6月17日に日本学術会議会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」という文書が公表された http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d11.pdf 。私は5月19日にこのブログに「福島原発事故災害への日本学術会議の対応について」という文章を掲載し、日本学術会議の福島原発事故に対する日本学術会議の対応、とりわけ放射線の健康への影響についての情報提供が適切ではないことについて批判的な意見を述べた。なお、私は日本学術会議(会員210名)の第1部に属する哲学委員会の3人の会員のうちの1人である。
これを受けて日本学術会議哲学委員会委員長の野家啓一氏(東北大学副学長)は、6月8日刊行の『日本学術会議第1部ニューズレター』第21期第7号http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/1bu/letter21-7.pdf において、日本学術会議の情報発信が、「残念ながら文体や用語の面から見ても、そのような国民目線を意識した姿勢は、皆無とはいわないまでもごくわずかであった」と全般について述べた後、次のように述べている。
「たとえば、分科会による「放射線の健康への影響や放射線防護について」第一報~第四報に接しての感想だが、この情報は福島原発事故の被災者や避難者の方々のみならず、私を含めた近隣各県の住民にとって現在もっとも知りたい事柄であろう。にもかかわらず、ホームページにアップされているのは、専門用語で書かれた説明用のスライド数枚のみである。おそらく予備知識をもった専門家以外には、これらのスライドから有効な情報を読み取ることは不可能に近いのではあるまいか(このことについては、会員の島薗進氏もご自身のブログで苦言を呈しておられる)。日本学術会議がこれまで「科学コミュニケーション」に力を注いできたことは十分承知しているが、それならばホームページ上の情報発信においても、その精神を生かすべきであろう。」
では、6月17日に公表された会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」は、哲学委員会から提示されているこの問いかけに応答する内容をもっているだろうか。残念ながら答はノーである。
会長「談話」は3月21日に国際放射線防護委員会(ICRP)から配信されたコメント(勧告)http://www.scj.go.jp/ja/info/jishin/pdf/t-110405-3j.pdf が「十分に理解されていない状況が続いている」として、「国民の皆さんの理解が進むことを願って、改めて見解を出すことに」したと述べている。また、冒頭では「放射性物質の人体への影響などに関して、科学者の間から様々な意見が出されており、国民の皆さんが戸惑っておられることを憂慮」しているとも述べている。
では、国民の理解が進み、戸惑いを解消してくれるはずの国際放射線防護委員会(ICRP)コメントの日本学術会議会長による解説とはどのようなものか。
解説の多くは平常時ではないときには年間1mSvという平常時の線量基準を維持しなくてもよい理由の説明にあてられている。ICRPの防護基準では、平常時であれ緊急時であれ個人の被ばく線量の限度を設定することになっている。しかし、放射線の被害を上回る利益がある場合には被ばくが許容される。とくに「緊急事態」においては被ばくの被害と比べられる他の利害に照らして基準の変更を行ってよいとされている。「一方で基準の設定によって防止できる被害と、他方でそのことによって生じる他の不利益(たとえば大量の集団避難による不利益、その過程で生じる心身の健康被害等)の両者を勘案して、リスクの総和が最も小さくなるように最適化した防護の基準をたてる」のだという。この解説はよく分かるが、これはすでに広く紹介されてきたものだ。
では、今回の場合はどうか。ここからの説明は分かりにくい。年間20mSv基準の説明らしきものがある。ICRPの2007年勧告では、「今回のような緊急事態では、年間20 から100 mSv の間に適切な基準を設定して防護対策を講ずるよう勧告しています。これを受けて、政府は最も低い年間20mSv という基準を設定したのです」とある。
だが、これは4月19日に文部科学省と厚生労働省が示した「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」にある「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベル」である1~20mSvを指すのだろうか。そうではない。というのは、今説明しているのは「緊急時における最適化の目安」のことだと前に書かれているからだ。「非常事態」と「緊急時」はここではほぼ同じ意味であり、これは「計画的避難区域」に関わるものだ(首相官邸災害対策ページ4/15「計画的避難区域について」http://www.kantei.go.jp/saigai/faq/20110415_1.html )。
では、「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」で示された20mSvという基準について何も述べていないかというとそうではない。「緊急時」に対して「現存被ばく状況」という状態が示されているとして、それに関わる事柄として言及されているのだ。「現存被ばく状況」とは「原発からの放射性物質の漏出が止まった後に放射能が残存する状態」を指すという。その状態になったら、「年間1 から20 mSv の間に基準を設定して防護の最適化を実施し、さらにこれを年間1mSv に近づけていくことをICRP は勧告して」いる。そして福島県の一部ではその勧告にそった「努力が始まって」いるという。これで説明は終わっている。
では、これは「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」4/19で示された20mSvという基準の説明になっているか。なっていない。「暫定的考え方」では、「非常事態収束後の参考レベルとして、1~20mSv/年を学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的目安」とすると述べている。これは「現存被ばく状況」の基準を適用したかのように見えるが実はそうなっていない。ICRPは「年間1 から20 mSv の間に基準を設定して防護の最適化を実施」することを求めているので、「最適化」についての検討を踏まえた上で1mSvとすることも2mSvとすることも5mSvとすることもできるはずである。それを最大の20mSvとした理由はまったく述べられていないのだ。
「現存被ばく状況」の「参考レベル」として20mSvは最も高い値である。しかし、その説明はしないで、「緊急時」の「計画的避難区域」についての20mSvの説明をして「最も低い」という説明をもってきている。これはトリックではないだろうか。「トリック」というのがいいすぎであるとすれば、少なくともまったくの説明不足である。
この「談話」を読むと「福島県内……暫定的考え方」で示された20mSvは「最も低い」基準に設定されたのだから、受け入れるのが当然だと錯覚しかねない。しかし実は最も高い数値をあてはめたものだから、今すぐにでも下げるべく考慮がなされてしかるべきだろう。もはや「緊急時」の話をしているときではなく中長期的な対策を考ええるべきときであり、とうに「現存被ばく状況」における基準が検討されていなくてはならないはずだ。「談話」はそういう問題があたかも存在しないかのごとくに装い、現状是認を求めている。実質的に「福島県内……暫定的考え方」を正当化し、20mSvという基準(参考レベル)を維持しようとするものと受け取られてもしかたがないものだ。
ICRPの2007年勧告や今回の事故に対応して示された年3月21日付け勧告にそって、今なされるべきことは、まず、もはや「緊急時」にそった対応ではなく「現存被ばく状況」を想定した対応をすべきことを認めることだろう。そして、「年間1 から20 mSv の間に基準を設定して防護の最適化を実施し、さらにこれを年間1mSv に近づけていく」ための措置を早急に進めることだろう。それは「福島県内……暫定的考え方」にある20mSvという基準を、できれば1mSvまで、そうでないとしてもできるだけ引き下げることを当然帰結するはずである。「間に基準を設定する」とはそういうことだろう。
そのためには、「最適化」がどのようなものかを検討する過程を経なければならない。「一方で基準の設定によって防止できる被害と、他方でそのことによって生じる他の不利益(たとえば大量の集団避難による不利益、その過程で生じる心身の健康被害等)の両者を勘案して、リスクの総和が最も小さくなるように最適化した防護の基準をたてる」のはたいへんな作業だが、少なくとも放射線の専門家だけでできることではないのは明らかだろう。たとえば、「大量の集団避難による不利益、その過程で生じる心身の健康被害等」について考えるにはそれぞれの問題に詳しい専門家の力を借りなければならない。また、多くの人々の生命に関わる決定であるとすれば、公共政策や倫理の専門家の参加も必要だろう。
6月17日というこの時点で放射線防護の問題や20mSv基準問題について日本学術会議会長が見解を示すとすれば、以上のような問題にふれてしかるべきだ。だが、「談話」は「福島県内……暫定的考え方」にある20mSv基準を正当化するかのような内容になっている。「談話」はまた、放射線の健康に対する影響について短く一般的な説明もしているが、それも原発災害による健康被害を低く見積もる記述になっていて適切なものとは思われない。これは楽観的な見解を述べる放射線学者が度々行ってきたことの再現であり、度々批判もされてきているのでここで詳しく述べることはしないが、日本学術会議会長の発言にふさわしいものでないということだけは述べておきたい。
日本学術会議会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」は、科学者・学者による情報提供への国民の期待をひどく裏切るものである。日本学術会議の会員としてたいへん残念である。また、このような「談話」をとどめえなかったことに対して申し訳ない思いである。日本学術会議の歴史に残る恥ずかしい文書との思いを否定できない。
なお、金沢一郎会長はこの「談話」を公表した2日後に定年で会長の地位を退いている。この「談話」について、もはや会長に問いかけるわけにはいかない状況だ。このように定年でやめる寸前に、なぜこのような「談話」を出さなくてはならなかったのか。この「談話」について執行部の他のメンバーは関わっていなかったのか。そうした制度問題も含めて、残された日本学術会議会員の間で議論を深めていくしかないだろう。
学術会議会員の方からこのような論理的な批判が公表されたので,少し安堵できました.昨日この件を知り,数通のツイートを発信し,安易に会員に周知した地質学会事務局に抗議のメールを送りました.怒りを抑えるのに苦労しました.この機に学術会議が柱となり放射線と健康に関するガイドラインを整理されるよう内部での議論を期待します.
あと,学術会議主催の緊急講演会がまたぞろ100mSv以下は健康被害がないという楽観論者をそろえて行おうとしています.会長が退会されるならば,幹部のなかで,こうした企てをした人がいるのではないでしょうか.この講演会では,少なくとも,低線量被曝のリスクを主張している論者を講演に招くべきです.さもないと,学術会議の社会的責任が問われます.そして国民の信用をなくしてしまいかねません.
今なお連携会員である私も、福島原発事故に関する日本学術会議の対応を憂慮してきました。6月17日の会長談話に対するご意見には、ほぼ全面的に同感です。私の感想を何か追加するとすれば(1)日本の科学者コミュニティは、人類にとって核災害の新事態に対処する中で、ICRPの過去の勧告を受身・内向きに解釈し適用し「啓蒙」する消極姿勢に終始するのでなく、むしろ国際的な知見・判断を新たに前進させるため、いかなる社会的・国際的態勢構築が必要であるか、事態を招いた国民の責任として、内外に向かって提言し訴えるべきである。(2)そのためにも、災害の影響の不可避的な持続をどのように予測するか、対策策定のための判断基準とはどのようなものか、を公衆に提示しようとするのが、科学者コミュニティの責務であり、会長談話末尾の「このような異常な事態が一日でも早く解決して、元の平穏な生活に戻ることができるよう」といった詠嘆的願望のみの表明は、日本学術会議に全く似つかわしくない言明ではないか。ご意見の中の〈もはや「緊急時」の話をしているときではなく中長期的な対策を考えるべきとき〉という趣旨とも、このことは深く関わっていると思います。
こちらのエントリにまったく同感です。日本学術会議というものを今回初めて知りましたが、このようなものであったとはひどく失望しました。
日本学術会議と聞くと、イメージとしては深い知見を持つ学者の学際的会議であり、単なる科学的考察を超えて、住民が背負わざるを得なくなった放射線リスクをいかに防護するのか、さまざまな矛盾や葛藤を含む中で最適化を行うというのはどういうプロセスなのかを、住民の目線を保ちながら十分に考察し説明してくれるものだと思いましたが、まったく違いました。
少し話は逸れますが、6.13第2回院内集会(第2回 福島原発事故に関する公開質疑)の録画をネットで見ましたが、文科省の人が「緊急時被曝状況」と言い、20~100mSv/年の下限と言う一方で、原子力安全委員会の人は「現存被ばく状況」と言い、1~20mSv/年と言っていましたので、役人の間でも認識の齟齬があるのではないでしょうか。
早く認識を一致させ、ICRP111にのっとり、モニタリング体制の充実とデータ公開、被ばく状況に応じて住民がどういった防護策をとるべきか、過去の事例を紹介するなど情報をいきわたらせて欲しいものです。
何よりもまず汚染状況(生活空間、土壌、食品、水)の把握があって、最適化プロセスも始まりますので、しっかりしたきめの細かいモニタリングシステムの構築とデータ公開についても、あらゆる分野の学者の方々が政府や自治体と一致協力して作り上げていってほしいと切に願います。
島薗先生!
中川先生の著書のご紹介、復刊、このような学術会議開催へのご尽力に心から感謝申し上げます。
私は現在6歳の娘をもつ一主婦ですが、学生時代に関先生の教えを受けたこともあり、島薗先生のお書きになったものに触れる機会にも恵まれました。
娘は江戸川区の清掃センター近くの幼稚園で被爆しました。都内でおおげさなと思われるかもしれませんが、内部被ばく、特に呼吸による体への影響は想像を絶するものがあります。実際に経験したものでないとわからないかもしれません。食品による内部被ばくについてはほぼ完ぺきなほどに注意していたにも関わらず、これほど体への影響が出るとは自分でも信じられませんでした。
人文科学はこのような国家の非常時に無力なのかとなかば諦めておりましたところ、先生のような方がいらしたことを知り、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたくなりました。
私のような一般人が、先生方の論文を読んでもどこまで理解しているかはわかりませんが、そうした先生方のご意見によって現在、福島の子どもたちの住む場所やガレキ受け入れ問題などあらゆることの方向性が決まっていっていることは事実と認識しております。
人文科学の先生方に今考えていだきたいと思っておりますことを率直に申し上げます。
放射能関連の話題を生活の中で避けようとする雰囲気、タブー視する問題です。
母親同士、職場、家庭内、また報道においてさえ、現在この「生命に関わる重要な問題」があらゆる争いの種となるとの恐れから、徹底的に避けられています。
このことが社会や家庭内に見えない壁を作り、人々のつながりを阻んでいると思えてなりません。
なんとかしてこのタブーを排除し、現実を見据え、建設的な議論に持ち込むことはできないものでしょうか。
このことが成し遂げられない限り、現実的な議論はますます遠のき、その間に子どもたちの命は容赦なく傷つけられていくことになると思います。