創価学会の仏教革新―戸田城聖の生命論を仏教思想史上に位置づける

「新宗教と現世救済思想――創価学会の仏教革新」高崎直道・木村清孝『シリーズ・東アジア仏教4 日本仏教論――東アジアの仏教思想Ⅲ』(春秋社、1995年9月)より

1 はじめに

 都市化や情報化が進み、激しく変化していく世界の中で、実践される宗教としての仏教、また実践者の集団としての仏教教団はどのように変容していくのだろうか。二〇世紀の後半の世界で、どちらかと言えば衰退傾向にある多くの伝統仏教と対照的に、たくましい生命力を発揮して世界の人々に受け入れられてきた実践仏教運動がいくつかある。アメリカ合衆国やヨーロッパ・台湾などで熱心な信徒を集めているチベット密教や禅仏教、タイの都市大衆を引き付けているタンマカーイやサンティ・アソークなどはその例である。霊友会系の教団や真如苑など、日本の新宗教の中の仏教運動もそれに含まれる。しかし、世界の広い地域でもっとも多くの人々をまきこんで展開している運動は、いうまでもなく日蓮正宗・創価学会の運動である。


 東アジアに視野を限定してみよう。この大乗仏教圏の実践集団において、近代以降に起こった最大の変化は、既成寺院勢力、諸宗派勢力の衰退ないし儀礼仏教化と、大衆参加的法華 (日蓮) 仏教集団の興隆である。東アジアにおける仏教勢力配置図を思い浮かべてみよう。二〇世紀後半の数十年の間に、創価学会と霊友会系教団などの巨大な大衆仏教勢力、とりわけ法華・日蓮仏教勢力が登場し、わずかの間に勢力配置図を大きく塗りかえてしまった。中でも創価学会の発展は目ざましく、第二次大戦後五〇年の間に、この地域の最大の実践仏教集団にのしあがった。これは二〇世紀における大乗仏教のドラスティックな変容の一幕として歴史に残ることではなかろうか。
 本槁の課題は、創価学会を例として、この変容の思想的な側面に光をあてることである。この変容を信仰実践の形態や集団活動や組織の形態の変容という側而から考察してみることも、もちろん大事な課題である。が、ここでは思想に話題を限定したい。日本を発生源とするこれらの大衆仏教運動の思想の特徴は、「現世救済思想」という一語に集約できると筆者は考えている。そこで、創価学会において現世救済思想がどのようにして成立したか、という問いをたてよう。この問いを解く鍵は、創価学会の二代会長であった戸田城聖の思想、とりわけその「生命論」を理解することにありそうだ。
 現在の創価学会では、「生命」はその信仰と運動の根本を指し示す語と考えられている。創価学会が「仏法」を説こうとするとき、まず掲げられるのが「生命の法理(哲理)」「生命的思想」などの語である。

 仏法が真に偉大であるのは、人生、社会の主体者である人間の幸福をいかに確立するかという大目的に対して、もっとも本源的である生命と真っ向から取り組み、その科学的分析の結果を、すべての一般庶民が実践できる原理として確立しているところにあります。
 日蓮大聖人は、この釈尊以来の仏法の伝統を受け継ぎ、否、それを根源的に展開させ、生命の法理をもとに一般庶民が幸福になる実践的方法まで明確に体系づけられたのです。このような科学的根拠をもった大原理に対する信仰こそ、全人類が求めているものであることは明らかでしょう。(『改訂版創価学会入門』)

 信仰の人とは、真理を謙虚に求めてゆく人であり、人間の尊さ、生命の尊厳を真実に知る人である。信仰は、宇宙と生命への確たる信念であり、英知の源泉として、人間精神の骨格をなすものである。崇高な信仰をたもつ人だけが、人間性の本源に立脚しつつ、生命のたくましい躍動をもって、正しく力強く人生を生きることができるのである。(『人生抄――池田大作箴言集』)

 仏法は人間生命を究極の村象とした哲理であり、私たちの人間革命運動は、内なる字宙、つまり自身に内在する創造的生命を自身の手によって開拓する、人間自立の変革作業である。人間が新たな生命的思想の高みに立って二十一世紀を展望し、築き上げていこうという運動である。(同上)

 創価学会は日蓮正宗の信徒団体として形成され、仏教教義としては日蓮正宗のそれをほぼそのまま引き継いできた。しかし、伝統的な日蓮正宗の教学の中で、生命という語やそれに当たる概念が頻繁に用いられていたわけではない。創価学会は生命の語を用いることによって、実は伝統的な日蓮正宗の教学にある種の変容をもたらしたといえるだろう。では、それはどのような変容なのであろうか。
 創価学会の発足は、一九三〇年に牧口常三郎が『創価教育学体系』を発刊したときの奥付の「創価教育学会」に遡るとされる。創価学会の思想の第一の基盤は、牧口常三郎によって築かれた。しかし、牧口は生命について頻繁に語ることはなかった。牧口の思想の骨格は、「価値論」や「大善生活」の語に要約され、最晩年は「法罰論」を強調したとされる。生命にまつわる思想は、牧口の没後、一九四六年に名を創価学会として運動を再建した戸田城聖の「生命論」によって確立された。そして、戸田の指導のもとに編集され、戦後の大発展期に運動を支えた教義書『折伏(しゃくぶく)教典』(一九五一年)の第一章は「生命論」であり、戸田の論文によって構成されている。創価学会の思想形成史という面から見れば、生命論の形成は牧口の思想から戸田の思想への発展として捉えることもできる。
戸田の生命論の特徴を捉えるには、それが伝統的な日蓮正宗教学をどのように変容させたかを問うとともに、牧口常三郎の創価教育学会の思想に何を付け加えたのかを考察していく必要がある。しかし、紙数の都合で後者の問題は別稿にゆずらざるをえない。すなわち戸田の生命論がどのような内容をもっていたのかについて述べ、それが伝統的な日蓮正宗の教学をどのように変容させたのか、を問うことを本槁のさしあたりの課題としたい。その上で、最後に戸田の生命をめぐる思想が、近代東アジアの大衆仏教運動の特徴的な思想、すなわち「現世救済思想」の形成にどのように頁献したかという問いにまで論じ及びたい。

2 戸田城聖の生命論

 「生命」をめぐる戸田の思想は、彼の獄中体験に由来する。戸田は伊勢神宮の神札奉祠を拒み、天皇不敬の罪を犯したという嫌疑で一九四三年、牧口らとともに囚われの身となった。独房で経典や書物を読みつつ、思い悩んだ末に、戸田はある宗教的確信をもつに至った。その過程では、「生命」の語のひらめきの体験や、仏の会座に連なる自己を幻視するという神秘体験もあったようである。ここでは、質問会で「「南無妙法蓮華経」とは、どのような意味があるのでしょうか」という信徒の問いに答えた際の、簡潔な回顧を引用しよう。

 いまから十年前に、「仏とは何であろうか、いるのか、いないのか」と考え、仏教書を読んだがわからず、無量義経につきあたりました。それには「其の身は有に非ず亦(また)無に非ず……紅(く)に非ず紫(し)種種の色(しき)に非ず」(無量義経徳行品第一)とあり、真剣に悩み考えたすえ「仏とは生命なり」と考えが開けました。そして十界論から南無妙法蓮華経とは仏とはいかなる関係かを悩んだすえ、仏の名であることがわかったのです。あらゆる人の宿命を、転換しうる力を備えられた久遠元初の、宇宙の根本の力と気づき、これよりあらゆる仏典が読めるようになりました。

 「仏すなわち生命」と悟ったところから、宇宙や人間も仏=永遠の生命の現われと捉えられる。字宙・人間の実質とされるこの「生命」は、仏に由来する積極的創造的な力として遍在している。こうした宇宙の生命力の根源が、南無妙法蓮華経を図顕した 「本門の本尊」 である。この本尊を受持し、題目を唱える信仰の行は、個々の生命の積極的創造的な力を発動させる。それが人間の幸福をもたらし、ひいては成仏をもたらすことになる。個々人が幸せになり、それを他者へと及ぼしていくことこそ人間としての使命である。
 おおよそ以上のような論埋が展開していく。これが戸田城聖の「生命論」の概要である。
(以下略)

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