チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者 ――イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの―― (3)しきい値あり論者イリーンの350mSv基準の主張

 イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』の第4部では、イリーンが提唱した「生涯最大被曝線量350mSv」基準をめぐる論争や政治的かけひきの経緯について述べられている。それは主に1988年から89年にかけてのことだ。ところで、七沢潔『原発事故を問う』(岩波新書)の第4章にもチェルノブイリ周辺の89年の状況について叙述があり、そこでもイリーンが登場する。甲状腺がんが出始めたこの段階でもソ連はなおできるだけ避難をさせない、補償をしない立場に固執していた。その様子が描かれている。

 「その根拠となったのは、イリイン・ソ連医学アカデミー副総裁が唱えた生涯70年間に35レム(350mSv)までの被曝は許容される」という説であった。イリインは放射線医学の専門家としてこのころ、「汚染地帯の住民は避難しなくても十分に安全である」と説明していた」。これに各地の住民・科学者が反発した。」

 (2)で述べたように、イリーンは国連放射線影響委員会(UNSCEAR)の権威を借りて、89年5月、生涯最大被曝線量350mSvの基準を主張した。これはすでに『チェルノブイリ:虚偽と真実』第1部でふれられていたが、詳しい叙述は同書第4部「放射線汚染地区の住民の移転方法における科学的推奨と政治的解決」に見られる。
 この問題は88年に旧ソ連内で激しく論じ合われた。イリーンが掲げる生涯最大被曝線量350mSv基準は、1平方キロ当たり40キュリー(1平方メートルあたり約1480キロベクレル)に相当する。このぐらいの外部被曝の土地であれば、食物の消費に対する厳しい制限等によって、十分に暮らしていくことができるとイリーンは論じた。要するに広い範囲の住民について、移住・避難しなくても被曝量は減らせるとの主張だ。
 なお、1平方メートルあたり約1480ベクレルというのがどれぐらいの数値なのか、チェルノブイリと福島を分かりやすく比較したウェブサイトもある。飯舘村あたりがそれにあたっており、現在の福島県の避難の基準から見ても高い値である(http://d.hatena.ne.jp/sfsm/20120526/p1 )。
 他方、イリーンは放射線ばかりにこだわると他の健康影響要因が軽んじられることが明らかになってきたともいう。

 「汚染地区に住む住民の伝統的生活スタイルの劇的変化や深刻な心理的、社会的影響による健康への害、さらに食べ物の品質低下による健康に対する害を伴う変化に対しては目を向けていないことが明らかになってきた」(303ページ)。

 ところが、ソ連の国家放射線防護委員会もこうした「より広い広範な考察」を無視したとイリーンは論じている。どうしてそうなってしまったのか。「問題の根本には何があるのだろうか?」とイリーンは問う。答はしきい値の問題だという。
 私は別稿で、日本の科学者が80年代の後半から放射線健康影響の「しきい値あり」説にこだわってきた経緯を述べている。これは80年代後半以降、世界の原発推進勢力が飛びついた考え方であり、日本では90年代以降、支持者が増え、原発推進勢力寄りの放射線影響研究を席捲していった。低線量被曝は危険ではない、だから放射線防護にそれほど費用はかけなくてもよい――こういう立場から電力中央研究所などが押し進め、またたく間に日本国内の狭い専門家集団内で有力になった説である。(「日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(1)~(8)」http://shimazono.spinavi.net/wp/ )
 実はイリーンもこの「しきい値あり」の立場に立っていることが分かる。実際、イリーンは「しきい値なし」説を厳しく批判している。その後の原爆疫学でも、国際的な合意においても「しきい値なし」はますます明確になりつつあるが、イリーンの考えはそれに対立するものだ。「しきい値あり」だから、移住はしなくてもよかったという立場が強く打ち出されている。
 イリーンは「放射線の影響には閾値がないという仮説は、非常に保守的なスタンスを反映している。多くの科学者の意見の中で、それは、医学的意味においては最も人道的なアプローチであるけれども、それは同時に後障害の実際におこりうる危険を過大評価して」いると言う。「科学的な理論という観点における、非閾値という仮説の主な欠点は、有機体の中で絶えず行われている修復過程の役割を無視しているという事実である」とも論じている(305ページ)。
 新たに低線量放射線被曝について「しきい値あり」論が台頭しているが、その意義を理解できないでなお「しきい値なし」論に固執している「保守的」は人たちがいる。彼らにこそ問題があるのだとイリーンは論じる。リーンは「しきい値なし説」は新しい科学技術による社会経済的な利益を損なうものだとも示唆している。

 「一つのリスクを避けるための努力は、実際には社会に対してはるかにより危険な他のリスクをうむ結果となるかもしれない。それゆえに、実際の状況に関するある種のリスクに対する、経済的、社会的にみて合理的なレベルを確立するための統合化されたアプローチの必要性がある」(306ページ)

 国際的にもこのことが確認されている。「したがって住民の集団移転は、利点(ある放射線量への被曝の回避)が、彼らの移転と貧弱な社会的再建の結果によってこれらの人々の健康における害以上の利点がある時にのみ可能となる」(307ページ)。ここでイリーンはICRPのリスクーベネフィット論、「最適化」論(対立する利益を勘案しながら、全体としてもっとも高い利益が得られる方策をとること)を示唆している。だが、この考え方は共産主義の下ではなかなか受け入れられなかったという。
山下俊一氏や神谷研二氏ら日本の専門家が日本の公衆がリスク論を受け入れる姿勢が足りなかったと批判するように(「放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?」(1)http://shimazono.spinavi.net/wp/?p=339 )、イリーンも旧ソ連ではリスク論的な認識が欠如していたと歎いている(308~9ページ)。だが、ICRP、UNSCEARなどに集う外国の研究者はリスク評価の方法を知っている。これに学ぶべきだというのだ。

 「1991年の国際チェルノブイリ・プロジェクト(重松委員長:島薗注)において外国の専門家は…人々の移転に関係する利益と害についての多くの要素に基づく分析によって評価することを提唱した。しかし、彼ら(共和国と連邦レベルの科学者と指導者)は同意しなかった。誰一人賛成しなかったのは、そのような評価の方法について何も知らなかっただけでなく、不幸なことに国際的な慣例で認められた放射線防護についての体系的な最適化の方法すら知らなかったからである」。(309ページ)

 88年段階で、イリーンは集団移転反対論を断固として主張したが、少数派だったと述べている。イリーンらは説得力を強めようと、論拠の強化を図っていく。それを受け てソ連の放射線防護委員会は88年9月、特異な危険グループ(例えば子供)に関しては、350mSvを提起した(317ページ)。ちなみに日本の食品安全委員会は昨年10月、日本では許容生涯被曝線量を100mSvとしたのだから、子供らは350mSvというのは相当に高い値である。そういえば、その後、日本の文部科学省放射線審議会は食品安全委員会の規制が厳しすぎると反対したhttp://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/2589168/。放射線審議会をリードしてきた日本の放射線健康影響の専門家らはイリーンの考え方に近いのだから当然かもしれない。
 イリーンはこう続ける。「ブルダコフらを代表とするワーキング・グループは、350mSvという生涯被曝線量において、予想される(過剰な)確率的影響のレベルを査定した。例えば彼らは、自然発生の悪性腫瘍の割合よりも、放射線に関連して起こると予想される悪性腫瘍の割合の方が数%高く、遺伝子異常は3分の1であることを突き止めた」(317~8ページ)
 当時のソ連では数%の致死がん増加を予想していたことが分かる。また遺伝子異常を通常より3分の1多いと予想していたようだ。イリーンらは相当の病気や異常が出ても、移住による悪影響よりましと考えていた。以上の計算に基づいて350mSv以下でも移住すべきかどうかの論争に臨んだ。だが、これは放射線医の管轄を超えており、社会経済的、心理社会的な面がさらに考慮されなければならないとして、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの国会に委ねることになった。
 3年後、重松逸造を委員長とする国際チェルノブイリ・プロジェクトは、350mSv以上でも必ずしも移住しなくてもよいという結論に達したとイリーンは述べている(319ページ)。「350mSv以上でも移住しなくてもよい」という論が勝利したのだという。こうしてイリーンは他の損失を減らすため移転をさせないという考えがソビエト連邦政府レベルでは公認の立場になったと述べている。
 だが、連邦を構成する各共和国のレベルではその結論は採用されなかった。88年9月にイリーンらソ連放射線防護委員会が主張した生涯350mSv案をめぐり激論が戦わされた。移住反対の同案は反論され「閾値のない放射線影響についての仮説を重んじた…「より人道的な」規準の必要性についての決 定という方向に向った」(327~8)。イリーン側に不利な方向に傾いたのだ。
 イリーン側は巻き返しを図る。「89年9月14日、17の医学、生物学研 究所からの92人の主要専門家に署名された」「チェルノブイリ事故後に起こっている状況に関する放射線の安全性と放射線医学の分野における専門家の声明」 をゴルバチョフと共和国最高会議に提出する。   (2)でふれたように89年5月にイリーンは国連放射線健康影響委員会に生涯350mSv案を認めさせるのに成功している。このソ連国内向けの9月の文書でイリーンらの国家放射線防護委員会側は、移住は不要との自らの立場を擁護するために、さらに国際的な調査検討を行うよう、ゴルバチョフと(ウクライナ、ベラルーシなとの)共和国の最高会議に要望する。
 「それは希望通りに実行され」た(331ページ)。即ち国際チェルノブイリ・プロジェクトである。重松逸造が委員長を務め、短期の調査に基づき、91年、放射線の健康影響被害はほとんどないとの結論を提出する。「世界中の異なる国から200人以上の専門家が参加したチェルノブイリプロジェクトの国際的諮問委員会は、集団移転に関して基本的には同じ結論に達した」た(331ページ)。
 だが各共和国政府はこれにも従わなかった。92年新たに組織された委員会の長ベルヤエフは、350mSv規準より厳しい規準による移住を行う妥協案を決めた。新しい規準は91 年時点で年間5mSvを超える地域では強制移転を行うというもの。任意移転は1~5mSvの地域ということになった(341ページ)。
 新しい規準にイリーンは反対した。だがそこにはイリーン側の 主張もある程度盛り込まれている。「このプログラムの実行は、実質的に放射線の要因の影響を減らすことになる。しかし、より多くの注意が、社会的、心理的側面に払われなければならない」(338ページ)というのだ。

 「それは、今やチェルノブイリ事故によって被害を受けた 地区の住民の健康への主な脅威になっている心理的変化とストレスである。さらに、放射線の要因によって被害を受ける地区より、この心理的要因によって被害 を受ける地区は非常に大きい移転による利点とその決定を行う際、放射線の要因だけでなく、住民の間のストレスや緊張も考慮に入れられている」

 1年あたり5mSvとか1mSvのような「低線量では人体に何も害もないということがはっきりしているのに、(なぜ移住が)実行されるのか」。「ある意味、汚染地区住民の健康が、放射線の慢性ストレスのどちらに影響を受けるかどうかに、殆ど違いはない。もし、ストレスが移転だけによって解消できるのであれば、政府はそれを援助する義務を持つのである」(339ページ)つまり放射能の影響は小さいと匂わせている。ベルヤエフらの1992年の文書は大量移住を認めることになったが、実は移住に必ずしも納得していなかったとイリーンは述べる。だが、ロシア連邦は1993年以後、議論を再開し、また生涯350mSv許容基準の線に帰って行く(347ページ~)

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