大谷いづみ先生を囲む集い(東京) 報告

1 日時:2017年11月12日(日)10:00~13:30

2 場所:上智大学7号館3階哲学研究室

3 参加者:関係者をいれて20名(部屋の規模からいって満員に近かった)

4 前半の講義の主な内容:

5 今回の事態をどうとらえ、どう向き合えばよいか

6 総括と方向性

以下、4、5、6についての詳細です。

4 前半の講義の主な内容:

(1)大谷先生の講義「尊厳死言説の現在-10年の成果」

・配付資料をもとに以下の話をされた。

<事件が起きるまで>

・経歴は皆さん知っていると思うので省略したい。尊厳死言説史の博論を書きあげた直後、学部の再編で子ども社会専攻の立ち上げを準備している方から声をかけられ、一本釣りで産業社会学部への着任が決まった。ポストは「道徳教育論」だが、私学の初等教育なので「いのちの教育」も開講して専攻の目玉にしたい、着任にともなって「生命倫理学」も開講するので、生命倫理学を専門としてやってもらえる、ということだった。「いのちの教育」という名称は何とかならないかと話したが、文科省にも届けてあり無理ということなので、受けいれた。結果として、「生命倫理学」「いのちの教育」「道徳教育論」のほか、教育実習指導など、相当な負担を負うこととなった。

・学部が社会学部なので「いのちの教育」が流行る社会的文脈を批判的に扱えるということで、「生命倫理学」「道徳教育論」ともども、私なりの視点で講義を展開して軌道に乗せた5年目が終わる2012年3月に、過労から自宅で転倒して両足骨折し、それとほぼ同時に事件が起きた。その後、まとまった研究も教育もできなくなって5年と8ヶ月になる。

・都立高校教員時代に上越教育大学の大学院に派遣された。そこでは、現場と違いじっくり研究ができる、夢みたいだと思っていたが、教えていないと自分の研究も自分自身も「痩せてゆく」のを実感した。私にとって、教えること、研究をすること、生きることが一体のものであることをその時自覚した。

<相模原事件と安楽死言説>

・尊厳死を語る入り口として、最初に相模原事件を考えたい。この事件は、ケアをする人間が障害者は不幸をつくるしかないとして「「安楽死」を実行した」という事件。彼の犯行前の手紙やその後の獄中での手記を見ると確信犯である。その声がネットでは貧困層の若者を中心に共感が広がっている。

・一方、橋田寿賀子氏のように富裕層で「安楽死で逝きたい」という願望を表明する人間もでてくる。その後の『文芸春秋』のアンケートでも、安楽死・尊厳死を否定した人間は4人しかいない。富裕層での発言と貧困層での発言をつながりとして考えると、表裏一体のものだが、そのように考える人間はほとんどいない。スイスは1970年代に自殺幇助を合法化した。現在、現地の死ぬ権利推進団体が海外からの幇助自殺希望者を受け入れて致死薬を処方し、自殺幇助している。橋田壽賀子氏は、日本の文化人・知識人ではじめてスイスの自殺ツーリズムで死にたいと表明したのではないかと思う。

・私は、映画が好きで授業でも使っている。最近の映画では、『母の身終い』、『92歳のパリジェンヌ』などがスイスへの自殺ツーリズムを扱っている。ここまではまだ葛藤が描かれている。しかし、2016年の『世界一キライなあなたに』ではハリウッド型の純愛ものとして描かれてそこには何の葛藤も問いかけもない。また、BBCのドキュメントなどでも肯定的にえがかれる。一般に、白人中産階級が安楽死を肯定している雰囲気がある。橋田氏の発言はそれと地続きである。

 

<尊厳死言説へのこだわり>

・このように、安楽死のハードルが低くなってきている今、私が尊厳死言説にこだわるきっかけとなったのは、国分寺高校で生命倫理の授業を受けた生徒の文章である。物静かで、気配りがきくいわゆる「いい生徒」である彼は「老人や重度障害者が、社会のために、自ら尊厳死選ぶように支援し導くような社会こそが進化した社会だ」と書いた。これを見て、教育の怖さ、「私は何を教えてきたのだ」という思いが消えなかった。生命倫理の教育をやればやるほど逆の結果がでてくるという痛みで、これを超えることが課題となった。

・そもそも「尊厳死」が延命治療の差し控え・中止に限定されるのは日本独特の現象で、欧米では「尊厳を持って死ぬこと」といえば、致死薬の投与や処方を指す。つまり、日本でいう「安楽死」や「自殺幇助」との区別はない。そのねじれがなぜ起きたのか、その編成過程を研究してきた。

・「尊厳死」とは、スローガン風にいえば「自分らしく、人間らしく、尊厳を持って死にたい」という発想。自分らしく、人間らしく、尊厳をもって死ぬまえに自分らしく、人間らしく生きるということが先にあり、結果として「尊厳ある死」が実現するはずだが、「尊厳死」の思想は、「尊厳ある死」に「唯生きているだけの、惨めな生物学的な生」を対置させて排除する。

・第二次世界大戦後は、「安楽死」という言葉がナチスによる心身障害者の組織的虐殺であるT4「安楽死」政策と結びついて血塗られた言葉となったこともあり、日本では受け入れられない傾向があった。しかし、潔い死に方という意味で、日本的な文脈で肯定されている部分もある。日本で「安楽死協会」をたちあげた太田典礼は、「日本尊厳死協会」への名称変更は、情勢への対応と言っている。

 

<アメリカでの安楽死問題>

・アメリカでは安楽死は「死ぬ権利」運動として、権利として進められてきた。その背景には、同時期に生成・発展した、「生命倫理学」、「死生学」という新しい学際的な学問分野がある。「生命倫理学」は、「人間」とは理性的で自己意識がある存在(=パーソン)だけを限定し、それが欠けている人間は生物学的なヒトではあっても、パーソンではないという理論によって、胎児の中絶や脳死の人や植物状態の人を死なせることを正当化する。ここには欧米圏の「自律する個人」という人間像がある。また、キリスト教倫理で自殺がタブーであることの対抗言説として、死の自己決定権を打ち出してきた側面もある。

 

<自己決定と安楽死、尊厳死>

・死の自己決定というが、本当に自分で決めているのかは大いに疑問。一つには、「常識の権力作用」という側面。「自然であること/自然でないこと」や、「幸福/不幸」の区別には、世間体、経済的条件が意識的無意識的に作用している。その権力作用の中で、自ら選んでいるように見えながらも、実は選ばざるをえないような状況におかれ、結果として、生命を質によって序列化し、質の低い生命を死へと廃棄するという現象が起きている。

・他方、限られた資源では全員は生きられないという経済倫理や、老い・病・障害を持っている人間は健全な若い人に席を譲るべきという世代間倫理という圧力が加わっている。最近のはやりでは、「持続可能な社会」という言説もそれにあたるだろう。

・日本では死の自己決定権という権利の言説はなじみにくい。だが、「天命」といわれれば受け入れ易い風土がある。他方、英語圏では死ぬ権利だけではなく「死の義務」論がすでに1997年に登場している。病み衰えたら人は自己決定によって死ぬ義務があるという主張だが、日本人には親和的である。

 

<生命倫理教育の怖さ>

・死の義務論に近いものが日本の教育の方向に入ってくると怖いものがある。日野原さんのように105歳の死の直前まで健康であることが賞賛され、そうでなかったら尊厳死という考えが教育のなかですり込まれていくことが懸念される。生命倫理教育やデス・エデュケーションのなかで「それもしかたないよね」という形ではいってくるとそれを批判するのは厳しい。さらに、経済教育、法教育などでの自己決定・自己責任論や経済倫理と結びつくと自分で選ぶ正しい死に方というような形で規範化されていく可能性がある。

・病み衰えたときには死にたいと思っていても、そのときになったら、人間は変わる。本当に死にたいと思うかどうかは分からない。10分前に死にたいと思っていても、10分後には生きたいと思ったりもする。死にたいという訴えは、死にたいほどの苦しさを分かってほしいという訴えでもあるはずだ。

・欧米では、死ぬ権利というが、自己決定が常に尊重されているわけではない。イギリスのレスリー・バーク裁判では、植物状態になっても栄養分と水分の補給は続けて欲しいという自己決定の要望への当否が争われたが、この要望は医師の裁量権の範疇として却下された。この裁判は、生命倫理学や医事法の文献にほとんど出てこない。この事例は、生命倫理学というディシプリンの方向性をよくあらわしている。

・QOLの概念の二重性からも、ある生の質が改善できないほどのレベルの場合には、産ませない、死なせてあげる方が良いという発想がでてくる。これを先駆的にキリスト教神学や聖書学の言葉を使って展開したのが、アメリカ聖公会の神学者、J.フレッチャーである。彼は、自由意志と隣人愛の言辞を用いて、安楽死や強制的不妊処置を権利から義務に反転させている。

・日本での強いられた死、それも伝統的美徳として語られる死は切腹でも、特攻隊でもエリートのための死刑や戦闘の強いられた死の形態であり、けっして自由に選んだ死ではないし庶民には縁遠い。エリートのみに名誉として許された強いられた死が、「潔い死」というあたかも伝統的な美徳であるかのように、教育の場で規範的に語られる時、特に自己肯定感が低い者にとってどのような影響があるか。それをしっかり考えたい。

・富裕層の死の自己決定権の主張、安楽死の思想は逆転して、自分たちの死へのハードルを低くしたり、逆に他者を犠牲にして自分の承認を得ようとしたりするような行動になってゆくのではないか。その意味では、先にもふれたが、橋田氏が主張することと相模原事件の植松被告の主張は表裏一体であることを認識しなければいけない。

 

<「問い」をたてなおす教育へ>

・そのようななかで、教育で何ができるか。それは答えを求める教育ではなく、良く生きるということに関するかたちに「問い」を立て直すことだと思う。例えば、「尊厳死を促進することが進化した社会である」と語らせてしまう社会とはどういう社会なのか、ある生(重度障害など)を惨めな生と思ってしまうあなた、そして、私は何者なのかという問いを立てて考えてゆくことである。

・『はじめて出会う生命倫理』の「終わりに」のことばと、立命館での「生命倫理学」の受講生の言葉を紹介して本日の話を終わりにしたい。

・「老い病み衰えた者を大切にしない社会が、健康な者を、若者を、大切にするだろうか。「役に立たない」者を切り捨てる社会が、役に立つ者を使い捨てにしないだろうか。生命倫理のトピックからは、人が痛いほど周囲の承認を求めていることがみえてくる。…私たちは智恵と知識を多様な存在と生命の排除と廃棄の倫理的正当化のために使うのではなく、多様な存在である「わたし・たち」の生存と共生のために使えないだろうか。――必要なのは、あれかこれかの究極の選択に追い込み追い込まれて、答えを見いだすことではなく、第三の道をさぐるための「問い」に問いを立て直すことである。」「終わりに」より

・「時代・社会の違いによって「望ましさ」が簡単に塗り替えられていく。私たちは、その「望ましさ」を操作している枠組みを科学的にとらえてゆくことが求められる。そうしなければ、私たちはいともたやすく人権を踏みにじり、他者を犠牲にできる。社会が推し進めるスローガンという、安心して頼れるものに考えずに従うだけでは、社会が抱える不都合を見抜けず、むしろ加担してしまう。」受講生の言葉

 

(2)講演に関する質疑

Q:最近起きた座間の事件をどう考えたらよいか?生徒のなかには「死にたい奴は死なせればいい」と答えるものもいる。

大谷:子どもが「ほっといてよ」いうのは、「私のことを見て」ということだろう。言葉は本心と一致しない。私も一度だけ親に「死にたい」と言ったことがあった。その時、母親は包丁を持ってきて「今死になさい。親だから死体くらい片付けてあげる」と言われた。今の親は同じことはできないだろう。言ったら本当にやってしまう恐れがある。それだけ死へのハードルが低くなっている。高校教師時代から、教室に2人や3人はリストカットしている生徒がいることを前提としていた。大学の講義でも、あなたの隣に、いま、死にたいと思っている学生、家族を自死でなくした遺族の学生がいるかもしれない、そのつもりで受講して欲しい、コミュニケーションペーパーを書いて欲しいと言っている。

Q:そこまでやらないといけないか?

大谷:教育には属人性がある。話し手、聞き手、場所の力に左右される。一般化してだれでもどこでもできるということはない。

Q:T4で、なぜ反対にあったが現場で続けられたのか?

大谷:反対は周りの人間だけでなく、ナチの内部からも批判、中止要請があった。続けられた理由の一つには、食糧難がある。飢えさせるより、安楽死させた方がよいという判断もあっただろう。これに関わった医者はそのノウハウを東欧の絶滅収容所でのホロコーストに使った。T4はホロコーストのプロト・タイプとなった。

Q:質問と言うより感想を述べたい。一つは、役に立たないから死なせるという発想は、効率の価値に私たちが捉えられているからだと思う。もっと言えば、フランクフルト学派が指摘した理性という思想の限界が露呈しているのではないかと思う。もう一つは、家族の介護や終末医療の経験から言って、介護労働にはゴールがない。ゴールがない労働に従事している人たちにとってのモチベーションは何かを考えさせられている。

 

5 今回の事態をどうとらえ、どう向き合えばよいか

 

(参加者からの発言は、イニシャルとする。)

立岩:11月6日に京都で支援の会を立ち上げた。ここでのポイントは、大学学部の対応が悪かった。今も悪いということである。大学を動かすために、外側からの力をかけるしかないという段階。ツイッタ―やHPでこの事件を知らせたい。大学も気にしていることは事実である。

大谷:障害があるので、人の3倍努力して、2倍の結果を出して、それで一人前見られるのだと覚悟して生きてきた。「いつも元気で明るい、障害をものともせずに克服してきた障害者」という、世間が期待する障害者像を内面化してきた。今回の事件は、その障害者像から外れて役に立たなくなったらどうなるか、ということをあらわしている。控訴審の申立書を書く段階でそれを直視せざるをえなくなった。

重度障害を持った人間がPTSDで損害賠償請求する初めてのケースかもしれない。それは重度障害を持った人間の社会的無力をあらわしている。重度障害者はそもそも高等教育や就労の機会から疎外されているし、裁判を起こすだけの情報、お金、人的ネットワークがない。その意味では、控訴することに意義があると思っている。

PTSDに関する裁判所の判断を覆すことも重要。一審では、PTSDの専門医の診断に対して、理由も書かずに否定している。逃げようと思わなかったのかと何度も聞かれた。それができるような状況ではないことを説明しても、被告側は、1分程度のことで、竹刀を振り下ろしたわけでも、助けを呼ぶのを制止したわけでもないと主張している。こういった主張は、性被害のケースと通底している。

今回の件で、これまでいい関係だった人でも、お前のせいで俺は迷惑をかけられているという形で、親切が一瞬にして攻撃や憎悪に変わる怖さを体験した。

私は権利を前面に出して主張するタイプではない。義務だと思わないと権利を主張できない。障害はなおらない、学校にはでてゆけない、裁判まで起こしているという意味では学部では問題視されているだろうが、この種の落とし穴のトバ口はどこでも転がっていると思う。今回の控訴は声なき声を背っていると思っている。

 

参加者A:二つの問題に分けて考えたい。

一つは、講演での生命倫理の問題。この問題の重要性は十分本日の講演で理解した。もう一つが大谷さんの復帰問題。これはどこを押せば、誰に押せば事態が動くのかを見極めて行動することが必要。その手段として、総長に手紙を書くなどの行動が有効ではないか。

参加者B:大谷さんのケースは、いつでもだれでも起こる問題であると理解した。教えている生徒でも親が死んだり、事故にあったりした場合、すぐに生活にこまって進学できなくなることも起こる。非常勤で仕事をしている私でも同様である。裁判を通して、理不尽な事態が法的に救われることを期待したい。

大谷:こういう状態にあっても、大学は私をすぐ首にはできない。それだけ制度的には守られている。しかし、同じことが学生に起こったら、学生は声をだせず黙って去ってゆくしかない。非常勤勤務のケースも同じだろう。京都での集いが新聞にでたことで、多少の歯止めにはなるかと考えている。(以下、大谷補足)しかし、残念なことに、学部執行部は、加害者は更生し、被害者であるわたしは回復せず迷惑をかけ続けているという物語を強化するために、簡単に立証できるような嘘と印象操作を連ねた「事実経過概略」を教授会で回収資料として配布することまでしている。こんなことは、立命館大学の教学理念にも、自主、民主、公正、公開、非暴力の原則を持つ立命館憲章にも反する。つらい状況にあることは確かだが、いまやっていることは、真に立命館の発展のためであると信じている。

 

(ここまでで、予定時間になり。いったん休憩。時間的に残ることができた人たちと懇親会形式で意見交換を行う。)

 

参加者C:大谷さんの話を聞いて、葛藤が深まった。私は精神科勤務からカウンセラーとして独立したが、管理者の立場としてリスクの高い人を拒否するという理由も分かる。また、拘束などを続けているとそのことに葛藤をしなくなる看護師の気持ちも分かる。死にたいという人は、何も寄る辺のない状態の混乱よりも、自分のなかでのストーリーの中で生きている人もいる。そんな現実と大谷さんの話と自分がどこまでアジャストできるかを考えたい。

参加者D:障害者のサポーターをしている。ワンポイントはできるが、行動を伴にしてみてゆくことは厳しい。先日、キリマンジャロに車いすの人二人の補助で行った。一人は、訓練をした頑張る人、もう一人はすべて介護が必要な人。私は後者の人を担当したが、悪戦苦闘した。よくやっていますねと賞賛されることもあるが、完全に預けられた時にどこまでできるのか、大谷さんの話を聞いて、触れたくなかった自分の根が見えてくる。助けることができている自分とそうでなくなった自分を線引きして考えないことができるか突き付けられた。

参加者E:74歳になった。きれいに死にたいと思いつつ、なるようになるしかないとも思っている。生まれたときは意識して生まれたわけではない。死ぬ時だけ意識できるのかはわからない。大谷さんの復帰の件では、総長に手紙を出すというのはいい方策だと思う。

参加者F:この件で思っているのは、なんでだろうということ。相手がなぜひょうひょうとして復帰しているのか。被害者が苦しんでいるのに聞いてもらうところがない。大学の弱腰が目について、その背景に何があるかがわからない。何か「忖度」が強すぎるように思う。このような集いがあることで、大学に対してあなたたちの行動を見ているということを知らせることでも力になるのではと思う。

参加者G:今の大学がどういう組織になっているか外からは分からない。立命館は「平和と民主主義の学校」のはず。そこでこのようなことが起こるのは、どんな組織なのか。外の人間はどこを押したらよいかわからない。

参加者H:大谷さんが元気そうでよかった。もっとひどい状態かと心配していた。今回の事態を学問的につなげることはできるけれど、それだけでは解決しない。裁判をやっても裁判所は真実を追求するところではないと体験から言える。今年から私は大学に移ったが、大学は大変なところ。どろどろした世界。オレはここでは常識人じゃないかと自覚した。今回のケースもほとんどの教員は無関心なのでは。

参加者I:とにかく大谷さんに現場に戻ってほしいと思う。それには外圧がないとだめなのかなあと思わざるを得ない。相手方を裁判で傍聴したが、大学に危機意識があったら、こんなことにはならなかったのでは。裁判は民事訴訟だが、これは刑事事件ではないのかと思わざるをえない。

参加者J:座間の事件、生徒からは「死にたい人間をやったのだからいいじゃないか」との声がでてしまう。自己責任論が根強いということを実感している。生命倫理教育は難しい。欧米のものは功利主義と結びついているのではと思う。それを撃てるかどうか。復帰の件では、大学への圧力が必要。今、キャリア教育に関係しているが、大学とのトラブルの矢面に立つことが多い。そこから考えると、ネットワークで事態を知らしめてゆくことが力になるかと思っている。

参加者K:大学に対して内部覚醒を求めるのは無理。総長、学部長、理事会に訴えることが必要。特に、民間人が入っている理事会への圧力は有効では。大谷さんには、ぜひ再び以前のようになってほしいと思う。

参加者L:自分の経験からも大谷さんの苦しみが良く理解できる。ただ、解決に向けてどのようにかかわっていったらよいかが難しい。本日の会合などの情報を出していいのかどうか迷うことがある。今回のような授業を受けられてよかった。

参加者M:祖父の介護を手伝っている。認知症気味で、老いることが怖くなることがある。死の哲学などを学んでいるが、安楽死はありじゃないかと感じることもある。死にたいという気持ちを持っている人間に対する支援の状況を作り出さないといけないと思う。今回参加して、まだ学生の気持ちでいたが、教えている先生たちの世界の問題を知るチャンスにもなった。

大谷補足:「元気に見える」だろうなと思う。いまの授業でもそうだが、学生はわたしのおかれた状況を夢にも思わないだろう。語り対話することでエネルギーが沸いてくる。他方、その後の疲れ方も尋常ではない。案配は難しい。今朝も宿泊先で足がうまく動かず転んだ。装具で守られて打ち身で済んだが、5年前の転倒がそうであったように、普通の人ならちょっと転んだに過ぎないことが取り返しのつかないことにつながる。つらいことを人にはいわずに笑ってごまかす姿勢は身について離れない。一昨日の障害の主治医の診断ではストレスと疲労による引きこもりで手足の動かし方を忘れてしまっている、体重減も拍車をかけているとのことだった。学部との交渉の度に1キロ体重が落ちる状況が続いているので、納得できる。それでも、マイナスの経験から「よく生きること」を学んで前を向いていこうとする自分の姿をみて、学生も「よく生きる」ことを学んでくれると信じている。「死にたい」という言葉の問題とも通じるが、表層に現れたものの影に隠れたものをどう見据えていくかが大事なのだということを、もう一度繰り返しておきたい。

 

6 総括と方向性

以下のことを確認して、散会した。

・本日の集いを機会に、支援の運動や輪をひろげてゆく。

・基本は、個人で自分のできる範囲で情報や行動を行なってゆく。

・できる内容としては、

①大学への圧力をかける。それには、大学関係者への手紙を出すなどの行動がある。

②個人での発信。自分がかかわっている仕事や研究のネットワークに大谷さんの実情を知らせるなどの行動もある。

③各人の生き方を振り返るきっかけにする。これは個人の内面の問題であるが、支援の大事な要素。

・今後、一年に二度程度の集いを持ち、大谷さんの講義と問題解決の状況の確認というスタイルで行ってゆく。

・事務作業などは新井が当面担当。カンパは歓迎。会計報告をする。

 

以上 記録と文責新井(見出しは新井が付けた。なお、大谷先生による補足が一部にあり。)

 

 

 

Shimazono について

宗教学、近代日本宗教史、死生学などを学んできました。広く文化に関わることに関心をもっています。
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