『日本経済新聞』2007年6月17日号
仏教はどれほど日本の文化風土に根づいたと言えるだろうか。仏教の影響はうわべだけのもので、表層をはぎとれば仏教以前の日本的な宗教意識が見えてくると考える人もいる。生活に根ざした民俗宗教は日本の「固有信仰」を引き継ぐものだと見た柳田国男のような学者は、お寺で行われる仏事の核に仏教流入以前からの祖先祭祀が脈打っていると見た。
著者は『日本人はなぜ無宗教なのか』(筑摩書房、一九九七年)で、日本人は「創唱宗教」をしっかり身につけはしなかったが、「自然宗教」への親しみは奥深いので「無宗教」は比喩的に受けとめるでき用語だと論じた。この議論は一見すると柳田国男の固有信仰論に近いようだ。しかし、本書では日本の「自然宗教」が仏教の影響を受けて変化した面に注目する。「自然宗教」的なものが基礎にあるが、仏教の濃密な影響を受けもしたと論じる。
(1)子どもの守り神としてのお地蔵様、(2)地獄と極楽が隣り合わせの死後世界、(3)肉食妻帯の僧侶、(4)観音・不動明王・名号本尊、(5)神仏の密接な関係、(6)葬式仏教――これらは世界の仏教の中で、日本独自のものと言える。そして、それらのどこを見ても「自然宗教」の地が透けて見える。生活原理となるような堅固な仏教の受容とは言えず、「精神的横着さ」が目立つし、社会倫理も未形成だ。だが、かといって仏教は形の上でだけ取り入れられたというわけでもない。仏教精神がそれなりに根づいている。
日本宗教に根づいた仏教精神の核心を著者は「慈悲」に見ている。日本人は仏教の「慈悲」の理念に深く感じ入り、それを取り組むことで日本の「自然宗教」は大きく形を変えた――以上が著者のとらえる日本人の仏教受容史像だ。日本の民俗宗教の中の仏教の重みを測るとともに、日本仏教が人々の生活意識をどこまで導いているかを評価するという難しい課題に取り組む視座を提示している。「慈悲」という観点から日本宗教をとらえる試みも示唆に富む。さらに一歩を進め、たとえば「菩薩行」や「無常観」のような、仏教の影響の他の側面との照らし合わせを含め、今後の日本宗教史研究に新たな課題を投げかける書物と言えよう。