「国家神道」を島薗と同様、広義に用いる論者は多い――実証性を強調する歴史学者、山口輝臣氏(東京大学准教授)は事実を尊んでいるか――

2018年10月に刊行された『戦後史のなかの「国家神道」』(山川出版社)という書物で、編者の山口輝臣(東京大学大学院総合文化研究科准教授)は、島薗の国家神道論について次のように述べている。

このような形で登場し、現在も展開されている島薗説であるが、「国家神道」やその周辺について、ある程度専門的に研究したことのある研究者――多くの分野にまたがるが、例示すれば、日本近代史、神道史、日本宗教史、宗教社会学、憲法学など――のなかに、支持者はほとんといないのではあるまいか。だからと言って、もともと「通俗的な用法」をもとに立論をしているのだから、島薗はなんらの痛痒も感じていないのだろうが。(192-3ページ)

 これは事実を踏まえた言及だろうか。実際には、島薗が用いるのとだいたい同じ意味で「国家神道」を用いる論者は多い。以下にいくつかを紹介する

1)国学院大学の神道文化学部の元教授の岡田荘司は編著『日本神道史』(吉川弘文館、2010年)で、「宗教学者島薗進は、近代国家神道の前身を「神道」の成立に求め(中略)、「古代国家神道ともよぶべき神祇祭祀体系(国家神道の古代的原型)」に「神道」の成立を求めた」と、拙稿「神道と国家神道・試論――成立への問いと歴史的展望」(『明治聖徳記念学会紀要』復刊第四十三号、2006年)を、岡田自身の神道・国家神道理解を支える論として引いている。

2)金沢大学人間社会学研究域歴史言語文化学系准教授の上田長生(ひさお)は「明治前期の陵墓・皇室祭祀の特質」高木博志編『近代天皇制と社会』(思文閣出版、2019年)で、宮内庁が管轄する陵墓の研究があまりなされていないが、実はたいへん重要である理由について、次のように述べている。「近年の国家神道論での問題提起もこれを支えてくれる。島薗進は、『国家神道と日本人』のなかで、国家神道を考える際に、皇室神道を切り離す問題を指摘している。皇室神道の重要な一角をなし、在地社会との関わりを持つ陵墓とその祭祀の形成過程を解明することは、国家神道の批判においても大きな意味を持つだろう。」(116ページ)

3)北海道大学准教授(憲法学専攻)の西村裕一は「近代憲法史の中で見た天皇の生前退位」『法律時報』89巻12号(通巻1118号)(2017年11月)において次のように述べている。「とはいえ「右派」の生前退位否定論者は、日本国憲法の第1章を強調する一方で、第3章が定める政教分離原則への敵意を隠していないことも事実である。ここで彼らが意図しているのは、GHQが発した「神道指令」によって切り離された皇室祭祀と神社神道との関係を復活することであり、この点において「神道指令」を超克して、国家神道の復興を目指そうとする神社本庁および神道政治連盟の立場(38)と軌を一にするものであると言えよう(39)。ところで、島薗進によれば、「神道指令」が皇室祭祀を大幅に保存したことによって国家神道は生き残り、また皇室祭祀を重要な拠り所としながら国体論的な言説が再生産され続けてきたのだという(40)。」(注38は拙稿「神道政治連盟の目指すものとその歴史——戦後の国体論的な神道の流れ」塚田穂高編『徹底検証 日本の右傾化』筑摩書房、2017年、注39は島薗と片山杜秀氏の共著『近代天皇論』集英社、2017年、注40は拙著『国家神道と日本人』岩波書店、2010年)である。

 以上、神道史、近代日本史、憲法学の専門家が島薗の国家神道論を肯定的に引いている例を一つづつあげた。2010年、2017年、2019年とさまざまな時期のものである。山口が広い意味で国家神道の語を用いる論者は「ほとんどいない」という判断の根拠はどこにあるのだろうか。身の回りの研究仲間からだけ判断したわけではないとすれば、どのようにしてこのような判断を行ったのか示してほしいところである。

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