『文学』隔月刊第6巻第6号、2005年11−12月、229−232ページ。
近代日本の集合的生活形式や心意文化のとらえにくい様相をどのようにして描き出し、特徴づけていけばよいのだろうか。とりわけ、人々のアイデンティティの核心に関わり、価値意識や死生観の深みに関わるような側面を、その微妙な色合いの配合や時間的推移まで含めてどのようにとらえることができるだろうか。
かつて民俗学は去りゆく過去の地域文化に日本固有の心意文化を見ようとした。一九五〇年代以降の民衆史や民衆思想史の試みは、民俗学が歴史的変化や社会対立を捨象してしまうことに異を唱えながら、聞き取りにくい抵抗の心意を読み取ろうとした。だが、「民衆」の語を用いるとき、すでにそこに上層エリートと下層民の政治的な対立を主軸に置くという問題意識が前提とされ、また「民衆」は調査探求する「知識人」の好ましい他者として措定されてしまう。ここで用いている「心意」の語は柳田国男や折口信夫から借りてきたものだが、「民衆」概念の窮状を意識しながら用いている。社会史やカルチュラルスタディーズやサバルタン研究などの概念や方法論が輸入されても、手軽な援用を超え深度をもった研究成果は乏しいのが現状だ。兵藤裕巳はこのような近代日本の心意文化研究の停滞状況に風穴をあけるような展望を切り開こうとしている文化研究者である。
兵藤は「日本文学」の大学院で学び学位を得ているが、その仕事は「文学研究」の枠を大きく超えている。「民俗」や「民衆」の概念が手負いの窮状なのと同じように、「文学」の概念も手負いであることをよく承知し、新たな問題意識と研究方法を模索しつつ、日本の集合的生活形式や心意文化の、メディアと伝承内容を歴史的にたどろうとする仕事を積み重ねてきた。近代以前の「文学」研究の仕事は平家物語や太平記を素材としたものなど多岐にわたるが、これらはフィールドワークによって得られる生活形式や心意の理解とテクストの読解とを複合し、文化研究の新境域を切り開こうとする試みの一部とも言える。
『〈声〉の国民国家・日本』(二〇〇〇年)とここで取り上げる『演じられた近代』において、兵藤は大衆芸能と演劇の歴史の検討を通して、近代日本の集合的生活形式や心意文化の研究史上、画期的な研究成果を提示した。もっとも集合的生活形式や心意伝承などの語は兵藤自身が用いているわけではなく、私が兵藤の仕事の意義をとらえるために用いているものである。兵藤があみ出した用語は、『演じられた近代』に即して言えば「声や身体の感受性」(p.321)であり、「斉一化された身体とそのパフォーマンス」(p.18)である。「声や身体」というと多面的な諸現象を含むように思われようが、ここで問題になっているのは、「〈国民〉というイマジナリーな共同性に憑依される演劇的身体の成立」(p.17)である。つまり近代の特徴をなす「国民」という共同性が築き上げられる際、その基礎となる濃密な連帯意識を育む、斉一化された声と身体的パフォーマンスが問題にされている。
前著では浪花節の桃中軒雲右衛門が主役だったが、『演じられる近代』では大道芸的な「にわか」芝居(壮士芝居)から国民演劇としての新演劇を立ち上げ、さらに新派劇を引き出していくことになる川上音二郎が主役である。「国民」意識の基礎となる声と身体的パフォーマンスは、演劇においては明治二〇年代に川上らの新演劇によって確立され、そのパターンはその後も「日本的」と自覚される共同意識を喚起する機能を果たし続ける。そこでの「声」とは、唱歌から初期の歌謡曲へと受け継がれていくヨナ抜き音階(ドレミソラの五音階)と、七五調に合わせられる「オイチニオイチニ」の四分の二拍子のリズムであり、そこでの「身体」とは、音楽的せりふと型にはまった所作を決めて、非日常的空間の陶酔感を分かち合おうとする伝統演劇由来の役者芸の近代大衆口語版である。
『演じられる近代』は川上音二郎の新演劇に先立ち、河竹黙阿弥や市川団十郎らによって演劇の近代化が模索される様(さま)、そして学校や軍隊において唱歌、行進などを通して「大衆の国民化」(モッセ)が目指されていく様を国民的な声と身体の確立の前史として描き出している。かつての役者は、「河原者」「制外者」であるが故にこそ、その身体はアウラ(ベンヤミン「複製技術時代の芸術」)を発散していた(p.65)。だが、「大衆の国民化」によって一同そろって唱歌を歌う均質的な近代が押し寄せてくるとき、役者のアウラは色あせざるをえない。九世市川団十郎が明治七年の襲名以来、新演技に挑戦し、明治一〇年代の「演劇改良」の試みに乗ろうとした所以である。
だが、成功する新たな演劇の試みは、民権鼓吹と弁士取締りの怨念を背負い国威発揚を願う「声と身体」を歌い演じた逸脱者的街頭パフォーマーの中から発展してくる。川上音二郎は壮士演歌やにわか(寸劇)に学び、壮士芝居へと発展させた後、日清戦争劇で大成功を収めるが、兵藤はそこに見られる「大衆ナショナリズム」(吉本隆明)を「近代日本の国民国家の成立を画する出来事だった」(p.159)という。「斉一化された声のなかで昂揚する身体」が「われわれ」日本人という帰属意識をつくりだす。「近代的なリズム感や身体感覚の「型」ともいえるものが形成」されたのが明治二〇年代だ(p.115)。それを引き継ぎ、明治三〇年代には新派劇のせりふや身体所作の型が近代日本人の共同性の指標として確立することになる(p.186)。本郷真砂座の『金色夜叉』『不如帰』『婦系図』の世界である。
だが、これだけが日本の「演じられる近代」の決定的指標なのだろうか。川上音二郎につぐ準主役として、兵藤は「新劇」の啓蒙家、小山内薫に注目し、かなりのスペースをさいて彼の主張を紹介している。大衆芸能風の「カチューシャの唄」で成功した島村抱月と松井須磨子の芸術座は新派劇的な「声と身体」に妥協的だったが、近代芸術の理念をあくまで貫き通そうとした築地小劇場の小山内は激しくそれを批判した。だが、もっぱら普遍的な理念を掲げ、民衆の「声と身体」を矯正されるべき蒙昧と見なす「啓蒙のプロジェクト」(ハバーマス)は抑圧性を免れがたい。理念やイデオロギーを表象する媒体として知識人のイメージする身体は、「大衆の身体」と食い違ったままだったと兵藤は総括する。
日本の近代演劇が「国民」の「声と身体」のパターンを形成し、それがその後の共同意識に大きな影響を与え続けたという兵藤の主張は示唆に富んでいる。日本のナショナリズム形成に預かった情緒共有の様態、その階層的な基盤、そして媒介者となる「芸人」や「芸術家」の境界人としての性格が濃密に描き出されている。また、近代日本の有力な心意文化の様相、すなわち鬱勃たる怨念と劇的カタルシスを通して「われわれ」意識が立ち上がってくる情景を印象深く描き出してもいる。兵藤はまた、群舞という形の「集合的沸騰」(デュルケム)にも注目している。明治中後期に確立してくる日本「国民」の「声と身体」が、一九三〇年代の東京音頭の群舞に流れ込み、ファシズムと戦争への突入を先取りしたという。それは、明治維新に先立つ「ええじゃないか」の群舞が、維新の変革を先取りしたのにも似ており、「声と身体」の変革の転換点を画するのだという。
オリジナリティに富んだ書物なので、多くの異論も出されよう。私は宗教を通して集合的生活形式や心意文化の研究を深めたいと考えてきた者だが、その立場から述べよう。明治三〇年代の新派劇が、日本の「国民」意識の演劇的身体表現としてとびきり重要だという論点はおおむね受け入れられる。だがその論点に固執するあまり、「国民」意識の「ユニゾン」の側面とそこでの新派劇の意義が過度に強調されていないだろうか。国民意識は「われわれが一体である」という内容を含むが、その内容を運ぶ形態は多様だったのではないか。「一つのわれわれ」を表象する多様な「声と身体」があったと思われる。
兵藤が浮き彫りにした「国民」「大衆」の演劇的身体の意義をよく認識した上で、それに脚光を当てることにより見落とされかねない多様性について考えるべきではなかろうか。例えば、近代の歌舞伎はけっして衰退していくばかりではなく、今なおそれなりに元気がよい。明治後期以降の歌舞伎は国民意識の形成に関与しなかったのか。兵藤は近代以前、すでに巡歴の声の芸能の担い手たちによって、地域を越えた日本語の意思疎通の基礎が存在していたことを強調していた(『〈声〉の国民国家・日本』)。とすれば、近代以前、すでに歌舞伎が形成に預かった「国民」的な心意文化の一定の基礎があったと見なすべきではないか。それは近代の「大衆」による国民的「声と身体」とどう関わるのか。
もっと内在的な問いの一つは新劇の位置づけに関わる。新劇には新たな「国民」的な声と身体が見られないのだろうか。兵藤が知識人の教養主義とよぶものは、それ自身近代日本の国民意識の重要な担い手だった。教養主義は国民的「声と身体」と無縁の、外来の理性と言語を運ぶ文化としてよいのか。帝国主義の時代のグローバルな権力秩序の中で、儒教的訓育の伝統を受け継ぎ、近代的な法的言説や官僚組織にもなじみながら、西洋語を理解し明解で論理性を重んじる国民的心意文化も形成されていった。映画やラジオと同時的な大正期以降の新劇運動においては、そのような「上からの近代」の国民的心意文化と「大衆」の国民的「声と身体」とがせめぎあいつつ、さまざまな闘技的相互影響が生じていたと見るべきだろう。「声と身体」は意識の下部構造をなすが、かといって「知識人」ではなく「大衆」こそが共同意識の担い手として圧倒的に優位だったとは限らない。
兵藤が「ユニゾン」性、斉一性を強調しすぎていることの問題は、また「国民」や「大衆」の語に依拠しつつ、その概念の検討が十分でないという問題と相関している。兵藤が注目するのは、「常民」(柳田国男)から疎外された芸能者がその怨念を反転させつつ、「常民」の共同意識を増幅して、昂揚した「大衆」の情緒的連帯感をもたらす機能である。だが、演劇で顕著に見られる供犠的な満場一致(ジラール)のカタルシスが強調される分、共同意識に和することがない「心意文化」の諸側面が軽んじられることになる。「国民」の「声と身体」は全体的統合だけでなく、逸脱や角逐も含めさまざまな機能をもったはずだ。
仮に男性だけに限って、川上音二郎に優るとも劣らぬ希代のパフォーマー、出口王仁三郎の「身体」を思い浮かべてもよい。真宗地帯を魅了した暁烏敏の「声」はどうか。「国民」の声と身体は、天皇制ファシズムのユニゾンへの諸変調を産み出し続けた。相対的に見れば均質で斉一的であった近代日本の「大衆」の集合的生活形式や心意文化もそれなりに多声的であったが、そのことは明治大正期の演劇的な「声と身体」の歴史叙述にも反映できたし、末尾で触れられている現代演劇の多様な展開と明治大正期との関係づけも回想的エピソードを超えたものになし得たのではないかと思う。支配的なパターンを描こうとした本書に対して不当な注文かと思いつつ、二〇世紀後半の「大衆」文化や群舞の眩暈を自らの「声と身体」に抱え込む者の一人として、あえて問いかけさせてもらいたい。