日本仏教実践思想論(22)――仏教を社会倫理として見直すために

『寺門興隆』132号、2009年11月、88―91ページ

中村元の『慈悲』の論述をより深く理解するために、中村が大いに影響を受けたと思われる和辻の日本仏教史理解に寄り道をした。教養主義の時代を代表する思想史家、和辻の日本仏教史観を理解しようと思うと、当時の日本仏教論全体に話が及んでいく。これはこれでたいへん重要な論題であるが、この連載の主旨から離れてしまうので、ここで打ち切ることにする。

ここで和辻を取り上げた主旨は、『宗教と社会倫理』で「正法」理念についてたっぷり論述していた中村が、『慈悲』において仏教倫理の基礎をもっぱら「慈悲」に見ようとしたのはなぜかを理解することだった。前回の論述でその課題はおおよそ果たされたと思う。

長きにわたって中村元の仕事の恩恵に浴してきたが、ここで、この連載は中村元から離れていく。感謝の念とともに偉大な比較思想史家、中村元に別れを告げ、これから日本仏教史の検討に入る。「正法」および出家・戒律という観点から日本仏教史を、また日本仏教の社会倫理を見直すためのいくつかの着眼点をあげていきたい。

まず、「正法」の理念が古代以来、日本仏教において大きな役割を果たしてきたと見られることについて、『金光明経(金光明最勝王経)』の影響という論点を提示しよう。以下、金岡秀友『金光明経の研究』(大東出版社、一九八〇年)、壬生台舜『金光明経 仏典講座一三』(大蔵出版、一九八七年)に導かれながら、この経の日本宗教史上の意義について述べていこう。

古代日本において『金光明経』が重視され、国家仏教において中心的な役割を果たしたことはよく知られている。七四一年、聖武天皇(七〇一-五六)は諸国に七重の塔を建て、金光明最勝王経と法華経を各十部書写して収めさせたとされる。また、寺を二寺に分かち、金光明四天王護国之寺(国分寺)と法華滅罪之寺(国分尼寺)と定めた。

国家仏教の中心に『金光明経』が位置したわけだが、これはこの時が初めというわけではない。『金光明経』には「四天王護国品第十二」があり、四天王が国家を護るという信仰はこの経に由来する。大阪の四天王寺は聖徳太子(五七四-六二二)の創建と伝えられるが、聖徳太子在世の当初から四天王信仰によるものだったかについては疑われている。

だが、白村江の戦での敗北に続く時期の天武朝(六七三-六八六)には、『金光明経』による四天王信仰が盛んになっていた。当時、新羅でも唐の進攻に対して四天王寺が建立されていた。七世紀後半から八世紀にかけて、国家や豪族・貴族が中心となり日本仏教の基盤が確立していった時代、『金光明経』は日本仏教の中枢部に位置していたと言える。

信仰の内容ということでは、懺悔滅罪を説いた経として知られる。日本仏教においては懺悔・悔過が重要な役割を果たして来たが、これは天台智ぎ(豈+頁)を介して拡充したが、『法華経』とともに『金光明経』の影響が大きい。『法華経』と『金光明経』はともに「如来寿量品」をもつこと、つまり法身仏信仰を打ち出している点でも、現世に積極的に関わっていこうとする姿勢においてもよく似ている。

だが、大きな違いは『金光明経』では、仏道を尊ぶ国王を通しての社会の安寧が強く説かれている点である。国家社会重視の正法思想である。奈良・平安時代の仏教の主体は「鎮護国家の仏教」から「顕密仏教」へと展開していくと理解されているが、その中核には帝王があるべき仏法を守護し、仏法によって護られることを願う思想があった。それが正法思想であり、『金光明経』はまさにその正法思想を説く代表的な経典だったのだ。

『金光明経』の正法思想が正面から説かれているのは、「王法正論品 第二十」である。この品では、王は正法を尊び広め、善政を行うべきことが説かれる。そうすれば王の令名が広がり、「天衆」その他、すなわち神々ら天の諸存在が歓喜するだろう。

若し正法の王たらば、国内に偏党なし、法王名称(みょうしょう)ありて、普(あまね)く三界の中に聞ゆ。三十三天の衆(しゅ)、歓喜して是の言(ごん)を作す、「瞻部州(せんぶしゅう)法王、彼は即ち是れ我が子なり。善を以て衆生を化(け)し、正法もて国を治め、正法を勧行し、当(まさ)に我が宮(ぐう)に生ぜしむべし」と。天及び諸天使、及以(および)、蘇羅衆(そらしゅ)、王の正法の化(け)に因りて、常に心に歓喜を得。(壬生、二七四ページ)

神々が歓喜すると、天候も温順となり、社会は平和になり、飢饉はなくなり、豊かな富が享受できるようになるだろう。

天衆(てんしゅ)皆歓喜して、共に人王(にんおう)を護り、衆星位(しゅしょうい)に依りて行き、日月乖席(かいせき)なし。/和風常(つね)に節に応じ、甘雨時に順(したが)いて行なわれ、苗実(みょうじつ)皆善を成(じょう)じ、人飢饉(にんけきん)の者なし。/一切の諸(もろもろ)の天衆、自宮(じぐう)に充満す(同上)

争いなく人心が和らぐとともに、大自然にも祝福される理想の仏教国家が実現するはずだ。そのためには、帝王が仏法を尊び、広め、人民にも実践させなくてはならない。そうすれば、人民・衆生に至るまで「安穏」「豊楽」を得ることができるだろう。

是の故に汝(なんじ)人王、身を忘れて正法を弘め、/応(まさ)に法宝(ほうぼう)を尊重すべし、斯れに由りて衆(しゅ)安楽ならん。常に当(まさ)に正法に親しみ、功徳自(みずか)ら荘厳すべし。/眷属常に歓喜し、能く諸の悪を遠離(おんり)す、法を以て衆生を化(け)し、恒に安穏を得しむ。/ 彼の一切の人をして、十善を修行せしめ、率土(そつど)常に豊楽(ぶらく)にして、国土安穏を得ん。/王、法を以て人を化し、善く悪行を調(ととの)えば、当に好名称(こうみょうしょう)を得、諸の衆生を安楽にすべし。 (同、二七四-五ページ)

ここに「十善」の語が登場することにも注目しておきたい。十善とは、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不悪口、不両舌、不綺語、不貪欲・不瞋恚・不邪見を指す。理想的帝王である転輪王は、十善を実行すべきものである。また、帝王は前生に十善を守ったためにこの世で王位を得るに至ったという思想も広められ、天皇を「十善の君」「十善の主」とよぶようにもなった。

だが、ここでは十善は人民が実行すべきものとして説かれている。帝王は正法を広めることによって、人民に十善を実行させるよう導くべきだとされる。人民の実践倫理としての十善は、『十善法語』の著者である江戸時代の慈雲飲光(一七一八-一八〇四)により十善戒の実践運動へと展開され、近代仏教にも大きな影響を及ぼすようになる。

四天王による守護について述べられているのは、「四天王護国品 第十二」である。世尊が四天王に『金光明経』を尊ぶ者を守護することをほめたたえ、それに対して四天王はますます帝王と人民を守護することを誓う。

若し人王ありて、此の金光明最勝の経典を恭敬(くぎょう)し供養せば、汝等(なんじら)応(まさ)に勤めて守護を加え安穏を得しむべし。汝諸(もろもろ)の四王、及び余の眷属、無量無数(むしゅ)百千の薬叉(やくしゃ)、是の経を護る者は、即ち是れ去(こ)・来(らい)・現在の諸仏の正法を護持するなり。汝等四王、及び余の天衆、并(ならび)に諸の薬叉が阿蘇羅(あそら)と共に闘戦する時、常に勝利を得ん。 (同、一九二ページ)

ここでは『金光明経』を尊ぶことが「正法」護持に等しいと述べている。また、それによって、王と人々を災害、疫病などの苦難から救い、隣国の怨敵を降伏し、国土を守るとも説いている。日本仏教がこのように戦勝祈願を進める強力な伝統をもっていたこと、「正法」理念がそのような側面をもっていたことも十分に確認しておきたい。

ここまで『金光明経』の「正法」理念を、主に帝王のなすべき事柄として見てきたが、『金光明経』の前半では、むしろ個々人のなすべき事柄として懺悔と慈悲善業が説かれている。『金光明経』は護国経典として流布するとともに、懺悔滅罪の経典としても広められたのだ。「夢見金鼓懺悔品 第四」「滅罪障品 第五」では、自らが犯したあらゆる種類の罪に対する懺悔と、善業を積み、自らと他者の脱苦・安楽を願う情熱的な言葉が連ねられている。

「夢見金鼓懺悔品 第四」は仏の妙法を聞いた妙幢(みょうどう)菩薩が、夢の中で大きな黄金の鼓を見、バラモンが鳴らすその金鼓の音の中に伽他[ガーター=偈]を聞き取って記憶し、それを世尊に報告するというものだ。

我先(さき)に作る所の罪、極重(ごくじゅう)の諸の悪業、今十力(じゅうりき)[仏の神秘的な諸力]の前に対し、至心に皆懺悔す。我諸仏を信ぜず、亦尊親[父母]を敬(きょう)せず、務めて衆善(しゅぜん)を修(しゅ)せず、常に諸の悪業を造り……(同、一〇八ページ)

以下、延々と悪業の列挙が続いていく。快楽のむさぼり、女人への貪愛、怒りや嫉妬、悪友との親しみ、愚痴と驕慢、等々。次いでそれらを心から懺悔発露して、悔い改めることを誓う言葉が続く。その中には他者をあらゆる苦しみから脱せしめたいという願いも含まれる。

願わくば我斯の諸の善業を以て、無辺の最勝尊に奉事(ぶじ)せん。一切不全の因(いん)を遠離(おんり)し、恒に真妙の法を修行することを得ん。/一切世界の諸の衆生、悉く皆苦を離れて安楽を得ん。所有(あらゆる)諸根具足(ぐそく)せざるもの、彼をして身相皆円満せしめん。/若し衆生ありて病苦に遭い、身形(しんぎょう)羸痩(るいそう)して所依(しょえ)なからんに、咸(ことごと)く病苦をして消除することを得せしめ、諸根色力(しきりき)皆充満せしめん。……(同、一一五ページ)

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