河合隼雄他編『岩波講座宗教と科学5 宗教と社会科学』岩波書店,1992年12月、212‐244ページ
一 科学・宗教・生活知
「創価学会という名前を初めて聞いたとき、どんな学問を研究している団体かと思った。後から宗教団体だということがわかり驚いた。近代人の科学崇拝が宗教の中にもしみこみ、宗教団体が科学を僣称するという現象なのだろう」。ひと昔前、創価学会が話題になるとき、こんな感想が聞かれた。なるほど、一宗教団体が「学会」と称していることは奇妙なことかもしれない。しかし、創価学会の立場からすれば、そこに何等奇異なものはない。創価学会の信仰は真の仏法を代表するが、それはまた最高の哲学であり、科学的真理を代表するものでもある。
「仏法の生命論は、偉大なる法そのものであり、生命の根源的事実に、鋭い直感で迫り、把握した、生命の科学であり、哲学なのです。(中略)
……東洋思想の真髄ともいうべき仏法哲理は、決して過去の遣物ではなく、最も新しい、最も近代的、最も科学的な思想であって、その実践団体こそ創価学会なのです。他の宗教と違って創価学会が躍動しているのは、その根底の理念が、新時代をリードしゆく確固たるものであるからにほかなりません」(1)。
このような創価学会の主張に対して、読者は首を傾げるかもしれない。私も創価学会の思想体系がそのまま科学であるとは思わない。科学を超えた宗教的信仰が人々を結び付ける核となっていると思う。しがし、同時に、科学であるというその主張がまったく空虚なものだとも思えない。創価学会は創価教育学会として始まった。創価教育学会の名が初めて記されたのは、牧口常三郎(一八七一―一九四四)の教育学の大著『創価教育学体系』(一九三〇―三四年)の奥付においてであった。牧口常三郎はこの書物に限らず、地理教育、郷土科教育論などで大きな業績をあげた高名な学者であり、影響力ある教育実践家であった。創価学会の創始者である牧口が、体系的な教育学思想を打ち立てた人物であるとすれば、創価学会の信仰と実践の中に近代科学的なものが濃厚に含まれていて、当然ではなかろうか。
創価学会の信仰と実践は、牧口常三郎の教育学や教育実践とは別の日蓮正宗という源泉ももっている。教育学者牧口は日蓮正宗の信仰世界に出会ったとき、科学の世界を捨て、まったく別の宗教の世界に踏み込んだ、と見ることもできる。一九一〇年頃、私邸で開かれていた郷土会で牧口と知り合い、ともに調査旅行をし、後まで親交のあった柳田国男(一八七五―一九六二)は、牧口の入信を唐突な思想の変化と見ていたようである。
「郷土会は段々会員が増えて一番多い時は十人位の人が私の処へ集つた。早稲田大学の小田内通敏が熱心な分子であつたが、今度の戦争後に創価学会で世間に知られてゐる牧口常三郎などもよくやつて来た。経済地埋学であつたか、人文地理学であつたか、何でもさういふ表題の大きな本をそのころ既に出して居た。細々した処では議論の余地はあらうが、プランがいかにも大きく面白いものであつた。農商務省の嘱託をしてゐるといふ話をきいたが、よくあんなものを書く暇があると感心に思つた。(中略)
牧口君は家庭の不幸な人で、沢山の子供が患つたり死んだりした。細君も良い人だつた、が、夫婦で悩んでゐた。貧苦と病苦とこの二つが原因となつて信仰に入つたのかと思ふ。以前は決して宗教人ではなかつた。創価学会といふのも自分の経済学の方の意見から来た名前で、それを新興宗教の名にしたのは、戸田城聖の仕業か、さうでないまでもずうつと後の考から来てゐると思ふ」(2)。
柳田が見るように、確かに日蓮正宗の信仰世界は、牧口の思考にまったく新しい展開をもたらしたであろう。しかし、それはまた、ある必然性をもった展開でもあった。科学者牧口が捨て去られて、宗教者牧口が生まれたというのではない。科学者牧口が切り開いてきた多くのものが、宗教者牧口によって受け継がれていった。創価学会には確かに科学的なものや近代思想的なものをベースにもった宗教という面がある。
そうした面に早くから注目していたのは鶴見俊輔である。鶴見は創価学会が天皇制式の世襲制をもっていないこと、論理と説得によって他宗教から覚醒させるという布教スタイルをもっていること、自分の力で運命を切り開こうとする「ゴマカシのない働き主義」に立っていること、アメリカ追随主義から自由であることなどの点で革新性をもつと評価している。そして、そうした創価学会の革新性を、鶴見自身の思想のバックボーンとなっているプラグマティズムの影響によると見ている。「牧口においては大正初期の日本思想史に共通した、ジェイムズの,プラグマティズムの影響がある。それこそ真を軽く見て、利を重く見る種類のプラグマティズムであって、それは、牧口以後の、牧口からかなり遠く離れてきた今日の創価学会の哲学をも決定的に色づけている」。また、それは日本文化における「アマチュア大量参加の時代」である大正時代の学風にふさわしいものとも論じている。
このように牧口の思想の骨格を大正時代に形成されたものとし、その源泉をプラグマティズム(的な価値思想)に見ようとするところから、創価学会の思想の形成史は、次のように整理される。(1)郷土史、(2)郷土史+価値論(カント研究)、(3)郷土史+価値論+教育学、(4)郷土史+価値論+教育学+日蓮正宗。この見方では、牧口の思想の核心はカント(主義)の価値論を学び、それを修正したことによって、すなわち第二段階において、ジェイムズらのプラグマティズムの影響下で成立したことになる。このように牧口の「価値論」にその思想の核心を見る見方は、鶴見だけではなく、多くの牧口論者によって分かちもたれている。
鶴見の牧口論は、創価学会の思想の基盤となっている近代的なもの、科学的なものと牧口の思想の関連をしっかり捉えている。しかし、丁寧な注解を付した、『牧口常三郎全集』』(一九八六年―)(以下、『全集』巻数と略す)の刊行が進み(4)、彼の業績の全貌が捉えられるようになってきた現在、多くの修正も必要になっている。とくに「価値論」を牧口思想の核心とする見方、大正期の意義や、アメリカ思想の影響を重んじる見方は修正されなければならない。
以下に述べるように、牧口の思想の骨格は一九〇三年刊行の『人生地理学』以来、ほとんど変わっていない。たとえば、「利」を重んじる考え方は、すでにこの書物の中にある。そして、その源泉はアメリカのプラクマティズムではなく、ペスタロッチ(一七四六―一八二七)やスペンサー(一八二〇―一九〇三)らの近代教育思想にある。これらの教育思想は牧口だけではなく、日本の教育運動に広<影響を及ぼしてきた。大正時代の「新教育」の運動や、その後の生活綴り方運動の根も大正期に導入されたプラグマティズムというより、明治一〇年代以来さかんに学ばれた近代教育思想に主たる源泉がある。近代教育思想といってもその幅は広いが、ここで注目するのはペスタロッチに代表される「直観教育」の思想、あるいは「生活知開発」思想とでもよぶべき流れである。牧口は西洋の生活知開発思想を日本に根付かせるのに大きな貢献をした人物と見ることができる。『現代目本の思想』で鶴見が「日本のプラグマティズム」とよんだ生活綴り方運動(5)も、生活知開発思想を実践に移した、もう一つの形態といえるであろう。
生活世界の中の知のあり方を見ると、体系的な科学や宗教の知とは別に、さまざまな知識や技術がある(6)。生活知はかつては民俗的な知識の体系の中に埋め込まれ、口頭伝承や見様見真似で伝えられていた。ところが都市化や産業化が進む社会では、生活知は意図的に学ばれ、伝えられなければならなくなる。学校教育においても、生活から遊離した知識の「注入」を避けようとずれば、生活知の開発が必要になってくる。
生活知開発としての教育は、子供たち一人一人が身近な生活環境に向き台い、自発的な学習によって観念や知識を身につけることを目指すものである。それはまた、子供たちそれぞれが全人的に発達することを目指すものでもあった。全人的な発達には道徳や宗教が関わらずにはいない。ペスタロッチの教育思想と教育実践の背景には、深いキリスト教の信仰があった。牧口が「利」とよぶもの、すなわち現実的で有用な知識を重んじるタイプの近代教育運動も、民衆生活の根である道徳や宗教に深く関わらずにはいないだろう。
近代の生活知は、科学と道徳や宗教が交わる思想的闘技場のうちにあった。教育現場がその渦に巻き込まれるのは当然かもしれない。生活知開発思想を深く身につけた牧口常三郎が、いつの日か宗教へと強くひかれていったのも、けっして偶然のことではない。また、そこに科学と宗教の関わりについての独自の思索が展開するのも奇妙なことではないであろう(7)。
注
(1) 創価学会教学部編『創価学会入門』聖教文庫、一九七一年、五九、三二三頁。
(2) 『故郷七十年拾遺』(『定本柳田国男集』別巻三)、四六六―四六七頁。
(3) 柳田邦夫・森秀人・しまねきよし・鶴見俊輔『折伏――創価学会の思想と行動』産報、一九六三年、二五〇―二六八頁。
(4) 斉藤正二他編『牧口常三郎全集***』第三文明社、一九八六年。
(5) 久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』岩波新書、一九五六年、第三章。
(6) 「生活知」の語は、たとえば伊藤笏康『科学哲学』放送大学教育振興会、一九九二年、でも使われている。私の用法は、R・ホートンやC・ギアーツらが用いる「常識」の概念や、渡邊欣雄が用いる「民俗的知識」の概念を参考にしている。R. Horton, “African Traditional Thought and Western Science,”in B.R.Wilson, ed., Rationality, Basil Blackwell,1970. C・ギアーツ「文化システムとしての常識」(梶原景昭他訳『ローカル・ノレッジ』岩波書店、一九九一年、原著、一九八三年)。対馬路人「科学的信念と宗教的信念」(宗教社会学研究会編『現代宗教への視角』雄山閣、一九七八年)。渡邊欣雄『民俗知識論の課題』凱風社、一九九〇年。
(7) 牧口常三郎の生涯と思想について述べたまとまった書物の主なものを次に掲げる。聖教新聞社編『牧口常三郎』聖教新聞社、一九七二年。D・M・ベセル著、中内敏夫・谷口雅子訳『価値創造者――牧口常三郎の教育思想』小学館、一九七四年(原著、一九七三年)。熊谷一乗『牧口常三郎』第三文明社、一九七八年。斉藤正二『若き牧口常三郎』上、第三文明社、一九八一年。