1.日本学術会議の対応について問いかける理由
私は日本学術会議(金沢一郎会長)に属する1会員であるが、事故後、1ヶ月、2ヶ月と経るうちに、福島第1原発事故災害に対する日本学術会議の対応に物足りなさを感じるようになった。ふだんさほど仕事の負担もしていない会員であり、内情がよく分かっているわけでもない。「お前がやってみろ」と言われればしり込みしてしまうに違いない。
だが、他に日本学術会議についてある程度親しみがあり、そのような思いを述べている人もいないようであり、このまま問題が忘れられてしまわないとも限らない。自由勝手ななブログでの発言という形式で問題点を記しておいて自分自身の心覚えとし、もしのぞいていただいた方にも得るところがあるとすれば幸いと考えるに至った次第である。
これは日本学術会議とは別に、「34学会(44万会員)会長声明」http://www.ipsj.or.jp/03somu/teigen/seimei20110427.htmlが4月27日に出され、その後、厳しい批判をよんだことがきっかけの一つになっている。理系の学会がこぞって声明に賛成したのだが、その内容は44万と記されている学会会員の少なからぬ方々にとってあまり納得のいくものではなかったと推察される。
なお、日本学術会議はそのHPにあるように、「我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約84万人の科学者を内外に代表する機関であり、210人の会員と約2000人の連携会員によって職務が担われて」いる。内閣府に属しているが、第1部、人文・社会科学、第2部、生命科学、第3部、理学・工学の3部に分かれた学者が自発的に「内外」に情報・意見を発信する機関である。
ほとんどの学者は複数の「学会」に属しており、学会単位で行動することも多いが、日本学術会議はいちおう学会からは独立した組織である。たとえば私は、日本宗教学会や日本生命倫理学会のメンバーだが、日本学術会議では個人として会員となっており、第1部の10余りある委員会の内の哲学委員会に属している。このように日本学術会議は個別学会とは関わりがなく学者個人の集合体だが、実質的には会員・連携会員が関係する学会の意向にそって動くことが多いのだ。
より具体的に述べよう。学術会議の会員・連携会員は特定学会・学術領域と密接な関係をもっており、その学問領域の意見を代表するような者との自覚をもって関わっている場合が多い。学術会議の活動は諸分野の学会の連合体のような性格をもっているとも言えるのだ。そうだとすれば、「34学会(44万会員)会長声明」は日本学術会議とは直接関係がないものではあるが、間接的には大いに関係があるものと見るべきものだ。
「34学会(44万会員)会長声明」については、学習院大学の田崎晴明氏の的確な批判が日本物理学会長への「質問」、日本化学会会長への「意見と質問」という形で公開されているhttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/misc/34Gakkari.html。日本化学会会長は日本学術会議の第3部の部長である岩澤康裕氏(東京電機大学)であり、「34学会(44万会員)会長声明」の問い合わせ先に名前が上がっていることもあって、物理学会の会員である田崎氏の「意見と質問」のあて先となっている。岩澤氏は日本学術会議の東日本大震災対策委員会の一員でもある。
日本学術会議は東日本大震災に対応し、3月18日から最近まで「東日本大震災に対応する第一次緊急提言」から「第六次緊急提言」までの「提言」や「報告」等の文書を公表している。また委員会の設置などを行って特定問題領域に対応もしてきた。その経緯は日本学術会議のHPで見ることができる(http://www.scj.go.jp/)。厳しい時間的条件の中でこのように精力的な対応をされてきた日本学術会議の執行部、及び東日本大震災対策委員会の委員各位には心から敬意を表したい。
だが、その上で、原発事故に対する日本学術会議の対応について問題点を指摘したい。このような場合に学術会議は、あるいは学術共同体はどのように行動し発言すべきか、学者としてどうしたらよいのか。この問題につき、私自身、一人の学者として、また日本学術会議の一会員として悩んでいる。その私なりの考えをまとめ、日本学術会議の関係者諸氏、また広く日本の学術界に関わりをもつ方々の今後の活動に資するようなことを述べてみたい。これがこの文章の主旨である。東日本大震災全体についてではなく福島原発事故災害に限って話題とするのは、それが広く日本の学界(学術界)に特別大きな問題を投げかけていると考えるからである。
2.放射線の健康への影響と防護委員会
まず、4月25日以後に公表された「放射線の健康への影響や放射線防護などについて」という資料を見てみよう。これは、東日本大震災対策委員会の下に置かれた「放射線の健康への影響と防護分科会」によるものだ。「放射線の健康への影響と防護分科会では、放射線の健康への影響や放射線防護などについて説明した資料を定期的に公表していきます」とあり、4月28日までの間に、「第1報 平常時と非常時の放射線防護基準について」、「第2報 日常生活で受ける放射線について」、「第3報 平常時に適用する線量限度」、「第4報 放射線の健康影響には2つのタイプがある」の4つの資料が示されている。
ところがこれらはいずれも各4枚のスライドであり、それだけを見ても内容がよく分かるものではない。私自身のように文系の学者もそうだが、学界に関係が薄い多くの市民にとって理解しやすいものではない。この資料が問題の理解に役立ったと思う人はどれほどいるだろうか。
図表や箇条書きのスライドが4枚ずつ出てくるというものである。口頭の説明がついてこそ初めて意味が分かるというのがスライド資料の性格だろうが、ただスライドだけがポンとそこに置いてあるのだ。第4報の1つ目のスライドを例にとると、
放射線の健康影響
2つのタイプがある
1.「症状、徴候が現れる身体的障害(確定的影響)
・1000ミリシーベルト以下では起こらない
・症状ごとに「しきい線量」がある
2.将来がんが発生する可能性(リスク)が高まる
かもしれない影響(確率的影響)(晩発影響)
・被ばく集団と非被ばく集団の比較で検知
・被ばく者個人は認知できない
・防護の目的で低線量(100mリシーベルト以下)でも
150ミリシーベルト以上と同様に線量に比例してリスクが増加
すると仮定(しきい線量なし)
というものである。そして、2~4枚目のスライドはいずれも図やグラフで、文字による説明はほとんどない。
これらの資料は誰に向けて提示されたものなのか。このような資料を見るだけで、しろうとや他分野の専門家が何か重要なことを理解できるだろうか。とても難しいのではないだろうか。他方、ある程度の学術知識を共有する専門家にあてたものだとすれば、あまりに学問的情報が少なく、不確かな資料提示だ。日本学術会議がHPに掲載する資料としてこの第1報~第4報は適切と言えるだろうか
この「放射線の健康への影響や放射線防護などについて」第1報~第4報は、文科省と厚労相が4月20日に出した「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」という文書を受けて提示されたものだろう。文化省・厚労相文書は「ICRP(国際放射線防護委員会)の「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベル」1~20nSv/yを暫定的な目安として設定し、今後できる限り、児童生徒の受ける線量を減らしていくことを指向」と言い、3.8μSv/h以上の線量の校庭での活動制限をも指示する内容を含んでいた。
この時期以後、福島県の子どもをもつ親たちは「子どもはここに暮らしていてだいじょうぶだろうか」と大いに悩むようになる。なぜ、20mSvなのか、子どもと大人は同じ基準でよいのか、「非常事態が収束した後」とはどのぐらいの期間を指すのかなど、難しい問題に応じうる適切情報がなく苦しめられていた。4月29日には、内閣官房参与の小佐古敏荘氏が「年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放 射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです」と述べて辞任している。
「放射線の健康への影響や放射線防護などについて」第1報~第4報はこうした悩みに応えようとする内容を持っているだろうか。そして、今私がこの文章を書いている5月18日に至るまで、まったく資料提示も情報・意見発信もなされていないのはどうしてだろうか。国民、地域住民の問いかけに応ずるという点で不親切な態度と言わなくてはならないだろう。
なお、放射線の健康への影響と防護分科会のメンバーは、日本学術会議副会長で第2部会員である東京大学名誉教授の唐木英明氏、北海道大学環境健康科学研究教育センター長・特任教授で第2部会員である岸玲子氏の他、15名の連携会員・特任連携会員という大所帯であり、広島大学原爆放射線医科学研究所長の神谷研二氏、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長の山下俊一氏なども加わっている。神谷氏や山下氏は事故後、福島県から放射線健康リスク管理アドバイザーに招かれた医学者たちである。これほど地位ある学者が名前を連ねているのであるが、HP上で見ることができる内容はここで見てきた資料に限られている。福島県の県民の深刻な苦悩、そしてこの問題への国民の高い関心を思うと残念な気持ちをぬぐえない。
3.海外アカデミーへの現状報告
次に「 東京電力福島第一原子力発電所事故に関する日本学術会議から海外アカデミーへの現状報告」という文書を見てみよう。これは5月2日に公表されたもので、日本学術会議東日本大震災対策委員会の名によるA4版13ページに及ぶものである。
まず、この文書が「海外アカデミー」、すなわち諸外国にある日本学術会議に対応する組織に向けて出されたもので、日本の国民に対してではないことが気になる。海外アカデミー宛に出された理由については、「この放射能の漏えいが、日本のみならず地球全体の人々に不安をあたえていることを認識し、出来る限り早い機会に各国アカデミーに事態の経過について報告したいと願ってきたが、この間、我々自身が十分な情報を持つことができなかったことを正直に告白しなければならない」と述べている。
英訳も付されており、海外の学界への正確な情報の発信が大いに意義あることはもちろん理解できる。だが、それとともに、あるいはそれに先立って日本の国民にも発信すべきではないだろうか。これについてこの文書はまったく触れていない。国民は原発事故とその後の災害について十分な情報が得られずにとまどい続けてきた。日本学術会議はそのことを強く意識しているはずである。
そのことの理由はここでも少し述べられている。政府や東電から情報が十分に伝えられなかったことに対して批判的な叙述がなされている。また、「緊急提言」などにおいて政府に情報開示を求めてきたことが述べられている。だが、それはこの文書の主旨からして、国民に対する責任というより、「海外アカデミー」に対する責任という観点からの叙述になっている。政府や東電から情報提供が不十分だったために、「海外アカデミー」への発信が遅れたと弁明しているのだ。
もう一つ、このような情報発信の不十分さには学界も関与してはいなかっただろうか。たとえば、政府の諸決定に深く関与しているはずの原子力安全委員会は学者が主なメンバーである。「原子力安全委員会にもデータの開示を求めたが、それは得られなかった」とあるが、それに対する抗議の表明がなされただろうか。原子力工学や関連分野の専門家集団はどう対応したのか。この文書では日本学術会議を初め、学者の対応に問題がなかったかという点についてほとんど触れられていない。これについてはこの拙文の最後で今一度取り上げたい。
「海外アカデミーへの現状報告」の本文は、Ⅰ「起こったこと」、Ⅱ「我々が行ったこと」、Ⅲ「これから行うべきこと」の3つに分かれている。Ⅰ「起こったこと」では、事故後の事態の推移が記述されている。正確な情報提示を行うために多大な努力が払われたであろうことを推察し、執筆の労をとられた方々に敬意を表したい。だが、主要な情報源から情報提示が不確かであることは内外の人びとがよく知るところであり、それを越えて信頼をかちうる内容を提示しえているかどうか。その点は私の判断の及ぶところではない。
気になるのは随所に放射線の健康への被害について楽観的な叙述があることだ。たとえば、Ⅰ「起こったこと」の4「住民の避難」のところでは、「住民の健康を守るために避難措置は必要であり、その措置によって、住民に身体的放射線障害(確定的影響)はこれまで認められていないし、今後も見られないと予想される」と述べている。そこまで断固として「予想」を述べることができるのだろうか。どういう根拠があってそう述べるのだろうか。
放射線による健康への影響については、4月20日の「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」が出される頃から、福島県住民の懸念が新たに強まってきたのだが、5「食品と水の放射能汚染と風評被害」というところでは、次のように述べられている(少し長めに引用する)。
「水道水に関しては、4月12日現在、福島県、茨城県、千葉県、東京都、栃木県のすべての水道事業体で乳児についてのヨウ素131の基準100Bq/kgを大きく下回っている。ただし、福島県飯舘村のみ村独自の判断で乳児に対する摂取制限および広報を実施している。
さらに、野菜と水の汚染については、放射性降下物の減少とともに基準値を越えるものは減少している。海水については小魚の一部に汚染が見られるが、4月20日現在では、散発的な例に終わっている。
このように、厳しい規制値の設定と検査の実施により、市場に流通する野菜、魚介類、そして水道水の安全は守られている。残された問題は風評被害である。ある地域の農産物に基準値を超える汚染が見つかると、その県全体でその農産物の出荷を制限するという措置を政府は実施した。このように広い範囲の出荷制限地域を設けた主な理由は、政府の説明によれば、農産物の原産地表示が県単位で行われているからであり、そのほかに風評被害を防ぐ目的があるとされた。現在は出荷制限の範囲が県単位から6地域単位に縮小された。しかし、結果的には福島県、茨城県、栃木県、千葉県などの野菜や魚介類の売れ行きが大きく落ち込み、各県は独自の風評被害対策を実施するとともに、各県知事から政府に対応の要求が出されている。」
ここでも健康への影響についての記述は楽観的である。実際には食品だけではなく、さまざまな形態での放射性物質の体内吸収による累積的な被ばくが懸念され、そのためにこそ校庭での活動制限も行われたのだった。
他方、「風評被害」については多くの記述がなされている。だが、「風評被害」とは何かについて説明がなされているわけではない。放射性物質を含んでいると考えられる食品を食べるのを慎む人がいる。それでその食品は売れない、あるいは価格が下がる商品が出る。それをそのまま「風評被害」としてよいものだろうか。確かに風評被害の問題もあるだろうが、その影響を大きく取りすぎて、他の重要な問題を軽く扱うことになっていないだろうか。放射線による健康への影響を軽んじ、不安をもたずに汚染地域や近くの地域で生産された食品を食べることを暗に推奨していると読んでしまう人もいるだろう。
放射線の健康への影響については、Ⅲ「これから行うべきこと」にも問い直したいところがある。ここでは今後も広範囲の住民に、食品の安全を初めとする放射線の健康への影響を配慮した対策をとることを示すべきところだ。また、政府・自治体にはそのための食品・環境の管理・汚染浄化にさらにいっそう力を入れるべきことが述べられてしかるべきである。しかし、ここにはその叙述はない。それは、Ⅰ「起こったこと」において、「このように、厳しい規制値の設定と検査の実施により、市場に流通する野菜、魚介類、そして水道水の安全は守られている。残された問題は風評被害である」と述べられていたことと関係があるだろう。国民の「安全は守られている」という前提から出発している。結果的に放射線の健康への影響の問題がたいへん軽んじられる結果を招いているのだ。
では、放射線の健康への影響の問題にまったくふれられていないかというとそうではない。2「避難地域とその周辺地域の復興に向けて」の記述の中に述べられている。つまり、日本学術会議は、今後、放射線の健康への影響の問題は避難地域とその周辺地域の住民の問題に限って取り扱おうとしていることになる。では、その叙述はどのようなものか。
「避難地域の復興は、避難住民が復帰できる見通しを立てることが前提である。(中略)これらの安全性の確認の上に、原発は廃炉後の新たな街づくりが復興プランとして住民の意思とニーズを踏まえて構想されるべきである。/またこれらの過程を通じて住民の被ばくを管理し、放射線障害(確定的影響)は絶対に起こさず、将来にわたり発がんのリスクを増加させないために、被ばく線量を「合理的に達成可能な限り(as low as reasonably achievable: ALARA)低減する」という国際基準に準拠した措置が必要である。」
「低線量被ばくを低減させる」という放射性物質の確率的影響の問題についてはきわめて漠然とした叙述にとどまっている。このような叙述では、たとえば福島県民の理解はとても得られない。地域住民・国民の立場に立った叙述からはほど遠い叙述といわなくてはならないだろう。
今回、放射線の健康への影響に関わる科学者の解説で目立ったのは、国民に対して「こうこうこうすべきだ」、とりわけ「心配してはいけない」という明確な行動への指示をさかんに行ことだった。そして、必ずしも国民・地域住民からの疑問や批判に応答しようとしていない。(このブログの「原発事故と放射能による健康被害について思うこと」3/18、「放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか」3/23、「放射能による健康被害についての医学者、政府・自治体およびメディアの対応」4/10、「原発による健康被害の可能性と安全基準をめぐる情報開示と価値の葛藤」4/20、「福島県の学校の20mSv基準は適切か?──専門家・学者・ジャーナリストの自覚」5/3と題した拙文を参照していただきたい)。
要するに科学による権威ある知識を、よく理解していない人々に噛み砕いて教え、共同行動に従わせようとする一方的な姿勢だと受け取られかねない。当事者や市民からの問いかけに応じる姿勢が乏しいのではないだろうか。放射線の健康への影響問題について、「海外アカデミーへの現状報告」の叙述はこの線上でなされている。「とるべ行動について上から指示」を行う学者団体と受け取られてしまっては、学術会議としての任務を十分に果たすことはとてもできないだろう。
国民、とりわけ福島県を中心とした地域住民は多くの疑問を抱えており、政府や東電などともに学者から適切な説明を受けたいと願っている。それはさまざまな問題にわたるだろうが、放射線の健康への影響の問題はとくに重要な領域だ。海外のアカデミーに対して信義を果たそうと尽力しているのはもちろんよいことだが、それを優先することによって、日本学術会議は国民の不安や期待に応じる姿勢が弱くなってしまってはいないか。私はそこに大きな懸念を抱かざるをえなかった。
4.日本学術会議が今後取り上げるべき問題
原発事故以後、国民はそれぞれが抱く疑問に学界がどのように応答してくれるか、大いに期待をかけていた。しかし、実際には適切な答が得られないことが多く、学者への疑いが強まったといわざるをえない。そもそも多くの学者が安全だと強調してきた原子炉が安全ではなかったのだ。そのことにつき原子力を開発する側から、学者が多くの権益を提供されていたのではないかとも報じられた。こうした問題に適切に答えていくことも日本学術会議の役割ではないだろうか。
また、原子炉の損傷の状況について楽観的な見通しを述べたり、放射線を浴びた水や食品についても「直ちに健康に影響はない」と述べた学者が多く、それにとまどった人びとが多かった。「安全」を強調することは、原発を開発し設置するため地域住民を説得するのには便利だろう。電力会社などの利権に引きずられたのではないかと疑われ、「御用学者」(この語が適切なものかどうかは別として)などのレッテルを貼られることにもなった。そして、実は安全ではなかったことが分かった。事実となってしまったリスクの予測がなされていたことも報じられているのだから、「想定外」というような言葉で弁解することはもはやできなくなっている。
重要な情報の発信が遅れる例が多かったことも学界に関わっている。そうなったのは、確かにまずは政府や東電のせいであるかもしれないが、学者にも責任があるのは明らかである。原子力安全・保安院や原子力安全委員会は学者が関与している機関である。これらの機関に関わる学者は情報発信についてどのような態度をとったのだろうか。気象学会の会長が放射性物質の飛散についての予測を知らせることを自粛せよと述べたことについても、大いに疑問が寄せられた。広く学界のあり方に関わる問題である。また、政府の下で国民の安全を守る重要な役割を負っている原子力安全委員会のような委員会が、まともに議事録を残さないような運営をしていたことも明らかにされた。これは文科省や厚労相の問題であるとともに官庁の委員会で多くの役割を果たしている学者の問題でもある。
原発の開発を推進し、反対や不安を払拭するのに努めてきたのは、電力会社や関連企業であるとともに政治家でもあった。だが、政界・財界を支えて学界が後押しをした側面があることは国民のよく知るところである。学者が安易に開発を支持してきたことが、安全のための措置を軽んずることにつながったのではないかと疑われている。関連が深い特定の学問領域だけではない。文系の諸分野も含めて、原発リスクに対する学者の評価が甘く、安全のための考慮が弱くなるのを許してきた側面がなかったか省みる必要があるだろう。
菅直人首相を本部長とする原子力災害対策本部は賠償問題にかかわり、この原発事故の被災者を「国策による被災者」と明記した(「原子力被災者への対応に関する当面の取組方針」5/17)。その国策に重大な問題点をあったことを明確に指摘できた学者は、諸分野を合わせてもわずかだった。問題点を早く指摘してきた学者の多くは、大組織の昇進構造からは排除された人びとだった。今や多くの国民がそのことを知っている。政府のすぐ近くにいる学界指導層が大いに反省するのは当然と考えている市民は少なくない。
このように学界に対して多くの、また重い問題が投げかけられていると私は感じている。だが、それについて今のところ日本学術会議は応答してはいないようだ。緊急に果たさなくてはならない多くの仕事があってそれどころではないのかもしれない。もちろん拙速は避けるべきだ。だが、いつまでも取り組まずにすますことができる問題でもないだろう。
今、ごく概略を述べてきたように、この度の原発事故を通して日本の学界が応答すべき重要な問題がいくつかある。もしそうだとすれば、そのことだけでもはっきりと表明すべきではないだろうか。具体的な対策をまとめるには時間がかかるだろうが、その前に問題の所在を確認する必要がないだろうか。いつまでも問題を回避することになるとすれば、国民の学界に対する不信感、失望感がますます広がっていくことになるだろう。