福島原発事故は長期化の様相を呈し、周辺地域住民の健康被害への懸念は深まっている。だが、4月10日までの段階で周辺住民の懸念に対する医師・医学者、政府・自治体およびメディアの対応は十分なものではなく、住民の苦悩をわずかなりとも和らげる一助となり、住民の行動の適切な補助となるのに失敗し続けているように思われる。
すでにこのブログの「放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか」で述べたように、東大の放射線医学の中川恵一氏や長崎大学の医学者、山下俊一氏は3月22日の段階で放射性物質による健康被害の可能性について極端に過小評価する発言を行っていた。福島県庁に特別に招請されて放射線医学の専門家として現地に赴いた山下氏の真情に私は深い敬意を抱くものである。だが、放射能による健康被害について妥当でない発言をされ、過度に「安全」を強調されてきたことについて私は疑義を示したのだった。
この文章のテーマについては、熊本大学の医学者、粂和彦氏はツイッターでやり取りさせていただくとともに(http://togetter.com/li/119830参照)、氏の「メモログ」に文章を寄せてくださっており(http://sleep.cocolog-nifty.com/)、科学情報の市民への適切な提供について考える助けとなる点が多い。
4月9日に読ませていただいた「放射線の健康に対する影響の「語り方」」にはとくに参考になる点が多い。ここで粂氏は私のブログの「放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか」について、「この文章については、ほとんど異論がありません」と述べて下さっている。健康被害の可能性について過小評価されている点について、私が述べた疑義が妥当なものであることを裏付けていただいたと受け取っている。
粂氏はただ、3月22日の段階で放射線医学者がそのような語り方をしたのは理解できるという。それは浴びても危険ではない放射能について「緊急時の短時間の限界」について語っていたからだ。その場合は放射性ヨウ素以外のセシウム等の核種による健康被害の可能性については無視してよい、あるいはわざわざふれなくてもよかったのだという主旨だろう。「科学的に間違ったことは、書かれていなかった」かどうかは科学者による今後の検討に待ちたい。私は市民、とりわけ地域住民に対する科学的情報の提供の仕方が適切ではなかったと考えて前の文章を書いたので、そこは今もまったく変わらない。
粂氏は今は状況は変わった。「緊急時の短時間の限界」ではなく「平時に準ずる長時間の限界」について語るべき時に至ったという。今や住民はセシウム等の発する放射線による健康被害に対して適切な情報を得て、対策を立てるべきときに来ているのだということだろう。私の大学の同僚である中川恵一氏や、福島県の住民のための助言活動をしておられる(おられた)はずの山下俊一氏や、3月30日にテレビ朝日の番組「そうだったのか!池上彰の学べるニュース~これからどうなる?どうすればいい?東日本大震災」で同様の発言をされた村松康行氏(学習院大学教授、元放射線医学研究所)はこの点についてどう考えておられるかうかがってみたいところである。
原子力工学の専門家も放射線による健康被害について語る医学者も、当初、この原発事故の危機的事態は短期に収束するものと考えており、まずは不安によるパニックを抑えるべきだと強く考えていた節がある。「安全」が強く説かれた一つの理由である。だが、事故の収束まで時間がかかりそうだということは、大量の水漏れが発見された24日の段階ではすでに予想できるようになっていだ。土壌の汚染の長期的影響について、朝日新聞の3月27日の社説は「福島第一原発からの放射能による水や土壌の汚染が重くのしかかる」と述べていた。
私は27日にツイッターで、「「直接、健康に影響はない」はずの被ばくの危険について。福島県を中心に若い人へ情報提供が求められている。とくに子供のある人に対して。@KazuhiroSoda 子供のいる人は特に必読。武田邦彦「結局、子供はどのぐらい被曝するか?」http://bit.ly/dFQ6j2」と述べていた。私には武田氏(中部大学教授)の情報提示は専門家としての責任感に裏打ちされた、たいへん適切なものと思われたのだ。その後も武田氏は科学的知識に裏打ちされた適切な情報提供を続けておられる。
しかし、その後も政府・福島県、メジャーなメディア、そして多くの医学者はこの点についてあまり語ろうとしていない。4月9日のNHKスペシャル「東日本大震災・1ヶ月 原発事故の行方を検証」では、福島市のわたり病院(福島市渡利)の斎藤紀医師の発言でさらに危惧が高まった。私の記憶が誤りでなければ、斎藤氏はセシウム等による晩発性の健康被害、具体的にはがん発病のリスクについて語りはしたが、それが発病するまでにできることがたくさんある、その間に医学が進歩するから対処できる、さらには福島原発で働いている人の被ばくについてもっと懸念すべきだ、国難を救うべく働いてくださっている方々なのだ──という主旨のことを述べていた。
この番組では、それに先立って30キロ圏の外ではあるが数人の子供がおり、その地に居住していることに不安を覚えている家族が映し出された。もし避難できるなら避難したいが経済的なあてがない、また家族が離散するのはしのびないと涙を流す母や祖母の姿と言葉に、視聴者はこうした人たちに何とかしてあげられないものかとの思いにかられただろう。私もそうだ。だが、その番組の流れの中では避難するよりも家族の団結を尊ぶべきだとの考えが基調をなし、行政側が避難を含めて住民に適切な援助の手をさしのべるべきだという提案はなかったのではないか。もしあったとしても目立たなかった。
このように医学者・科学者、そしてメジャーなメディアが放射性物質による健康被害の不安を抱く地域住民に対して冷淡な理由が私にはとても理解できない。このことはツイッターで度々述べ、不安をあおる言説、空気が読めない言説として「空気」圧を受けてきた。「ベクレルが高い」言説などと陰口をたたかれたものである。この点で、粂氏の「放射線の健康に対する影響の「語り方」」は事態の新たな段階を知らせるもののようにも思われる。
地域住民の放射能健康被害への不安に対して、適切な情報を提示し、子供や若い夫婦らには避難という選択肢もあることを、メディアは示してもよい時期に来ている。すでに相当数の避難者が出ているが、それに対する行政側の援助は及んでいない。行政は避難する者、残留する者双方に対する援助について考慮すべきである。とくに、避難者と残留者の絆の維持が可能ように方策をとってほしい。健康被害についてまともに語ろうとしなかったことが、このような遅れをもたらしている。その点でも放射線医学の専門家の「安全」論に大きな問題があったといわざるをえない。
では、これは「権利」の問題だろうか。粂氏は「とすれば、10ミリSvへの対策は、個人の自由と権利を尊重する日本では、個人が判断する権利があります」、「20km圏の外側の地域で、特に放射線強度が高い地域では、そこの住民が今後の対策を立てる「権利」があると考えます」と述べている。確かにこれは「権利」に関わる事柄である。適切な医学情報を提示されていない住民は、この数週間の間、たいへん重要な「権利」を否認されてきたことになる。何とか将来生まれ来る子供たちを含め、地域住民の権利を大切にしていただきたい。
だが、私は「権利」という言葉だけではこの事態を十分に捉えきれないような気がしている。子供のいのちが避けられるかもしれない重い病に犯されないようにしたいという願いは、子供の権利の擁護に通じるのは当然として、親の願いでもあり、地域住民の共有する願いであり、もっと多くの関与者の願いでもあるだろう。行政やメジャーなメディアはこの願いをともに担おうとしないのだろうか。それは地域住民に対する不誠実であり、そのいのちを軽視することではないだろうか。広く分け持たれている共同価値が脅かされているのだ。日本の公共空間のために守らなければならない何かがあると感じている。地域住民の方々の生命や生きがいこそこの問題で尊重されるべき第1のものだが、それは地域住民だけの事柄ではないと思うのだ。
粂氏の「放射線の健康に対する影響の「語り方」」は、私の中にわだかまるさまざまな思いを解きほぐす助けとなった。その点で氏に大いに感謝している。上に述べてきたことが、医学者、科学者の考え方と私のように人文学にどっぷり浸かってきた者の考え方の橋渡しになれば幸いである。もし混乱を増幅するようなことになっているとしたら、粂氏のみならず読者諸氏のご教示をちょうだいしてあらためていきたいものである。
藤名さま
コメント、ありがとうございました。久しぶりにお話できてうれしいです。どうぞ直接、メールで連絡してくださいs-siso@mbd.ocn.ne.jp。
島薗進