慈悲の倫理と日本仏教

『春秋』400号、1998年7月、13−16ページ
インド哲学・仏教学の大家で授業も受けたことがあり、お話しさせていただいこともある故中村元先生の仏教理解を批判的に論じたものです。仏教研究としては天と地の開きがあることを承知で、あえて日本の仏教研究の可能性のために論じました。この論旨をどう展開するか考慮中です。


 最近の著作(奈良康明氏との対話)で、中村元氏は「仏教の本質」は、またそもそも「人として歩むべき道」の核心は「慈悲」の語に要約できると述べている(『仏教の道を語る』東京書籍、一九九七年)。これは中村氏の学問の当初から存在した主要テーマを明示する発言ではないかと見当をつけて、まずはその箇所を引用しよう。
  仏教の中でも八万四千の法門がある。いわんや世の中には他の宗教もあれば、ほかの  イデオロギーだとか倫理体系などもあるわけです。……我々はそれらをどのように受  け入れ、どのように生かすべきであるか。その基準は何か……めいめいの人が他人と  の関連において生きています。その他人との関連において、温かい心を持って人々の  ためになるように行動していくということが根本……(二二ページ)
  ……人間の真実の道を求める、そこに仏教らしさがある、ということが言えるのでは  ないかと思うのですが。その場合に、仏教の本質は何になるかという問題がまた出て  くるわけですね。教義だとか、儀礼のうちに求めるべきではない。……それは、慈悲  の精神ではないかと私は思うんです。(六二ー三ページ)
 慈悲こそ仏教の、また現代人の宗教と倫理の核心となるべきだという中村氏の考えが、宗教理解のあり方としてどのような特徴をもっているか、それが氏の仏教論、日本宗教論にどのように反映しているか、この達人にそうした側面での「すき」があるとすればそれは何なのか、さらに、このような宗教観が採用された歴史的背景は何か、といった問いをいくらかなりと煮詰めていきたい。
 一九四〇年代、五〇年代、すでに若き中村氏は慈悲という東洋の倫理性こそ、近代以降も保持され、人類の未来を照らす宗教性だと見ていた。これは中村氏の近代への高い評価と結びついていた。もっとも中村氏が無条件に近代をよきものと見ていたというのではない。戦後早くから西洋的な「近代文明の危機」に憂慮の念が表明されてもいた。しかし、他方で近代にポジティブなものがあり、それは仏教本来のもの、人の歩むべき「道」本来のものと合致し、したがって積極的にその方向を押し進めるべきだと明確に主張されており、多くの著作がその方向で公刊されていた。
 では、宗教や思想における「近代性」とは何か。仏教こそが代表する日本宗教の伝統のなかでそれはどのように育てられてきたか。日本の「宗教改革」というべきものがありえたとすれば、それはどのように表明されてきたのか。「日本宗教における近代的思惟の展開」(初刊、一九五五年)では、主に徳川時代の仏教のなかに中世的、あるいは封建的なものと異なる近代的なものの萌芽がさまざまに見出されるという。すなわち?「批判的精神」、?「合理主義」、?「人間に対する愛情」、?「民衆的性格」、?「世俗的生活における活動の重視」、?「倫理的性格」などである。
 少し説明を付け加えると、?の「批判的精神」とは固定した権威への服従をよしとせず、伝統的に崇められてきたものにも自由に向き合おうとする態度。?の「合理主義」や?の「倫理的性格」に対置されているのは、「神話的な教義」や「呪術的・儀礼的なもの」である。??はつながっているが、?では公共性や革新性が話題とされているのに対して、?では平等性(差別否定)や身体性(健康の重視)や社会奉仕などが「伝統」に対する「人間味」の現れとして注目されている。「慈悲」の語がここに登場し、近代のヒューマニズムにあたるものが仏教では慈悲の精神であるという。
 これらの「近代性」を顕著に見て取ることができる徳川時代の宗教者として、繰り返し名前があげられるのは鈴木正三、至道無難、磐珪、天桂、慈雲尊者らである。なかでも鈴木正三への傾倒は深い。中村氏が戦後の一時期、あれほどまでに経済倫理に関心を向けたのはなぜか。プロテスタンティズムが資本主義の発展に寄与したというマックス・ウェーバーの考えが影響力をもった時代だったからという理由もある。?で論じられているように近代とは「活動の重視」を特徴とする時代で、経済活動に積極的な意味を見出す宗教こそこの時代にふさわしいと氏は考えていた。しかし経済発展にそれほど積極的な意味が見出されなくなった今日に至るまで、氏の経済倫理へ関心は一貫している。この主題が積極的に取り上げ続けられるに至った初発の動機は、戦後の時代相にあるというよりも、むしろ鈴木正三らの(儒教への対抗上、仏教の世俗的機能を強調した)徳川庶民布教者への共鳴にあったと見ることもできるだろう。中村氏にとって、そこに「慈悲の経済倫理」とよぶべきものが見えていたと思われる。
 戦後期の中村氏は経済倫理だけではなく、政治倫理にも強い関心を寄せた。仏教が政治と世俗社会から遠ざかることのみを良しとする消極的なものなのではなく、むしろ仏教の政治倫理思想が近代社会の指導原理となるようなものをもっているという立場から、アショーカ王をはじめとする仏教史のなかの政治理念の検討が行われている(『宗教と社会倫理』岩波書店、一九五九年)。こうした政治倫理や経済倫理への関心はその後も後退したわけではなく、一九九三年の『原始仏教の社会思想』にまで引き継がれていく(選集[決定版]第一八巻)。これは「慈悲の政治倫理」の探求の過程を示すものである。
中村氏のこうした仕事は、仏教の社会性の理解という点でたいへん先駆的で価値の高いものであるにもかかわらず、その成果が哲学、倫理学、仏教学、宗教学、社会学などの領域で十分に受け止められ、検討されてきてはいない。「仏教と社会」というテーマについて、中村氏の業績を引き継いで宗教社会哲学、宗教社会倫理学とでもよぶべき領域を発展させていくような仕事がまことに乏しい。オウム真理教事件の後の哲学的、倫理学的、仏教学的、宗教学的、社会学的論議の貧しさを、中村氏が開拓した日本における「宗教社会哲学」のその後の伸び悩みに帰してもよいかもしれない(拙著『現代宗教の可能性』岩波書店、一九九七年、はそのような方向を目指したささやかな試みの一つである)。
 中村氏の仕事が発展的に継承されていない理由の一つに、この偉大な学者の仕事を批判的に検討することがはばかられているという事態をあげられるかもしれない。その博識にとても歯が立たないことを承知の上で、あえて問いを投げかけていくような試みがほしいものである。その口切りをしようというわけではないが、ここであえて中村氏の宗教観のかたよりというべきものに、少々触れておきたい。
 中村氏にとっては「呪術」や「シャーマニズム」や「類似宗教」は文化的価値の低いものである。ここではこの価値評価自体を論難するようなことはしない。ただ、このような諸現象が中村氏が価値ある宗教と見なすものとどのような関わりにあるか、という問題への関心の弱さを指摘したい。宗教史をひもとけば中村氏が高い評価を与える宗教性が、民俗宗教やアニミズムと密接に関わり合いながら存在してきたことが明らかである。仏教教団は常にご利益信仰や精霊信仰や応報信仰とともに存在してきた。このような「低俗な」(と中村氏なら書くかもしれない)信仰の支えがなかったら、サンガが成り立つことはなく、ゴータマ・ブッダや親鸞や道元の高邁な「思想」が語られることもなかったはずである。現代の上座部仏教や大乗仏教が民俗宗教的な要素を濃厚にはらんでいるのは、単に教団の「堕落」や「妥協」によるものではなく、文明社会における「宗教」というものの成り立ちが本来的にそのような大衆的なものとエリート的なものの複合を前提とするからである。この事実を考慮に入れない宗教思想の理解は高邁であるとしても、どこか現実ばなれした「りっぱなお話」の印象を免れえないものになってしまうだろう。
 こうした楽観性への私の不満は、たぶん中村氏の「慈悲の倫理」の根拠づけへの不満とも関わっている。明晰で平易に述べられたすぐれた仏教理論書、『慈悲』(平楽寺書店、一九五五年)の論点を詳しく検討するスペースは今はない。この書物には中村氏の宗教思想と仏教理解のエッセンスが凝縮して述べられているように思うのだが、無理を承知でさらにその核心ともいうべき叙述を抜き出そう。
 慈悲の実践とは、他の視点からみるならば、自己と他人とが相対立している場合に、  自己を否定して他人に合一する方向にはたらく運動であるということができる。それ  は差別に即した無差別の実現である。したがって慈悲の倫理は、また自他不二の倫理  であるということができる。(九三ページ)
そうしてそのことは自己と他者の対立が、実は究極においては否定に裏づけられてい  るということを前提としてのみ成立し得る。対立は空なのであり、空においてのみ対  立が成立する。(原文改行)この理法は、われわれの現実の生活に即して考えるなら  ば、容易に理解することができる。例えば、われわれが或る一人の他人を極度に憎悪  しているとしよう。その限りにおいてわれわれの憎悪している他人は、われと対立しているわけである。しかしその他人の憎悪さるべき存在が空観によって否定され、眼  に見えぬ本来の人格がこのわれと向き合うことになるならば、そこに対立もなく、憎  悪の感も消失するであろう。ここに愛憎を越えた慈悲が実現されるのである。(一一  六ー七ページ)
 この「慈悲の倫理」こそ世界が一つになる時代、宗教の相対性が自覚される時代の「価値転換の基準」であるとされる(五ー一〇ページ)。しかし現代世界に渦巻く憎悪と暴力の奔流は、果たしてこのような「思想」の力で「消失」させることができるものだろうか。「自他不二」は「自他の差異」をどのように飛び越えるのだろうか。
 この「他者との一致」の思想は鈴木正三に代表される江戸時代以来の「和と役(分)の倫理」を引き継ぎ、明治の新仏教運動や和辻哲郎らによって近代主義的に継承、発展させられた「日本的」なエートスの系譜に属する。『日本人の思惟方法』(東洋人の思惟方法3)で中村氏自身、日本の現世主義について批判的に述べながら、自らがそのなかで思索しているという自覚を表明している。中村氏の「慈悲の倫理」はその困難をよく自覚しているはずのものであるが、なおかつ現世主義の伝統と近代進歩思想の濃厚な影響下にあり、二〇世紀的な楽観性の枠内にある。ここに含まれている歴史的制約を越え、「空」を万能概念化してしまわず、他者性の自覚を鮮明に組み込んだ、新たな宗教社会哲学・宗教社会倫理学を構想することは、二一世紀の日本を担う諸世代に委ねられている。

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