2006年5月に、留学生との知的交流の集いであるSGRAフォーラム(関口グローバル研究会)でお話しさせていただいたもので、「日本人にとっての宗教」を入り口として自己紹介しています。(『SGRAレポート』34号、2006年11月、掲載)
皆さんこんにちは。
私が宗教学を勉強することになってから、すでに三十数年間が過ぎています。今日は、何故、自分は宗教学という道に入り込んでしまったのだろうかということからお話ししたいと思います。
私の父は精神科の医者でした。そして、祖父も医者で、伯父も医者です。私の家系には医者が多かったのです。先祖のことは分からないのですが、「なぜ、医者をしていたのか」と聞くと、父は「人助けをしたい」と言っていました。10年くらい前に白血病を患って亡くなりました。晩年、病気に苦しみながらも、自分は「やりたいことをやって死ねる」と言っていました。その時、「自分のモットーは『人のために働く』ということだが、それは達成した」と言っていました。
精神科医といっても、いろいろなやり方があります。最近は自然科学を多く取り入れ、生物学に基づき薬で治療することが多く、普通の医者とあまり違いがなくなっています。中には、難しいことを言うかたがいて、哲学的な精神医学、あるいは精神分析という方法を使う方もあります。父は、人間を深く観察するというよりも、何か精神状態が悪いというのは生理学的な問題があるのだという方向で研究していました。ですから、科学で人を救うということになると思います。父はそのような人で、私の名前は「進」というのですが、1948年にこの名前をもらいました。日本が戦争に負けまして、天皇陛下は「日本は科学がだめだったのだ」と言ったと言われています。あの時代は、日本人がいちばん科学を信じていた時代かもしれないと思います。
私も20歳くらいまでは医者になるつもりでいました。しかし、学生時代に「自分は何のために生きているのだろう」とか、「何のために勉強しているのだろう」というのが非常に深い疑問になってしまいました。とりわけ大学に入るときに受験勉強をしますが、それを何のためにやるのか、そしてその間に自分の人生のコースが決まっていくのですが、それについて自分は何も考えていないということが非常に不安になり、落ち込みました。ちょうど大学紛争があった頃で、学生同士が殴り合ったりした大変難しい時期で、大学を辞めていく人や自殺する人たちを見ながら、このまままっすぐ行くというのは何か変だなと思って迷いました。
そのときになぜ宗教学にいったのか。医学部に行くつもりだったのですが、文学部に移ろうと思いはじめました。自分の生きかたを考えるのは、普通は哲学とか文学の領域かもしれませんが、もっと普通の人が普通に生きていることの中から考えたいと思いました。それで研究を始めました。
私の母親はカトリックのミッションスクールを出ました。そして母親の家は神道でした。高知県の出身でした。明治維新のとき、高知県は国学という仏教をやめて「神道に返ろう」という復古神道の運動が強かったのです。神道のお葬式に皆さんは出たことがありますか、外国人のかたは少ないでしょう。國學院大學のヘィヴンズさんはよく知っていると思います。なかなか素晴らしいです。普通は仏教でお葬式をするのでお経を聞きますが、お経というのは聞いてもよく分からないです。だんだん年を取ってくると分からないのがいいなと思うようになってきますが、若いときはお焼香をするといっても上手くできなくて気になりました。それに比べて、神道は非常にシンプルです。普通二拍の拍手をしますが、人が亡くなったときは音が出ないようにします。それから、しのびごとといって祝詞のようなものをあげるのですが、これは聞いていて意味が分かります。そして、その亡くなったかたの人生を淡々と話されるのです。故人のことをよく分かったかたがしのびごとを話されると、その人の人生をたどってきて、このようにして亡くなったのかということが本当に納得できるようなお葬式の雰囲気があります。この限りでは、私は神道に共鳴しています。
それから、父親のほうは浄土宗の家の出身です。先ほど言いましたように人助けというようなことを父が言ったのは、もしかするとそのおばあさんが大変熱心な仏教徒だったからかもしれません。「なんとか人のためになるようなことをしたい」といつも言っていました。そういうことがどこかで影響しているのではないかと思うことがあります。仏教の慈悲の考え方が伝わったのではないかと思うのです。
それから、私はプロテスタントの幼稚園に行きました。幼稚園の先生が「お祈りをしなさい」と言いました。それで、今でも覚えているのですが、火事があったり、強盗があったりして、怖くて怖くてしょうがない時には、畳んだ布団のところでよくお祈りをしていました。
父が亡くなってから、隣に住んでいる母のところに毎日とはいきませんがいってみることが多いです。そこに父の位牌が置いてあるご仏壇がありますので挨拶に行きます。仏壇をほったらかしているのはよくないからです。この仏壇にある位牌というのは仏教の戒名が書いてありますが、もともとは中国の儒教のものです。先祖を大事にするというのは仏教よりも儒教のほうです。そのように考えると、私の中には、シンプルな自然との一体感を愛するような神道の考え方もありますが、人が苦しんでいる時には何かしてあげたいという大乗仏教の精神とか、キリスト教の精神から習ったものもあります。私の母はカトリックの学校に行きましたのでいろいろなことを知っているのですが、本人は決してカトリック信者にはなりませんでした。しかし、私は、キリスト教に関連するいろいろなことを母から聞いています。そのようなことで私には、いろいろなものが入っています。宗教学を勉強することになったのも、そのようなことが関係しているのかなと思います。
私はあちこちで宗教のことを話しますが、「日本人の宗教」がテーマのときには、<私はこういう人間です><日本人はこういう人間がわりと多いです>と話すことにしています。私にとっては、それが<自分を通して考える宗教>というものなのです。それでは<私は無宗教なのでしょうか>とお尋ねしてみたい。
1996年に明治学院大学の阿満利麿先生が、『日本人はなぜ無宗教なのか』という本をちくま新書から出しました。この本はよく売れました。りっぱな本だと思います。英語にもなりましたし韓国語にもなりました。阿満先生はどういうことを言っているかというと、日本人は無宗教と言われているけれども、それは「創唱宗教」と比較しているからではないか。創唱宗教は、特定の教祖がいて、しっかりとした教義を持っています。キリスト教にはイエス・キリストがいますし、仏教にはゴータマ・ブッダがいますし、イスラムにはムハンマドがいます。このような宗教が「創唱宗教」です。しかし、ヒンズー教を始めた人はいません。神道にも始めた人はいません。また、民間信仰ももちろんだれが作ったということはありません。いわば無名の人たちによって自然に実践されてきたものです。
日本の宗教というのは、創唱宗教がたくさん入ってきて影響を受けました。主に仏教でしょうか、近年になるとキリスト教です。あるいは、神道の中にも創唱宗教になったものがあります。それは、たとえば中山みきという人が始めた天理教です。創唱宗教の影響もある程度はあるのですが、ベースは自然宗教だと阿満先生は説いています。広い意味で神道といえるかもしれないし、民間信仰といえるかもしれません。もし「無宗教」と言う言葉を使うならばこのような意味なのではないかと思います。まずは、自然宗教の影響があり、その後、創唱宗教の影響を受けたにもかかわらず、それがしっかりとは根付いていない文化なので、強い創唱宗教に出会うと何か戸惑ってしまう。自分は創唱宗教にはなじめないと考えるようなところが基調にはある。これが1996年に出た、『日本人はなぜ無宗教なのか』という本です。
こういう本が売れた一つの理由には、この本が出た前の年に「オウム事件」があったからかもしれません。私のような大人にも「オウム事件」は非常にショックでした。子供もショックだったでしょう。当時の子供のかたに聞いてみたいです。何がショックだったかというと、なぜかなり高い教育を受けた非常に有能な若者がこれだけ惹きつけられたのか。オウム真理教の特徴は20代の男性が非常に多く、その中に大学生や大学院生がたくさんいました。自然科学の人も多かったです。あるいは、踊りが上手だったり、コンピューターグラフィックが上手だったり、音楽が上手だったり、いろいろな特殊手技を持った人が多かったです。子供のころから訓練を受けて特殊能力を身に着け、さらにそれを発展させた人です。高級オタクと呼べるようなタイプの人が多かった。彼らはなぜオウムに向かったのか。それに代わるものが日本にはなかったのかという問いかけは非常に重いものでした。
単に<日本人の視野が混乱している>とか、<現代の若者はどうなっているのか>ということを超えて、<自分たちは宗教的な何かを持っているのか>、<彼らに何が提示できるのか>という問題があったと思います。例えば、<なぜ彼らは仏教教団に入らなかったのか>、<仏教には彼らを納得させるものがなかったのだろうか>というショックです。「オウムショック」というのはいろいろな意味が含まれていると思います。さらに、もう少し長いスパンで見ると、その後に「9・11」がありました。「9・11」も「オウム」も両方とも宗教テロという点でつながっています。
そのような流れで考えていくと、世界的に類似したことが起こっているともいえます。「オウム」は相当変なグループでしたが、「9・11」になるともっと世界的にしっかりとした足場のある何かから起こっているのです。しかし、そこでは何か心の拠りどころを失っており、普通の人も持っている小さな混乱が、それでは収まらずに、目にみえて発展し、とんでもないことになって起こってくるように感じます。最近の日本のいろいろな事件、中学生が友達を殺すという事件を見ても同じことだと思います。その異常事態というのは、我々のように普通の生活を穏やかに暮らしているつもりの我々の中の混乱とも関係しているというように感じるかもしれません。「オウム事件」のときにはそのようなことがありました。
オウム後に、いくつか宗教論が出ました。橋本治さんという、私とほとんど同じころの東大にいて、全共闘で活躍したイラストレーターで、その後作家になった方は、『宗教なんかこわくない』という本を出して賞をもらいました。彼は、「もう宗教は終わったのだ」と言っています。オウムの事件を振り返って、「あのように宗教にのめり込むのはもうやめよう」ということです。そこに希望を持つということは何か大事なことが理解できていないのだという考えです。しかし、この本の中には、どこか宗教というのは恐いということが入っていないでしょうか。「宗教なんか恐くない」と言っているということは、どこかで本当は宗教が気になる、無視できないという気持ちが入っていると思います。
梅原猛先生と山折哲雄先生、日本文化研究の大御所の先生がたお二人は『宗教の自殺』という本を出しました。派手な題のご本が多かったです。本というのは売るときには派手な題をつけなければいけないのですが、それにしても派手な題です。しかし、そのような内容が入っています。宗教の自殺だと。つまり、「オウム事件」というのは、宗教そのものが行くところまで行って、これでもうだめになったのだと、ちょっと言い過ぎですね。そのかわり副題には「日本人の新しい信仰を求めて」と書いてあります。だから宗教は終わったけれど、何もないというわけではない、やはり信仰が何か必要なのだと密かに書いてあります。オウムを生んだような日本の宗教の伝統はもうだめですが、しかし日本人が何も持っていないはずはないという考え方です。
もう一つ派手なのが、吉本隆明さんと芹沢俊介さんの『宗教の最後の姿』という本です。1995〜1996年はこういう本がたくさん出ました。もともと吉本隆明さんという人は、親鸞がとても好きな人です。親鸞は浄土真宗を始めた人ですが、彼は浄土真宗の親鸞解釈ではない自分独自の親鸞解釈、それは宗教を超えた宗教みたいなものなのだという考えを持っている人です。そのことを強く訴えています。
このような本を見ると、先ほど言ったような世界的にも似たような感じがあると思います。みんな宗教というものの必要性をますます痛切に感じているのに、恐さや危険も同時に感じています。宗教を離れられないけれども、近づいていくこともできないという呪縛みたいなものです。しかし、それは日本の場合特に強いのではないだろうかと感じます。先ほど言った私のような経歴は、特定の創唱宗教にしっかりコミットした経験がないということですが、そのような人ばかりが周りに多いです。中にはもちろん熱心な人もいますが、大多数の人間が、世の中にはそのようなものがあるということは知っていて、大事なことを言っているというのは分かっている。そういうことを身に着けたほうがしっかりとした生き方が持てるというのは分かってはいるけれども、自分はそれとは違うという感じを持っている。こういうのが日本の一つの特徴だと思います。
自然宗教というのは、必ずしも昔のものではないということもあります。自然宗教というものがあり、それがもっと発達したのが創唱宗教だという考え方もあります。世界の文明はそっち方向で進んできたということです。自然宗教というのは、先住民の世界、仏教が入ってくる前の世界です。もちろん田舎に行くと自然宗教に基づいた文化はありますが、現代人としてそういうところに戻るのはどうなのかと思います。
1980年にオウムがマスコミで騒がれるようになる前、「アニミズム」という言葉が流行していました。神道というと何か日本のナショナリズムと結びついて外国人を排除するようなニュアンスがありますが、神道をアニミズムといったらどうでしょうか。日本という国家ができる前からあったものを「古神道」といいますが、自分の中に根付いているものはそのようなものではないかという言い方もされるようになりました。しかし、宗教学を勉強している人からいうと「そういうようなものも現代人が作ったものではないか」ということになります。現代人が自分に都合がいいようにそのように言っているのであって、本当に昔からあった田舎の人たちの宗教や縄文時代の人たちの宗教を我々がそのまま信じることはできないと感じます。
以上のように、無宗教とか自然宗教かということで日本人の特徴を表す言い方がありますが、もう一つの考え方としては、この演題に出したように、日本人は「宗教」と言われると非常に困るけれど、「宗教のようなもの」にはいろいろな形で親しんでいるのではないかと思います。
いくつか例を持ってきたのですが、これは『バカボンド』という漫画です。今まで聞いたことがあるかたはどのくらいいらっしゃいますか。これは井上雄彦という人の書いた漫画で、今22巻くらいまで出ていますが、3〜4年か4〜5年くらい前から出ていて、最も流行っている漫画の一つです。テーマは宮本武蔵です。江戸時代の初めのころの剣道の達人です。戦後に吉川英治という人が『宮本武蔵』という小説を書き大流行しました。その本を使って漫画にしたものです。これが大ヒットして、かなりの若者が読んでいます。今、手を挙げた人は若者ですね。手を挙げなかった人も若者だと思いますが。
なぜ、これが魅力なのかというと、一つにはこの主人公のバカボンドというのは武士ですが、浪人ですから非常に自由なのです。ボヘミアンです。全く孤独です。自分の故郷を出て、全国を歩きながら戦って、あらゆる強い敵を見出して、その敵と戦って勝つというような一生です。そして、勝つ時はいつも命がけです。ですから、死というものを常に意識しているのです。非常に孤独で、少しニヒルで「何故勝たなければいけないのか」「何故そんなに追っかけられたように敵と戦っているのか」ということがテーマになります。別に憎んでいるわけでもないけれども、勝つということが目的になっているという世界です。そのような世界が、現代人の心に非常に訴えるらしいです。
武士道という言葉がこの数年非常に流行っているのですが、その武士道は命を賭けて戦い、主君のためには命を投げ出してもかまわないという覚悟で毎日を生きているという世界です。死を意識するということが非常に重要な要素です。そのようなものに非常に惹かれるのです。日本人の中には宗教というものには親しみはないけれども、「道」といわれるといろいろな形で関わってくる人が多いと思います。
宗教学科に進学している学生のかなりの割合は芸術をやっています。音楽や芝居などです。また、武道をしている人も非常に多いです。合気道とか弓道とかです。私の今までの経験でいうと、高校や大学に入ってから武道に親しんで、武道で感じたものを深めたいということで宗教学科に入ってきたという人がかなりいるのではないかと思います。そのようなことを考えると私もだいぶ残りが少なくなってきている人生ですが、もし暇になったら何かそういう技を磨きたいとを思います。例えば陶芸をやる人が、焼き物を焼くことを通して何か自分の人生を振り返る、あるいは何かを極めたいと思う。日本にはそういうものがあります。つまり、偉大な宗教というものを極めようとするのではなくて、もっと身近な体とか「技」とかで「道」というものに結びついているのだと思います。具体的なものを通して極めることは、おそらく「美」に置き換えることができます。そういうものを通して精神的な価値を求めるということが、もう一つの特徴ではないかと思います。「宗教のようなもの」ということに、そういう意味を見いだされると思います。
以上は日本の傾向ですが、もしかして世界的にそういう傾向があるといってもいいのではないでしょうか。つまり、日本から始まって世界に最も広まっているものは何でしょうか。一つはアニメだったり漫画だったりしますが、もう一つは実は武道です。どこへ行っても空手がないところはありません。たくさんの宗教にふれるけれども深くは入り込まない。そして宗教そのものよりアニメや技芸を通して宗教的なものに親しんではいる。そんな文化のあり方が世界へ広まっている面もある。そういうことを通して考えてみると、ある意味では現代人は幾分か日本人に近づいてきているといってもいいだろうと思います。
これから皆さんに日本人と宗教について、そして宗教とは何だろうということ、日本人が見落としがちな観点をいろいろ指摘してくれるのを楽しみにしています。
それでは、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)