このブログ(「島薗進・宗教学とその周辺」)に私なりの「疎開のすすめ」を記したところあ(「死の影に塞がれた心に新たな光を ――疎開と世代間連帯――」)、以下の拙文の後に貼り付けたコメントをいただいた。いろいろと考えさせる内容で、お寄せくださった方に大いに感謝している。立場の弱い方々のことを尊びたいという考えに大いに共鳴できる。だが、やはり私はぽつぽつと「疎開」が進むのがよいと思うので、その理由を記したい。
被災地からの「疎開」も進めたいが、原発被害の可能性を考えて東日本を離れる「疎開」は、子供や妊婦が主になると思う。放射能による長期的な健康被害が予想されるのは、まず小さないのちだからだ。そしてそれはガソリンや電気や食料、その他のさまざまな資源の欠乏に苦しむ東日本の負担を減らし、日本の中での負担を皆で分かち持つという助け合いや地域や世代の力の融通につながるという効果も考えている。
加えて、もし原発の状態がさらに悪化した場合、多くの人が東日本を離れるようなことがあるとすれば、まず一部の子供や妊婦などは先に場所を移しておいた方がよいのではないかという段階的な移動という効果も想定している。
首都圏での経済活動の主要な担い手であるような人々が首都圏から西へ「疎開」するというようなことは、よっぽどのことだ。それもないとはいえないが、それは「疎開」とは異なる「大量避難」であり「難民化」だろう。数年前のニューオリンズの大ハリケーンの時はそういうことがあり、貧しい人だけが残され、いわば棄民として犠牲となった。今度はそういうことはほとんど想定できないと思う。
自家用車で「疎開」する人がいるとしても、その車が西へ移動してそちらへ残れば、東でのガソリン消費量は減るだろう。往復にガソリンを使うようなことはできればやめてほしい。ただ、その場合、家族らを送って帰ってくる人は比較的、経済的に豊かかもしれないが、東の人々とともに東の生活を支える覚悟で帰ってくるわけだから、「逃げ出す」わけではない。
もう一つ、この「疎開」はすでに福島県民については、かなり実際的な問題だろう。宮城県、茨城県、栃木県の人にとっても無視できない段階に来ているかもしれない。やがて首都圏にも広く及んでくるかもしれない。今のところ、首都圏では「疎開」を考えている人はそう多くない。原発の状況が悪化して、たとえば自宅退避の地域が30キロを越えるようになれば、にわかに現実味を帯びてくるだろう。その場合、「疎開」ラッシュ、あるいは「大量避難」に似たようなことが起こらないとも限らない。
首都圏まで含めて疎開を早めに考えておくことは、もしかして起こるかもしれない将来のラッシュを抑制し、ぽつぽつとことを進めていくという効果がありうる。たとえていえば時差出勤のようなものと考えてもよいかもしれない。だが、すでに停電や買占めや外出抑制等でストレスを抱えている首都圏の子供たちの心身の健康を考えれば、時宜にかなった措置ともいえるのではないだろうか。
なお、原発の影響とはかかわりが少ない被災地の方々の「疎開」、あるいは「一時避難」ももちろんたいへん意義深いことであり、こちらの方が先に実行されていると思う。これは阪神淡路大震災やその後の他地域での震災で経験があることだ。あるいは三宅島の噴火などの際の子供・生徒の一時移住が思い浮かぶ。しかし、今度の場合、被災地も前例をはるかに超えて広汎である上、原発の危険が広がるとなると、まったく異なる規模となる。戦時中の「疎開」が思い浮かぶのはこのためだろう。
そのような新しいタイプの「疎開」が、必要になっていることを念頭において、いざというときに備えて、大規模な「疎開」も念頭に置いた試行がなされてもよいだろう。すでに宗教界などが試行的な受け入れを始めており、頼もしい。もしかして大規模な「疎開」が行われるとしよう。その際、政府の指示などではなく、民間の自発的な活動がどこまで創意を発揮しうるだろうか。試行を通して学ばれたものが活かされるとすれば、そんなよいことはない。また、もし幸い、大規模な疎開など必要ないということになるのであれば、もちろんそれにこしたことはない。その場合でも、疎開の試行は将来に備えて、また新しいタイプの社会関係の模索という上からも、それなりのプラスの意義をもつだろう。
****************************************
「死の影に塞がれた心に新たな光を ――疎開と世代間連帯――」へのaraiさんからのコメント
島薗先生 twitterでの発言を読んでコメントさせて頂きます。内田樹教授の「疎開のすすめ」を支持されるということですが、現在東京にいる者とし て、今すぐ疎開をすすめるのは軽挙だと感じました。その理由は、twitterをご覧になればわかるように、今まさに被災地や被災地救援のためにガソリン を含む燃料が喫緊だからです。ガソリンがないため避難できず避難所で過ごす人たちは厳しい冷えと食糧医薬品の不足のため更に状況が悪化しています。地震と 津波は天災ですが資源配分の失敗は人災です。一昨日くらいから東京を脱出しているのは外国人や裕福な人たちが主です。生計や介護などのために東京を離れら れない大多数の人々は不安からパニック買いに走り物資不足に拍車をかけています。今このタイミングで有識者が東京を離れることを薦めれば、この傾向は更に 強まり自家用車での脱出のためのガソリン確保、公共輸送機関のチケット争奪戦、そして東京以西での滞在先確保が起きるでしょう。その結果クラウドアウトさ れるのはより持たざる者であり、特に被災者に振り向けることが可能な資源(燃料や滞在先)が東京の人間に回ってしまうのは更なる不公平です。 私は「戒厳令」という手段を支持する者ではありませんが、3月11日以来の混乱を見ていると、非常時に平時の「市場による資源配分」が危機の時には命を 奪う構造となっていることを感じます。私企業であり株主に対する法的責任を有する東京電力や鉄道会社に緊急時の対応を「丸投げ」したことで事態は悪化しま した。また、現在「政府からのお願い」に基づいて自動車メーカー等が節電のために工場を停止していますが、これも法的にはおかしいことです。日本社会が有 事の資源配分メカニズム構築を怠ってきたツケが東北なかでも福島の人々に回されている状況は胸をふさぎます。 しかしダニエル・デフォーが「ペスト」で書いたように、災厄は日常生活の中での壁をとりはらい、we are all on the same boatという真理に気付く機会にもなり得ます。(災厄に意味がある、と言っているのではありません。)今朝私は改めて天井と壁に守られた家に住んでいる こと、電気と水道があること、家族が無事であることの喜びをかみしめました。そしてそれらを奪われている被災者の方、ホームレスの方の痛みを思います。危 機にあたって私のできることは僅かですが、東京にとどまって、マザー・テレサが言われたように小さいことを大きな愛をもって行いたいと考えています。普通 の市民が真面目に働いて消費をし余剰から寄付をする、そのことの大事さを噛みしめています。先生も異国の地にあっておつらいでしょうが、どうか今この時を 大事になさって下さい。長文失礼しました。