国家神道は解体されたか?

「戦後の国家神道と宗教集団としての神社」圭室文雄編『日本人の宗教と庶民信仰』吉川弘文館、2006年4月、482−504ページ
以上の論考の第1節のみ掲載します。全体は、『日本人の宗教と庶民信仰』をご覧下さい。


一、「国家神道の解体」の実態
 第二次世界大戦後の日本の宗教のあり方は、国家神道の解体と信教の自由の確立によって特徴づけられると考えられている。敗戦までは国家神道が国民の宗教的観念・実践の中心にあって高い地位を与えられ、他の諸宗教は従属的な立場に甘んじざるをえなかった。戦後は国家神道が解体されて神道も含めて諸宗教集団が対等の地位を与えられ、個々人は自由に宗教を選び取ることができるようになった。宗教構造のこの大きな変化は、一九四五年一二月に連合国司令部(GHQ)が示した「神道指令」(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)によって定められた。
敗戦に伴う宗教構造の変化について以上のように記述することは誤りではない。だが、ここで「国家神道」とよばれているものが何を指すかについては、実は大きな見方の相違がある(島薗 二〇〇一b、二〇〇一c)。当然のことながら、「国家神道の解体」が何を指すかについての考え方も大きく異なる。第二次世界大戦後、六〇年を経ようとしている現在において「国家神道」がどのような状況にあるのかについても理解は混乱している。「国家神道」という語がさかんに使われていながら、その実態については個別的な知識や一方的な見解が述べられるのみで、バランスのとれた総合的な論述がなされることはほとんどない。
 こうした混乱の要因はかなりの程度、神道指令自体にある(大原 一九九三,新田 一九九七)。神道指令の正式な題を見れば、この文書は「国家神道の解体」をこそ意図したものだと解するのが自然である。では、その「国家神道」とは何か。神道指令の後半の説明部分には、次のように定義されている。「本指令ノ中ニテ意味スル国家神道ナル用語ハ、日本政府ノ法令ニ依テ宗派神道或ハ教派神道ト区別セラレタル神道ノ一派即チ国家神道乃至神社神道トシテ一般ニ知ラレタル非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道ノ一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」。これによれば、国家神道とは神社神道のことであり、「国家神道の解体」とは神社神道を国家神道ではない状態にすること、すなわち神社神道を国家から切り離すことを意味することになる。国家と神道教団の分離こそが国民の信教の自由,あるいは宗教という側面での精神の自由、思想信条の自由の核心ということになるだろう。
 しかし、実際には神道指令はそれ以外のことに多くの注意を注いでいる。とりわけ、「神道ノ教理並ニ信仰ヲ歪曲シテ日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ誘導スルタメニ意図サレタ軍国主義的並ニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用スルガ如キコト」が再び起こらないようにするという目的があげられており、そのための方策が多々あげられている。神道指令はこれを「イデオロギー」による歪曲の問題としているが、そこには「日本ノ天皇ハソノ家系、血統或ハ特殊ナル起源ノ故ニ他国ノ元首ニ優ルトスル主義」といった内容も含まれている。そもそも「国体」の観念はこの「イデオロギー」と不可分のものだろう。だが、「神道」がこうした「イデオロギー」によって「歪曲」されたとして、それが「国家神道」とどのような関係にあるのかについては神道指令は何もふれていない。「国家神道の解体」に「神道のイデオロギーによる歪曲からの解放」が含まれていると理解するのも自然な構成になっているが、そう理解してよいのかどうか曖昧なままである。
 「国家神道」とは何かという問題について、神道指令が混乱をもたらした要因は他にもある。とりわけ国家神道の重要な構成要素と理解されることが多かった皇室神道や皇室祭祀について、ほとんど何もふれていないことである。戦後、天皇と神道祭祀の関わりはどうなったのか。明治維新以来、国家秩序の根幹に関わる祭祀として重視されてきた皇室祭祀はどの程度変化し、どこまでその意義を弱めたのか。これは国家神道がほんとうに「解体」されたのかどうか、解体されたとしてどのような意味で解体されたのかという問題の核心に関わる事柄である。ところが昨今の国家神道についての多くの論議において、この問題について十分な論究がなされていない。これにはさまざまな理由が考えられようが、神道指令が「国家神道とは神社神道である」というたいへん狭い、行政用語に基づく定義を採用したことに一因があることは否定できないだろう。
 このように神道指令が定義する「国家神道」があまりに限定的な意味をもっているために混乱をもたらしているという認識のもとに、筆者は広い意味でこの語を用いることが現状に即していると考える(島薗 二〇〇一b)。広い意味で「国家神道」の語を用いる村上重良の用語法(村上 一九七〇)が極端に流れているところを修正して、この概念を鍛え直そうという立場に立っている。すなわち、国家神道とは国民の統合や国民の忠誠心の強化と結びついて、主として国家機関を通して広められ、多くの国民に受け入れられた神道的な観念や実践を指すものとして用いる。
皇室祭祀・皇室神道はこの意味での国家神道の重要な要素である。戦前の制度において、皇室祭祀は国民的な行事だった。皇室祭祀にあわせて祝祭日は行われており、天皇に敬意を払うことは皇室祭祀が前提とする世界に参与することを意味した。皇室祭祀は天照大神の血を引く天皇の祭祀であり、国民は祭祀王の性格をもつ天皇への崇敬を通して国家的な神々の世界に連なる体制になっていた。「日本ノ天皇ハソノ家系、血統或ハ特殊ナル起源ノ故ニ他国ノ元首ニ優ルトスル主義」は皇室祭祀が国民皆の関わるべきもので、天皇崇敬が国民のアイデンティティの基礎にすえられたことと深く関わっている。神道指令が「神道のイデオロギー的歪曲」ととらえたものは、皇室祭祀に高い地位を与えた、明治維新以降の国家主導の「祭政教一致」のコスモロジー体系と分かちがたく結びついていた。神道の歴史を理解する上でも、他の社会との比較を行う上でも、そして、近代日本国家を支えたコスモロジー=イデオロギー構造の全体像をとらえる上でも、これらを広く国家神道ととらえるのが適切だというのが筆者の立場である(島薗 二〇〇一c)。
では、一九四五年を区切り目とする制度変革によって、広い意味での国家神道はどのように変化したのか。それはどこまで「解体」し、どこまで生き残ったのか。国家神道が今も生きているとして、その実態はどのようなものなのだろうか。そこにおいて、皇室神道・皇室祭祀はどのような位置を占めているのか。また、宗教集団となった神社神道はどのような位置を占めているのか。天皇崇敬や国体の観念の存在形態は戦前とどのように異なるのだろうか。このような諸問題の個々の内容については、多くの論述がなされてきている。だが、その全体像について明示的に論じた文献はほとんどない。この論考で筆者が試みるのは、第二次世界大戦後の広い意味での国家神道の全体像を展望することである。それによって、国家神道とは何か、現代日本に生きる者にとって国家神道はどのように存在しているのかという問いに迫ることができるだろう。それは近代日本の宗教史を再構成する作業の欠くことのできない一局面となるはずである。

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