創価学会の平和主義と憲法9条解釈

『UP』2014年9月号より

【集団的自衛権の閣議決定と公明党】
 二〇一四年七月一日の集団的自衛権の閣議決定をめぐる公明党の態度は、支持者である創価学会の会員にとっても分かりにくいものだったようだ。創価学会について宗教思想史の側面からいくつかの研究論文を発表してきた私のような宗教研究者にとっても、理解が容易ではなかった。
 七月三日の『東京新聞』は、共同通信による世論調査の結果をこう紹介している。「集団的自衛権の行使容認に慎重だった公明党が最終的に行使容認へ転じたことについて支持層の四九・〇%が「納得できない」と答え、「納得できる」の四二・四%を上回った」。首相が政府、与党に検討を指示してから約一ヶ月半で行使容認が閣議決定されたことについて、公明党支持層の七九・九%は「検討が十分に尽くされていない」と回答しているという。


 この記事は、「党実行部は「集団的自衛権は極めて限定的だ」として理解を求めているが、支持者らの根強い不満が明らかになった」としているが妥当な評価だろう。これとは別に創価学会の広報室のコメントも掲載されている。「公明党が、憲法九条の平和主義を堅持するために努力したことは理解しています」というのだが、これは十分に納得できるものではないとの意見が会内で大きいことを匂わせるものだ。また、「私どもとしては、今後、国民への説明責任が十分果たされるとともに、法整備をはじめ国会審議を通して、平和国家として専守防衛が貫かれることを望みます」との見解も示したという。
 だが、「国民への説明責任」と言っても納得できるような説明ができるものだろうか。同じ世論調査では、公明党の姿勢転換について、野党支持層の大多数が「納得できない」と答えたという。民主党は八〇・四%、日本維新の会は八三・八%、みんなの党は八〇・〇%、共産党は九四・二%である。
【支持層の公明党離れ?】
 公明党支持層の不満は七月一三日の滋賀県知事選からも露わになった。自民党・公明党が推す小鑓隆史候補が卒原発を掲げる嘉田前知事を引き継ぐ三日月大造候補に敗れた。『朝日新聞』は同社の出口調査の結果を次のように紹介している。

 公明支持層は九二%が小鑓隆史氏に投票し、みごとに固めたかに見える。だが、調査回答者に占める公明党支持層の割合は三%余、公明支持層は熱心に期日前投票に行く傾向があるが、今回、県内四市で実施し合忌日前投票の出口調査でも公明支持層の比率は四%台。一二年衆院選と一三年参院選の期日前出口調査でともに一〇%を超えていたのに比べ、減り方は尋常ではない。
 集団的自衛権をめぐる与党協議では一致点を見いだしたが、公明の地方組織では反発も強かった。小鑓陣営は公明の協力は十分に取り付けたと自信を見せていたが、公明は期日前投票の号令を出すのが遅れたうえ、当日投票でも回復できなかった。末端で「自公協力」が十分機能しなかったことが結果に直結した。

 「号令」という言い方はおもしろいがそれはさておき、安倍政権の政策に対する公明党支持層のこうした反応は、これまで公明党や創価学会が述べてきたことを振り返れば、まったく不思議なことではない。閣議決定がなされる七月一日の朝日新聞朝刊は、「「平和の党」越えた一線」という見出しを含む記事で、この間の経緯を述べている。

 「集団的自衛権の行使に断固反対する」。公明党は一年前の参院選でこう訴えていた。だが、平和の理念を掲げる一方、連立与党の権力からは離れられず、安倍晋三首相に押し切られた。公明党が長年掲げてきた「平和の党」の旗は、皮肉にも結党五〇年の節目の年に大きく損なわれた。

 この記事は、公明党が一九六四年の結成以来、平和主義憲法を守るとの一線を譲ることはなかったことについて、こう要約している。

 危機は何度もあった。野党だった81年、結党以来「違憲の疑いがある」としてきた自衛隊の存在を三年越しの議論を経て合憲と認めた。九二年のPKO協力法、九九年の周辺事態法、二〇〇三年のイラク特措法……。
 党是と真っ向からぶつかるたび、「それでも日本の平和主義は守る」と主張。あくまでも憲法九条の枠内に収める努力を続けてきた。
 だが、今回の集団的自衛権の行使容認は、戦後日本が踏みとどまってきた憲法解釈を変更する点で、過去の例と決定的に違う。そもそも「憲法改正が筋だ」と繰り返し語ってきたのは山口代表自身であり、創価学会広報室も同様に見解を公表した。

【池田名誉会長とトインビーの対話】
 過去数十年間にわたって、平和と自衛権についての創価学会の考え方は、池田大作名誉会長(第三代会長、一九二八- )の思想を規範としてきた。池田名誉会長が牧口常三郎初代会長、戸田城聖二代会長とともに、日蓮仏法を現代にふさわしい形で展開させた。とくに平和と自衛についての考え方は、池田名誉会長とアーノルド・トインビー(一八八九―一九七五)との対話『二十一世紀への対話』(文藝春秋、一九七五年、講談社、一九七八年)によって基準線が敷かれていると信じられてきいる。以下、一九八〇年刊行の聖教文庫版、全四巻によって、その内容を紹介していこう。
 両者の対談は、一九七二年、七三年に行われ、原著である英語版はChoose Life: A Dialogue, Arnnold J. Toynbee and Daisaku Ikedaと題され、日本語版と同時期に刊行されている。この「対話」は第一部「人生と社会」、第二部「政治と世界」、第三部「哲学と宗教」の三部に分かたれており、第二部は聖教文庫版では第三巻に収められている。その第二部はさらに、第一章「二〇世紀後半の世界」、第二章「軍備と戦争」、第三章「政治体制の選択」。第四章「一つの世界へ」から成っており、6節の内の4が「“平和憲法”と自衛」と題されている。
 この節の最初の発言で、池田は現代国家の武力は強大なものとなり、かつての防衛力という考え方では捉えられないものになっているという。「つまり、武力をもつ大義名分は、現代においては、すでにその根拠を失ってしまったと私は考えるのです」。トインビーもこれに応じ、現代国家は「本質的に他国を傷つけるような、また他国政府に正当な苦情の根拠を与えるような、国家的行動、政策を放棄しなければなりません」と述べる(九三―九四ページ)。
 続いて、池田は日本の軍備をめぐる論争について紹介し、次のように述べている。

 自衛権は、対外的には、いうまでもなく、他国の急迫不正の侵略に対して、国家の自存を守る権利です。それは、対内的には、そして根本的には、国民の生きる権利を守るという考え方に根ざしています。すなわち、個人の生命自体を守るとい、自然法的な絶対権の社会的なあらわれが国の自衛権であると思います。であるならば、その自衛権をもって他国の民衆の生命を侵すことができないのは、自明の理です。ここに自衛権の行使ということの本質があります。(九八ページ)

 続いて、池田は「問題は、あらゆる国が他国の侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化して」いる事にあるという。その結果、世界に人類の生存を脅かす戦争が充満し、それに対抗しようとする「自衛」のための措置も強大化せざるをえない。したがって、「国家対国家の関係における自衛の権利と、その行使の手段としての戦力というとらえ方では、もはや解決できない段階に入っている」という。

 もう一度出発点に返って大きい視野に立つならば、一国家の民衆の生存権にとどまらず、全世界の民衆の生存権を問題としなければならない時代に入っていると考えます。私はこの立場から、戦力の一切を放棄し「安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の公正と信義に託」した、日本国憲法の精神に心から誇りをもち、それを守り抜きたいと思うものです。そして、それを実あらしめるための戦いが、われわれの思想運動であると自覚しております。(九八―九九ページ)

 これに対して、トインビーはこう応じている。 

 もし日本がその現行憲法の第九条を吐きするとしたら――いや、さらによくないことは、破棄せずにこれに違反するとしたら――、それは日本にとって破局的ともいうべき失敗となるでしょう。(九九ページ)

 この『二十一世紀への対話』は池田大作の四〇編近い(二〇〇三年まで)“文明間対話”の中でも重要とされるもので、創価学会のメンバーにもよく読まれているものである。

【池田名誉会長とクーデンホーフ伯の対話】
 ところで、それに先立って、池田大作は一九七二年に行われたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯(一八九四―一九七二)との対談『文明・西と東』を産経新聞に連載し(一九七三年)、翌年産経新聞社から刊行している。クーデンホーフ伯は日本人の母をもつオーストリア人として一九二〇年代からパン・ヨーロッパ運動を進めてきた政治家で、“ヨーロッパ統合の父”の一人に数えられる。このクーデンホーフ伯との対話でも、池田は平和主義の立場を強く主張している。『池田大作全集 第一〇二巻 対談』(聖教新聞社、二〇〇三年)から引用する。

 池田 あなたは、日本が平和憲法のもとに、今日の発展をみたことは、各国の模範とすべき先例と見ておられますが、私は、日本は軍事力なしに偉大な経済発展を遂げたのではなく、軍備をもたなかったから、現在の発展があったのだと考えています。(七九ページ)
 池田 私は、戦争や暴力は、すべて悪であると断定せざるをえません。とくい、現在のような国際情勢のもとにおいては、戦争や暴力を否定して。平和主義を貫くことが、重要であると思います。

 また、米中ソの三大国の対立について、両者の間で次のようなやり取りがなされている。

 クデーンホーフ 日本も米ソ中の三大国の間にあって、(第一次世界大戦――島薗注)当時のベルギーと同じような立場にあります。そこで、米ソ中三ヵ国と中立保障条約を結べば、日本はいずれの国の衛星国にもなることなしに、しかも、戦争が起こった場合、他の二ヵ国は、長期にわたって日本を守る義務を負うことになります。
 池田 これは大変むずかしい問題ですね。もし、仮に一国が日本を侵略した場合、それが核兵器によるものであれば、壊滅的破壊を受けることは必至です。万一、三ヵ国全部が参戦することになれば、形のうえでは独立が守れたとしても、国家としては、実質的にもはや立ち直れない状態となってしまうのではないか、とさえ思います。
 私は、なんとしても、日本は完全中立を志向して、戦争なき平和な世界、さらには国境なき世界の実現に向かって、積極的に働きかけていかなければならないと信じております。(八四ページ)

 少し先の箇所では、池田は日本はアジアの一員であるという自覚のもとに平和に貢献すべきだと述べて、さらにそれを「仏教の平和思想」と結び付けている。

 池田 本来、アジアの底流にある仏教の思想は、本質的に平和思想である、これは仏教三千年の歴史が証明するところです。日本で仏教を新たに蘇生させたわれわれとしては、この平和的宗教・思想を伝えていきたいと念願します。そしてアジア諸国民が主体性をもって平和を築いていかなければならない、と考えます。
 このようにして、アジアは、力によらず、仏教の平和思想によって、調和ある平和世界の実現に寄与していかなければならない、と思うわけです。私はこの思いをいだきつづけているわけです。(九〇―九一ページ)

【宗教集団の利益と公共的な政治理念】
 以上に引用してきたような池田大作名誉会長の考え方は、四〇年にわたって平和や自衛についての創価学会の考え方の基盤として尊ばれてきものだ。二〇一四年七月一日に公明党が同意した閣議決定の内容な、明らかにこうした「仏教の平和思想」の立場にそぐわないものだ。多くの創価学会員がそう感じていると想像される。他方、にもかかわらず、公明党のこうした姿勢を、創価学会は組織として支持しようとしているようである。それはなぜだろうか。

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