『日本史研究』499号、2004年3月、114−121ページ
私たちは「宗教」という言葉を自明な意味をもつかのように用いている。だが、この言葉は近代国民国家の形成過程で、初めて今持つような意味で用いられるようになったものである。近代の欧米(西洋)で宗教という概念やカテゴリーが重要なものと認識され、数世紀をかけて社会制度や学問的知識に定着されるようになった。欧米諸国の影響下で近代化の道をたどろうとすると、いやおうなく西洋風の「宗教」概念を取り込まざるをえなくなる。そして「宗教」を論ずる学知の体系として「宗教学」が成立してくる。では、日本においてこのプロセスはどのように起こったのか。また、「宗教」や「宗教学」とともに、日本の国民国家の柱として重視された「神道」や「神道学」はどのように成立してきたのか。本書はこのような問題に正面から挑んだ、本格的な言説史研究の業績である。
欧米における「宗教」概念の形成史、また非欧米社会における「宗教」概念の形成史、受容史については、昨今、世界各地でさかんに研究がなされてきている。著者はそうした世界の近代宗教研究、宗教言説研究の研究史・研究動向に広く目を配ろうとしている。そして、そこから問題把握の基礎となる理論的な枠組みを引き出して、その枠組みのもとに明治維新から敗戦に至る時期の日本の資料を丹念に探究している。
明治維新後の「宗教」をめぐる言説と制度に関わるここ三〇年ほどの業績としては、村上重良『国家神道』(岩波書店、一九七〇年)、阪本是丸『国家神道形成過程の研究』(岩波書店、一九九四年)、山口輝臣『明治国家と宗教』(東京大学出版会、一九九九年)のような宗教制度史研究、鈴木範久『明治宗教思潮の研究』(東京大学出版会、一九七九年)のような思想史的学問史的研究、両者を踏まえながら社会文化史的観点を重視した赤沢史朗『近代日本の思想動員と宗教統制』(校倉書房、一九八五年)、羽賀祥二『明治維新と宗教』(筑摩書房、一九九四年)などがあった。著者の視点は思想史・学問史という点では鈴木のものに近く、社会文化史や政治的な観点が重視されているという点では赤沢の仕事にもっとも近いだろう。だが、ポスト構造主義的な言説分析の方法を強く意識しているという点では、近年の批判的文化研究(カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアル批評)の問題意識や研究手法と共通点が多い。いずれにしろ丁寧な資料調査や先行研究精査を踏まえた、領域横断的で挑戦的かつ野心的な労作である。
本書の前提となっている資料調査の成果の主なものは別途、刊行されている。島薗進・磯前順一編『東京帝国大学神道研究室旧蔵書 目録および解説』(東京堂出版、一九九六年)、磯前順一・深澤英隆編『近代日本における知識人と宗教――姉崎正治の軌跡』(東京堂出版、二〇〇二年)の二冊であり、これらは膨大な量の資料調査を踏まえている。前者には筆者も共編者に名を連ねているが、資料整理の仕事を牽引したのは磯前氏であり、筆者は磯前氏に従ってごく一部の資料に向き合ったにとどまる。こうしたいわば手仕事による資料との格闘の蓄積が本書の土台をなしていることは、先鋭な理論性をも備えている本書を読み進むとき、もしかすると気づかれにくいかもしれないので、まずここに明記しておきたい。
磯前氏が本書でとくに注目している人物が三人いる。井上哲次郎、姉崎正治、田中義能(よしとう)である。姉崎は東京帝国大学の宗教学講座(一九〇五年設立)の初代教授となった。田中は神道講座(一九二一年設立)の最初のスタッフの一人だった。そしてこの二人を学生時代から指導してその研究を方向づけ、宗教学講座・神道講座の開設に尽力したのが哲学講座の基礎を作った井上哲次郎である。したがって、本書で主な素材とされているのは、東京帝国大学の哲学講座において宗教学や神道学の基礎が育まれ、それぞれ新しい講座として自立していく過程と、それを担った三人の学者の知的伝記である。だが、それらは近代日本の宗教史や学問史、とりわけ宗教をめぐる言説史という大きな文脈のもとで分析されており、さまざまな論点が取り上げられ、広い範囲の論題が射程内に置かれている。
著者が準備した大きな理論的枠組みは次のように要約されよう(主に序章)。近代西洋の「宗教」概念は認識する側が対象を「宗教」と規定したり、しなかったりしながら、社会生活をある言説構造にはめこんでいく機能を果たしてきたのであり、宗教学はそのような支配的言説を構築する知的装置として形成された。その際、「宗教」の原型にあたるものを名指すことが意義深い仕草となった。近代化を進める側に立つ知識人が、あるべき「宗教」を言説として構築し、その枠にはずれる現象は抑圧されていくことになる。この言説による支配の過程は、植民地的状況において西洋社会による非西洋社会への表象の押しつけにおいて典型的に現れる。
とくに注目すべきなのは、「プラクティス」と「ビリーフ」という点での規範意識の影響である。近代以前の社会では宗教の「プラクティス」的な側面に力点が置かれていたのに、近代的な「宗教」言説は「ビリーフ」の側面に力点を置き、進歩した文明に合致しない民衆の「プラクティス」的な宗教性をおとしめ、抑圧するのに力を貸す。その際、「土着エリート」の果たす役割が大きい。土着エリートが西洋的な「宗教」言説を内面化して、その地域(たとえば日本)に即した「宗教」言説を構築していく過程が問われることになる。そしてそれにとどまらず、さらにそうした言説が民衆社会にどのような影響を及ぼしていったかという、文化的ヘゲモニーにまで考察が及ぶべきである。
この枠組みを使って、明治以後の日本で「宗教」概念が定着し、宗教学が形成されていく過程を概観しようとしたのが第一部第一章「近代日本における「宗教」概念の形成過程」で、主要な六章のうち、序章で示された理論枠組みがもっとも濃厚に適用された論考となっている。それによると、明治維新以前に支配的だった「宗門」・「宗旨」などのプラクシス的な性格が濃い用語から、明治初年の段階でビリーフ的な含みの強い「宗教」というレリジョンの訳語に転換が起こる。西洋文明に匹敵するような知的優位性をもつ「宗教」を是とする言説が支配的となる過程が始動する。だがその後、今度は「宗教」言説の他の側面である政教分離の規範が影響力を強め、明治維新以前は「教」として同じ枠組みの中にとらえらえていたものが、「道徳」と「宗教」に分化してくる。そして政教分離の建前から、神道は「道徳」に振り分けられ、道徳が諸宗教の上位にあるという体制が形づくられる。
宗教が独自の私的領域として自立化するというのは、西洋の「宗教」概念の特徴だが、日本では「道徳」優位のもとに「宗教」が従属するという体制が一八八〇―九〇年代に確立する。このような趨勢の中で、宗教学も神道学もこの優劣関係に安住しない意識を踏まえて登場してくる。宗教学は非合理的なものを称揚して、宗教に国家を支えるある種のイニシアティブを与えようとする意識を反映して形成されてきた。神道学の方は宗教と道徳の対置を超えたところに、極限概念として「神道」をすえようとする意欲のもとに形成されていく。このようにして、近代的な概念としての「宗教」を定位した上で、植民地国家として西洋的主体に同一化していく日本の言説の自己再編が成し遂げられた。以上が、本書の主要な理論的筋道であるが、こうした論旨をどう評価するかは後に述べたい。
以上のような大きな論述枠組みを提示した上で、第一部第二章から、第二部、第三部へと、主に井上哲次郎、姉崎正治、田中義能の三者について論じられていくが、姉崎と田中についてはその全体像が論じられるのに対して、井上についてはその初期に力点が置かれている。井上はその初期の講義において、「東洋哲学」を表題に掲げており、東洋哲学の構想と宗教学の構想とが並行して進められていたことが知れる。また、初期の井上が仏教や「インド哲学」の講義に大きな力を注いだことも強調されている。これらの論述からは、井上において「東洋哲学」の構想が大きな意義をもったこと、彼のその構想が日本の大学の文科系の学科構成に大きな影響を及ぼしたこと、それは日本の宗教学の社会的位置と深い関連をもつことなどが理解できる。だが、このような論点の含意は必ずしも十分に引き出されていないように見える。「東洋哲学」の概念や学問構想と「宗教」概念や「宗教学」の学問構想はどのような関係にあったのか。このような「哲学」と「宗教」の微妙な併存関係、また、「東洋哲学」と「宗教学」の併存関係は、日本の「宗教」言説に、また「宗教」をめぐる学知の展開にどのような影響を及ぼして来たのか。それはまた、井上が濃厚に継承していたような儒学的素養とどう関わっているのか。こうした重要な問題連関について、本書はあまり関心を払っておらず、その点はややもの足りない。
姉崎正治についての叙述ではまず、一九〇〇年の『宗教学概論』の心理主義的宗教論と、留学から帰国(一九〇三)して後の「神秘主義」への転換が注目されている。そこに他に還元できない「宗教」の固有性を際立たせ、親「宗教」的姿勢をとりがちな宗教学の概念構成上の特徴を見て取っている。そしてそのような「宗教」観の政治的機能を見定めるべく、姉崎の宗教研究以外の著述にも広く目を配り、海外との交流や政治的行動について論じていく。天皇崇敬(それが「道徳」の基軸とされた)への「宗教」mp従属という制度の下で、なお「宗教」を重視し、それにより高い独自の地位を与えようとしたこと、だがその一方で伝統社会的な天皇への敬意を受け継ぎつつ国家主義へとそれを展開させたことなどは納得のいく叙述である。姉崎の宗教論そのものにあまり踏み込んでいないので、姉崎が「非合理性」に託したものが何であるか、とらえにくく感じるが、社会思想的な側面からの考察がそれを補って余りあるというべきだろう。
だが、この姉崎論に筆者が抱いた疑問は、日本の「宗教」言説や宗教学の形成の上で、姉崎の地位が正当に評価されているかどうかということである。「宗教」こそ人間精神の最高位の次元を代表するという見方は、むしろキリスト教や仏教の知識人、また教養主義的知識層を基盤とした「宗教哲学」の領域で強力に打ち立てられ、大正昭和の文化のひとつの柱となった。必ずしも「宗教学」を名乗らないこのような系譜の人々の宗教論こそ、宗教学と並んで、いやそれ以上に近代日本の「宗教」言説に顕著な影響を及ぼしたと思われる。他方、民俗学や文化人類学(民族学)の観点を取り込んだ宗教研究の理論的よりどころを提供したのも、姉崎やその周辺の学者が消化した宗教学的道具立てだった。日本の宗教研究の特徴は、こうした宗教研究の広がりをよく見ないと理解できない。だが、本書では宗教学が姉崎一人によって代表されているように読めるだけでなく、宗教学プロパー以外の「宗教」言説がほぼ完全に視野の外に置かれている。
田中義能についての叙述は、ほとんど光を当てられることのなかったこの人物が、「神道学」の形成に重要な役割を果たしたことを明らかにするもので意義深い論考である。田中は姉崎と同様、井上哲次郎門下で国学(「日本哲学」)と教育学を研究し、井上が旗を振った国民道徳論の延長線上に「神道学」を構想し、東京帝大の神道講座の初代スタッフとなり、一九二六年設立の神道学会の主唱者となった。田中は国家の公的立場である神道非宗教論に反対し、宗教である神道を国教とするのが妥当だと主張したが、これは一九〇八年以後、田中が国民道徳論を神道研究と接合することで明確化してきた立場である。そこで、田中についての磯前氏の論述の要点は、次のようにまとめられることになる。
田中を通してみたかぎりでは、意外なことに、神道学は近世の国学に直接的な起源をもつものではなかった。明治初年の神道国教化政策の失敗とともに国学者たちが没落したあと、その空白を埋めるべく登場した近代的な官学的知識人イデオロギー、ドイツ哲学の影響をうけた国民道徳論を背景として誕生したのである。(二二〇ページ)
近代の神道の教学的研究の中で、田中が唱えた「神道学」が一定の位置を占めたことは注目すべき事柄である。だが、その田中の立場を学問史的、言説史的研究の立場から「近代神道学」ととらえ、そこにこそ本体があるかのようによぶのが妥当かどうかは一考を要する。キリスト教学や仏教学とよばれるような教学的研究に相当する神道教学的な研究系譜は、古典研究を軸とする国学の流れからも、資料読解と史実究明を軸とする歴史研究の流れからも形成されており、そちらの方が有力であった。そうした中で、田中は井上が「東洋哲学」として広く構想したような意味での「哲学」の系譜から「神道学」を構想し、「神道学」の名を掲げることになった。だが、結局それは大きな力をもつには至らず、第二次世界大戦後も依然としてそうである。戦前の東京帝国大学で神道講座がついに独立した学科になりえなかったのも、田中流の「神道学」が「国文」や「国史」の系譜の神道研究と別立することが困難である、あるいは望ましくないと思われたからであろう。「神道学」をめぐるこのような考察は、田中の歩みについての磯前氏の詳細にわたる論述が暗に語っていることである。田中流の「神道学」こそ、「近代神道学」であるという磯前氏の論断は、磯前氏が掘りおこしている資料の豊かさを裏切ることになっていないだろうか。
ここで、再び本書全体の主要な論旨に立ち返って、その妥当性について吟味していきたい。序章や第一章で示された、「宗教」概念や宗教学・神道学の機能についての論述は、諸資料が示すものと合致しているだろうか。大きな筋道としては、合致しているといってよいだろう。この点では、現代の西洋語圏の学者らの脱構築的研究業績が示してきたものを、日本の文脈にも通用させてみようとする磯前氏の試みはある程度、成功している。本書は脱構築的(ポスト構造主義的、ポストコロニアル的)な近代学問言説批判の方法を適切に理解し、それに基づく丁寧な資料分析で大きな成果をあげている。また、こうした試みによって、多くの資料に新しい光が当てられ、新鮮な問が数々、投げかけられている。
だが、その意図が野心的であるだけに、行論にやや無理が生じ、理論と資料の対応関係がしっくりしない関係になっているところもまま見られる。大きな難点として、筆者は次の二点をあげたい。
(1)明治維新以前に存在した日本の「宗教」類似の概念や、教学的な諸学(とりわけ儒学)と、近代的な制度や言説との関わりが解きほぐされておらず、したがって西洋の「宗教」(religion)概念の導入や東洋哲学・宗教学・神道学などの導入によって生じたものの新しさが十分に浮き彫りになっていない。たとえば、「プラクシス」から「ビリーフ」への力点の移行は、確かに近代的な「宗教」概念の重要な特徴の一つだろうが、それと同様の「プラクシス」蔑視にあたるものは近世儒学の中ですでに濃厚に存在していた。「文明対野蛮」を対置する態度は、儒教文明圏には西洋とは異なる形で強固に存在しており、だからこそ明治初期に「啓蒙主義」知識人がさっそく活躍を始めることもできた。儒教的な「教」の重視と、近代的な「ビリーフ」の重視との連続性はもっと注目してよいものだろう。
一方、「宗教」概念と政教分離の導入をめぐる理論的な整理の枠組みについては、磯前氏の論述は、なお、近代的な「宗教」概念をそのままぎ受け入れており、そのために論旨が不明瞭になっているところがあるようだ。「儒教」や「神道」をそれぞれあるシステムとして名指し、それらを「宗教」の一つとして論じることがもつ問題点は、キャントウェル・スミス(『宗教の意味と終焉』)やタラル・アサド(『宗教の系譜』)のように、とくに脱構築的な理論的立場を表だって掲げない「宗教」概念批判者が鋭く指摘しているところである。「神道」や「国家神道」を「宗教」という観点から論じるときには、このような批判を踏まえた上で、なおこれらの用語を適用していく根拠を提示する必要がある。ところが、磯前氏は神社神道を「神道」の主たる勢力とし、「神道」という「宗教」の単位とすることを自明視しているきらいがある。「個人の信仰と信仰者による集団としての宗教」というキリスト教的な枠組みを見直すことによって、理論的枠組みの基礎を構築し直す必要があると思われる。「宗教」概念批判のこうした側面について、磯前氏はほとんど論及していない。
これは近代的な「宗教」概念への包括的な批判と、それにかわる枠組みの提示という巨大な問題領域に関わる事柄であって、まだまだ解きほぐされていない問題が多い。本書の考察を受けて、長期にわたって多くの研究者によって考察を進めていくべき課題である。
(2)東京帝国大学の哲学講座から、すなわち井上哲次郎の学問的系譜から「宗教」関係の諸学が派生してくる過程に秀目したのは磯前氏の慧眼である。そこから多くの成果があげられているのだが、結果的にその系譜をやや過大視し、「宗教」に関わる他の諸学問研究の系譜が軽視される結果を招いてしまっている。近代の教学的神道研究を見渡せば、國學院大學や皇學館大學に重要な諸系譜があり、柳田国男や折口信夫の民俗学の影響も小さくなく、国文学、国史学等からも多くの貢献がなされた。神道講座の田中義能の同僚には同じく井上門下の加藤玄智がおり、彼なりに宗教学的な方法による神道教学を構想し、質の高い研究成果をあげていた。田中の「神道学」を近代の学問史・言説史上に定位するには、神道についてのそれら多様な教学的言説を考慮に入れ、関係づける必要があるだろう。
宗教学についても、井上哲次郎の系譜の重要性を踏まえた上で、それとは異なる系譜との関連づけがぜひとも必要である。姉崎は日蓮系の仏教運動を組織した田中智学の影響を強く受けたのであるが、田中智学流の「国家と宗教」の考え方は、近代仏教のさまざまな国家への向き合い方の中でどのような位置にあるのだろうか。国家に対する「宗教」の自律性と優越性を説く言説は、初期の田中智学流以外にも、清沢満之や西田哲学の系譜があり、キリスト教知識人のそれとともに、大正期以来むしろ「宗教」言説の主流ともいってよい力をもったと思われる。日本の宗教学はそのような、自律的「宗教」を尊ぶ言説の強い影響下にもあった。これは高等宗教と原始宗教を対置する進化論的な図式と不可分に展開し、だからこそ知的優位に訴えて政治的抵抗の機能を果たすこともあった。また、そうした言説に支えられながら、「プラクティス」軽視の「宗教」概念を批判し、民衆宗教にこそ「宗教」の自律性を見ようとする立場も育ってくる(教派神道研究、民衆宗教研究)。こうした多様性を視野に入れるとき、序章、第一章で示された展望はやや狭く、グランドセオリー的な図式を優先した形になっていると言わざるをえないだろう。
ともあれ本書は、豊富な資料に基づき、大きな理論的見通しを示すとともに、細部にわたる論点に数多くの新たな洞察を含んだ厚みある研究書である。近代日本における「宗教」概念と「宗教学」の形成史の研究書として、歴史的な意義をもつ業績として記憶されることになるだろう。野心的な問題設定から生まれた多くの問いかけに刺激されながら、この問題領域をめぐり、諸学問分野から創造的な探究の試みが展開してくることを期待したい。
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