科学者の信用どう取り戻す――日本経済新聞10月10日号の記事の示唆するもの

日本経済新聞10月10日号に滝順一編集委員「科学者の信用どう取り戻す ―真摯な論争で合意形成を」という記事が掲載された。その前半部は以下のようなものだ。

「科学者の意見が分かれて誰を信じてよいのかわからず、途方に暮れる。そんな状態が人々の不安を助長し、科学者への不信を増殖する。いま最も深刻なのは低線量放射線の健康影響だ。

1カ月前、福島医科大学で放射線の専門家が集まる国際会議が開かれた。年間の被曝量が20ミリシーベルト以下なら過度な心配は要らない。集まった科学者の多くがそう口にした。「できるだけ低い線量を望む気持ちはわかるが、20ミリシーベルトを超える自然放射線の中で健康に暮らす人が世界には多数いる」と国際放射線防護委員会(ICRP)のアベル・ゴンザレス副委員長は話す。

年間100ミリシーベルト以下の被曝では、後々がんになる危険(晩発性リスク)が高まることを実証するデータはない。安全のためどれほど少なくてもリスクが存在すると仮定し被曝を避けるのが基本だが、喫煙などに比べてとりわけ大きな健康リスクがあるとは言えない。これが世界の主流をなすICRPの見解だが、強く批判する声がある。

低線量被曝の晩発性影響を語る基礎データは米軍による広島、長崎の被爆者調査から得られた。調査を受け継ぎ発展させてきたのは日米共同の放射線影響研究所だ。「ICRPも含め、核や原子力を使う側が設けた組織が示す基準が本当に信用できるのか」と東京大学の島薗進教授(宗教学)は疑いを投げかける。また、データは大勢の人の被曝状況と健康状態を追跡して統計的に割り出す疫学研究による貴重な成果だが、「細胞生物学やゲノム(全遺伝情報)など最新の知識を反映していない」と児玉龍彦・東大教授(内科学)は指摘する。

ICRPの見解を支持する科学者はこうした批判や挑戦に対し、国民に見える形で説明や反論する必要がある。批判する側も既存の基準に代わる目安を示してはいない。いま目にするのは、科学の論戦でなく、2陣営に分かれた非難のつぶての投げ合いのようだ。」(引用終わり)

以上を受けて、滝氏は科学者は国民に分かるような反論を行い、討議を進めるべきだと論じている。だが、これまでの経緯を見ると放射線の健康影響の専門家がそうした討議の場に出て来ることができるのかどうか、大いに危ぶまれる。滝氏は最後に「社会と科学のコミュニケーションは双方向であるべきだ。ICRPの基準は今なお安全を考えるよりどころである。科学者は専門性の高みから教え諭すのではなく対話の姿勢が要る。再び信認を得るためには」と述べている。これこそ日本学術会議の哲学委員会が求めてきたことであり(私のブログ記事を参照していただきたい)、専門科学者や大新聞の科学ジャーナリズムが失敗してきたことである。滝氏は科学が信認を失ったと認めているのだが、それを簡単に取り戻すことができるとは考えにくい。

これに対して、一つの答になるかもしれない文章が、首相官邸ホームページに掲載されている。原子力災害専門家グループのコメントの第16回、長瀧重信「サイエンス(科学的事実)とポリシー(対処の考え方)の区別」HPhttp://www.kantei.go.jp/saigai /senmonka.html 。である。滝氏はICRPが世界の科学者を代表する機関と見なしたいようだが、長瀧氏はICRPはポリシーの機関と述べている。原発開発推進を前提に核保有国が進める世界政治にのっとったポリシーを作る機関と見なすのがこの問題を論じてきた人文・社会学者の中では有力だ。

だが、長瀧氏はICRPはポリシーの機関だとしても、別に「放射線の影響に関する国連科学委員会」UNSCEARがあり、こちらは純科学的機関だという。UNSCEARが「科学」ICRPが「ポリシー」の役割分担があるという見方だ。

「UNSCEARは、純粋に科学的所見=≪サイエンス≫から調査報告書をまとめる事を意図して作られた組織です。一方、 ICRP は、このUNSCEARの報告書を基礎資料として用い、政治・経済など社会的情勢を考慮した上で、総括的な勧告=≪ポリシー≫を出しています。」他方、「UNSCEAR(放射線の影響に関する国連科学委員会)は、科学的事実に基づ いて核実験の即時停止 を求めるなどの提案を行う意図で設置されました」という。したがってUNSCEARの「報告書は、独立性と科学的客観性が保たれています。」

長瀧氏のこの説明は妥当だろうか?ここで人文・社会科学者の研究の成果を参照しよう。1955年の UNSCEARの設立について、中川保雄『放射線被曝の歴史』(初版、1991年、新版、2011年10月刊。ここでは初版から引用する)はUNSCEARは「名称こそ科学委員会とされているが、科学分野ではなく国家の代表から構成された。アメリカが強い反対を押し切ってそのようにしたが、そ の大きなねらいは、人類的影響を問題にする遺伝学者を排除して国家的利益を前面に押し 立てた議論へと持ち込むことにあった。もちろんアメリカの代表団に遺伝学者は一人も選ばれなかった」。

中川の論述をさらに追おう。

「ビキニ後の放射線問題の行方を決める議論が展開されたこの時期、アメリカ原子力委員会は、遺伝学者の声を可能な限り封じ込めようとしていた」。アメリカを代表する遺伝学者の「マラーが1955年の国連の原子力平和利用会議で、放射線の遺伝的影響について報告しようとし た。そのことを知った(アメリカ)原子力委員会は、圧力をかけてマラーの発表を行わせなかった。この例のように、原子力委員会は微量放射線の影響をもとに放射線に安全線量は存在しないとする主張を徹底的に排除しようとした。」(『放射線被曝の歴史』p78)。

長瀧氏はUNSCEAR は純粋科学機関というが、UNSCEARも政治的な機関としてスタートしたことが明らかにされている。もっともICRPと UNSCEARがずっと一枚岩というわけではない。対立する局面もあった。中川『放射線被曝の歴史』は数年後の展開を次のように述べている。

「ガン・白血病の発生率が被曝線量に比例す るかどうかという問題が1957年から1958年にかけて、放射線の危険性をめぐる論争の中心点となった。ICRPの主要メンバーはアメリカ原子力委員会やNCRPと同様にガン・白血病の発生には「しきい線量」が存在する、と考え た。」(中略)「国連科学委員会の方は周りの状況がICRPと少々異なっていた。委員会にはソ連とチェ コスロヴァキアが加わっていたからである。両国の代表は、核実験の停止を求める科学者たちの主張に従い、ガン・白血病の発生率は被曝線量とともに増大す る、とアメリカ、イギリスなどの代表の見解を真っ向から批判した。アメリカをはじめとする多数派は、ガンや白血病などの放射線の長期的影響と低線量被曝との関係は分かっていないし、放射能障害の中にはしきい線量の存在するものも多い、また発現するまで長期間かかるので放射線以外の要因の影響と区別ができない、と主張した。

要するに、よく分かっていないという理由で、ソ連・チエコスロヴァキアの意見を、核実験の即時停止要求とともに葬り去ってしまった。しかし多数派の主張そのものは科学的根拠にかけるものであったから、国連科学委員会は結局、「いかに少量の放射線でもこれをうけると有害な遺伝的影響と、また多分身体的影響が起こることを免れない」と、極めて曖昧な 表現ではあったが、微量放射線によるガン・白血病への影響も認める表現を採用した」。(『放射線被曝の歴史』p88-9)。

IC RPとは立場を異にすることがあったとしても、政治的な妥協の産物を示すのがUCSCEARの役割だったことがよく示されている。

日本経済新聞滝順一編集委員の10/10記事の問題提起に戻るが、「科学者の信用をどう取り戻す」という題もその内容も、科学畑のジャーナリストの当初の自信が著しく揺らいでいることを表していた。首相官邸HPの 長瀧重信氏記事9/29がICRPは科学的機関ではない、政治的機関だと認めた上で論を立て直そうとしているのも、専門科学者側の立場挽回の努力を示すものといってよい。だが長瀧氏が現在 ICRPを支える科学的機関だというUNSCEAR(放射線の影響に関する国連科学委員会)もやはり政治的機関としての性格が濃いことは中川保雄の論述を見れば明らかだろう。そこでは、放射線の健康影響の分野は国際的な科学的討議が政治を離れてなされなくなってしまったことが如実に示されている

ICRPや UNSCEARを持ち出しても科学者の信用は取り戻せない。関連分野の科学者やジャーナリストは、まずこうした歴史についてしかりとした学問的認識に学ぶべきではないだろうか?科学的機関ではない政治的機関が科学の信用を落としてきた歴史に学ぶ必要がある。首相官邸のホームページも原子力災害に対する信頼できる識者の意見を示そうというのなら、そろそろ従来の政財官各界と学界の関係を見直してあらためて人選すべき時ではないだろうか?国民に開かれた討議がなされ、多様な意見が見えた上で国民が判断できるようにしてはどうか。大事な事柄が隠されているのではという疑心暗鬼が不安を高めている。情報を隠さず提示し、公論を尊ぶことが国の力になる。新聞などのメディアもその点で大いに貢献できるはずである。

(10月14日午前、加筆。)

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