救済宗教論からの比較文明学

 

『比較文明学会会報』52号、2010年1月

比較文明学の素材はまことにさまざまだと思うが、私がこだわって来た「救済宗教」というものも切り口の1つになると思う。救済宗教とは、人間が悪や苦難を避けがたいものであることに思いを凝らしながら、それを克服する通常を越えた道があることを説く宗教だ。来世での、あるいは/また異次元的な領域からの完全な恵みの享受が信じられる。宗教であるから、聖なるものの次元との関わりを重視し、また世界全体の包括的把握を提示するものだが、救済宗教はそれが悪・苦難とその全面克服という主題を基軸として展開している。闇と光の強烈なコントラストの宗教と言えるだろう。

 人類文明はある時期に諸地域で一様に精神的深みの次元を獲得したというのが、カール・ヤスパースの「軸の時代」の仮説で、今も支持者は少なくない。紀元前1千年紀に「軸の文明」が中東、ギリシア、インド、中国などでそろって開花したというものだ。現代はこの軸の文明の影響力が縮減していき、新たな軸の時代に来ているのではないかという考え方も広まりつつある。ヤスパースが唱えた「第1の軸の時代」に対して、今や人類は「第2の軸の時代」に入っているというのだ。

 第1の文明の時代の精神革命をなしとげたものとしてヤスパースが考えているのは、仏教やキリスト教のような救済宗教と、ギリシア哲学や儒教のような倫理学・政治学・形而上学を含む思想体系である。このうち、民衆の生活体系にまで浸透していく可能性をもっていたのは救済宗教であり、だから、第1の軸の文明の思想資源として、救済宗教は決定的な重要性をもった。事実、近代に入って哲学や儒教の威信が低下しても、民衆の生活体系の中での救済宗教は影響力を拡充してきたと見ることもできる。

 今も熱心なキリスト教徒やイスラーム教徒の人口は減っていない。西欧や北米ではキリスト教の影響力は弱まっているように見えるが、中南米やアフリカ、アジアでは必ずしもそうは言えない。エジプトはトルコやインドネシアのような国では、冷戦終結以後、イスラームの規範にのっとった生活様式に従う者が増えてきている。仏教も中国や西欧諸国で人気が高い。日本では20世紀に新宗教の一大勢力が発展し、仏教系の新宗教団体が政権のゆくえを左右する力をもつ政党の母体となった。そもそも、現在、私たちが日常的に用いており、その使用法に難渋している「宗教religion」という概念は、救済宗教をひな型として形成されてきたものらしい。

 だが、20世紀の後半以降、経済的に豊かな社会層を中心に救済宗教に対する疑念も一段と高まってきている。では、それは宗教一般に対する疑念かというと必ずしもそうではない。近代の啓蒙主義や科学的合理主義が宗教一般を否定したのに対して、現代の救済宗教否定の潮流は、宗教的なものやスピリチュアリティには好意的であることが少なくない。西洋でいえば18世紀以来の「救済宗教対科学」の対立項に対して、現代では「救済宗教でも、科学的合理主義でもない」第3項の文化的、文明的潮流が急速な広がりを見せている。

 私が「新しいスピリチュアリティ」とか新霊性運動、新霊性文化とよんでいるのは、こうした潮流である。死生の危機や苦難に出会って、かつて人々は救済宗教に向かったし、今でもある地域や社会層ではそれが主たる道である。だが、今や救済宗教の諸装置ではなく、新しいスピリチュアリティの諸装置に向かうという道が開け、拡充してきている。軸の文明においては、スピリチュアリティは救済宗教の諸装置と結合していた。しかし、新しいスピリチュアリティは必ずしも救済宗教の諸装置に向かわない。教典や聖職者や教団組織に、とりわけ「救済」の信仰に向かわない場合が増えている。このように人心が新たなスピリチュアリティに向かうような文明はどのような特徴をもつのだろうか。

 こうした文明の新たな変容を理解することは、過去の文明を見直すことと不可分である。「来世」や死後に「救済」を托する思想が支配力を保った社会はどのような特徴をもっていたのか。「この世」が悪にまみれており、だからこそ別次元の救いこそ究極の目標となるという「救済」の理念に、なぜ人類はかくまで信を置き続けてきたのだろうか。もし、「救済」の理念こそが「この世」の悪に向き合う格別の方途だったのであれば、「救済宗教以後」を生きようとする人々は、どのように悪と向き合おうとしているのか。新しいスピリチュアリティは、そのような底力をもったものなのだろうか。

 比較文明学にとって以上のような問いは核心的とはいえないかもしれないが、まだまだ未開拓な可能性に富んだものなのではないだろうか。

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