開を経て、私の考えも少し変わってきた。どうも心の奥に科学者や報道関係者を責める気持ちが強すぎたのではないか。この間ずっと私は「安全」だけではなく「危険」についても意識すべきだと発言してきた。危険を軽んじて弱い立場の人たちを見殺しにするのは許せないといったことも述べてきた。

これまで以上に大きな災厄が降りかかってくるとしたら、迅速に対応できるよう、危険についてよく知っておく必要がある。不安になるのは危険を意識するからではなく、無意識のうちに危険を知っていながらそれを沈黙させられているからだ。早く行動できる人は行動を始めた方がよい、また、弱い立場の人たちへの支援をしてほしいと訴えの力こぶを入れていた。

しかし、いっきに危険の認知が深まった今晩、何だかその力こぶが空しく感じられるようになった。確かに私はこうした事態に備えていくつか行動をとることができた。自らの家族を疎開させ、他者にも疎開の備えをするよう促し、被災者・避難者・疎開者を受け入れる宗教者の連絡態勢を整える準備をし、福島県や周辺地域に避難が進む実態に対応した措置をとるよう訴えてきた。

だが、私の訴えなどはたいした力のあるものではない。警鐘を鳴らしているつもりだが、実は自分だけ少し的確な認識をもっていると誇っているのだとすれば、あほらしい気がする。皆、よく分からない中でかろうじてできることをやろうとしている。そして事態の変化に翻弄されている。その点では私も何の変わりもないのだ。ただあわててわめいているだけと見てもそう違いはない。

科学者や報道関係の方々を批判したが、皆さんそれぞれの場で必死に役割を果たそうとしており、他のやり方をとるのはなかなか難しい。それは前から分かっていたが、こういう事態になってみると自分も同じだということがますますよく見えてくる。

科学者に対する批判の文章を書き、その主旨を撤回する必要はないと思う。後で検証するときの一つの材料になると思う。やはり危険について認識が甘かった。現代の医学研究、生命科学研究においても同じことが起こっており、ジャーナリスムのあり方もそこに関わっている。私の研究テーマの中に、科学と社会のかかわりということがあり、それにつきよい勉強をしたというのは確かだ。

だが、やはりもう原発のことで、しろうとの立場から自己主張や責任追及などしているときではないと思う。今、自分の場所でかろうじて自分の力に応じて貢献できることをすべきではないだろうか。議論のし合いに出るのが好きな性格なので、そうして来た。それは確かに自分の考えをまとめるのに役立ったし、科学技術の倫理についての体験的勉強は貴重だった。

が、今の場合、それはもういいという気になってきた。やるべきことと関わりなく主張するのはやめて、今はやるべきことに帰ろう。「懲りないやつ」という思いがあり、まだほんとうに懲りてはいないのだが、恥ずかしいという思いが今まで以上に深くなった。というわけで、少なくともしばらくの間、力こぶは別のところに入れるようにしたい。

追記:以下、1日少し経ってからの付け加えである。結局、国家、科学者、報道機関は原発による汚染の危険についてふれるのは「不安をあおる」ことだとし、隠せない危険が露となるつど、極端に「安全」を強調して、落ち着いた日常を維持させるという暗黙の合意にそった世論操作をし続けている。それは、平常のことであればとても認められない、「依らしむべし知らしむべからず」の抑圧的な言説空間を作っている。だが、今、これに抵抗することにそれほどの意味があるだろうか。結局のところ、だんだんと真実は知らされるのだし、それでよいではないか。退避が遅れる人たちがいる。しかし、私が叫んだからといってそれを変えられるわけではない。しろうとである私が「真実を!」と叫んでもたいした力はないではないか。抑圧的な言説空間といっても、それはわざわざ中に入っていこうとするからにすぎないのだ。距離をとろう、確かに今、こういう中でも、あるいはこういう中だからこそやれるもっと大事なことがある、そう思ったのだった。(最初の編集: 2011年3月23日 10:53 PM -、3月25日未明午前3時付加)

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1 Response to 危険が身近になって少し目が覚めた弁

  1. shimazono のコメント:

    コメントいただいていたこと、先ほど気づきました。ブログを見てくださっていて、ありがとうございます。この度のボランティアのご経験など、また、お話を聞かせてください。

    島薗進

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