宗教教育という論題

 2010年11月28日、日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合の主催によるシンポジウム、「哲学・倫理・宗教教育はなぜ必要か」が行われた。(http://www.jbf.ne.jp/2010/11/post_173.html

 副題は「初等・中等教育における哲学・倫理・宗教教育の意義と可能性」というものだ。私は一聴衆として、このシンポジウムに聞き入ったが、たいへん示唆に富むものだった。

 司会者とパネリストは哲学、倫理学、宗教学、仏教学、教育学を専攻する大学教員たちだが、会場には中等教育の学校教員も多数、参加しており、現場で教育に携わる高校教員のフロアからの発言には重みがあった。

 従来、小学校・中学校・高等学校では、道徳や倫理の科目があり、その内容の立案や教科書の作成は倫理学者の役割と考えられて来たが、学校教育でなされるべき教育内容は、少なくともこのシンポの登壇者が関わるような諸学問領域と深い関わりがある。だが、こうした学問領域の人々が集まってこの問題を討議することはこれまでなかった。

 たとえば、宗教学者や仏教界の人々は宗教教育について活発に発言してきているが、それを現行の道徳・倫理・公民j教育と結びつける試みは少なかった。ようやく最近になってちらほら見られるようになってきたところだ。これは世界各地の宗教教育の現況が知られるようになって来たことと関わりあっている。同様のことは哲学の分野にもあるようで、中等教育でも哲学教育が行われている国があることが強く意識されるようになり、高等教育の孤立を克服するためにも中等教育で哲学を教える可能性が検討されるようになっているようだ。

 宗教教育が排除されてきたフランスで、宗教事実の教育について政府レベルでの検討が進められているのは興味深い。東西の統合やイスラム住民の増大は、ドイツの宗教教育のあり方にも大きな影響を及ぼした。ロシアでも宗派教育、宗教文化教育、倫理教育の併設が始まったところだ。北米でもさまざまな試みがなされている。日本の「生と死の教育」「いのちの教育」「心のノート」などの試みも関連が深い。世界的に中等教育で価値観や生き方に関わる事柄について、再検討が進んでいる。

 中等教育、ひいては初等教育で価値観や生き方に関わる領域で、どのような教育がなさるべきか、今後、学問領域を越えて多面的な検討がなされるべきだろう。一案として、さまざまな教科書、あるいは副読本を作ってみることが助けになるのではないか。大いに需要があり、日本の教育の未来を切り拓く一助となることだろう。

 なお、大正大学で行われた『世界の宗教教科書』の翻訳出版プロジェクトの成果が、大正大学出版会からDVDで刊行されている。以下のサイトに詳しい紹介がある。http://rbunkashi.web.fc2.com/textbook.html

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