書評:釈徹宗『不干斎ハビアン』新潮選書

 

『日本海新聞』2009年3月8日号、『長崎新聞』2009年3月29日号、他。

秀吉の治世下、恵俊という名の一八歳ほどの禅僧がキリシタンになった。ハビアン(巴鼻庵などと表記した)とよばれ、不干斎の号ももつ切れ者のイエズス会イルマン(修道士)だ。仏教を初めとする東アジアの諸宗教の知識を駆使して、キリスト教の優位を巧みに論じた『妙貞問答』を著したのは四一歳の一六〇五年のこと。だが、その三年後ハビアンはキリスト教を捨て、一六二〇年にはキリシタン批判書『破提宇子』を著し、その翌年世を去る。

ハビアンの生涯と思想の解明が進んだのは比較的近年のことだが、宗教間論争に熟達したこの人物の実像を捉えるのは容易でない。これまではキリスト教の立場からの論及が多く、日本や東アジアの宗教思想の系譜の中に位置づける研究は乏しかった。宗教学者であると同時に浄土真宗の僧侶でもある著者は、「諸宗教を比較しつつ生きるとはどういうことか」という野心的な問いを携え、斬新で刺激的なハビアン論を展開している。

道教的な無に影響された禅的な仏教理解をもち、儒仏道の「三教一致」を受け容れていたハビアンにとり、絶対的な創造神と霊魂不滅を掲げるキリスト教はまったく新たな体系として現れたはずだ。『妙貞問答』は異質な宗教の衝撃を証しているが、それは若きハビアンの宗教比較の体験でもあった。だが、『破提宇子』では、一度わがものとしたキリスト教が一つの思考様式に過ぎないものとして相対化されている。

結局、ハビアンは競い合う諸宗教をすべて相対化したことになる。といって世俗主義者というわけでもない。その思考の地平とは何か。宗教比較自身が宗教体験となりうるのではないか。スピリチュアルを自称する現代人にどこか近い。だが、こだわり続け問い続ける彫りの深い生の形は今やまれだろう。現代的な問いに引き寄せ、キリシタン時代の日本人の思想のドラマを解き明かし、読者を重い問いへと引き込んでいく好著である。

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