福島原発災害の放射線健康影響対策では長崎大で師弟関係にあった長瀧重信氏と山下俊一氏が多大な権限を得て対応してきている。政府と福島県が対策を取るに際して、それぞれ長瀧氏と山下氏が中心的な助言者となり、責任者にすえられてきた。どうしてそうなったのか。
長崎大学医学部がチェルノブイリ事故に対する1990年代の日本政府筋の医療援助の代表的存在だったこと、それを受けて2000年代のCOEで長崎大学が放射線リスク対策の研究教育の最大拠点と見なされたことが背景にある。
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放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(6) ――「不安をなくす」ことこそ長崎の医学者の任務という信念
放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(5) ――「安心」こそ課題という立場が排除するもの
福島原発事故以前に放射線の健康影響をめぐるリスクコミュニケーション(「リスコミ」と略す)の考え方は危ういものになっていた。多くの市民(日本人)がリスク評価の能力が劣っていると考える専門家が多いことはすでに述べた(2)。この市民の理解力が劣っているという考えと、何よりも市民の「不安をなくし」「安心」を獲得すべきだという考え方(3)(4)が密接に結びついている。そしてリスクコミュニケーションの課題はリスクについて客観的な知識をもち、「安全」の客観的な評価は確保している科学者が、それをうまく理解できない市民の「安心」を得ることにある――これが「安全・安心」論の前提だ。
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放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(4) ――安全・安心をめぐる混迷
放射線健康影響のリスクについて、その方面の専門家が市民の「不安をなくし」「安心させる」企てに意図的に取り組んできたさまを見てきた。市民がリスクを適切に認識することができず、「安全なのに安心できない」ので、さまざまな手段を用いてリスクコミュニケーションを行い、市民のリスク認識を変えて、専門家のそれを受け入れるようにしようというものだ。
政府・行政や企業が専門家とともに、市民の「安心」獲得を目指す、それこそがリスク評価の相違を、また「不安」をもつ市民と専門家の対立を克服していく主要な道だという考えだ。原子力の場合、それは「安全神話」の一部をなしていた。ある種の宗教の巧妙な布教のようであり、政府や公的機関が思想信条とは言わないまでも、評価が分かれる事柄の判断を一方的に押しつけてくるのは市民の自由の侵害だ。だが、たくさんの専門家をくみこんで、それが堂々と行われて来た。 続きを読む
放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(3) ――「安全・安心」という言説
放射性物質が福島県を初めとして東日本の広い範囲に飛散し、多くの住民が放射能の健康被害を懸念したとき、ひたすら「直ちに健康に影響はない」「安心しなさい」「不安をもってはいけない」と唱える専門家がいた。政府寄りの放射線専門家たちだ。彼らの提供する情報が、3.11後の困難に直面している多くの日本人の力にならなかったことは、多くの人が認めている。どうして専門家はそのような言い方に固執したのか。それは3.11以前からそのような考え方に親しみ、同様の情報発信を続けてきたからだ。原発の安全性を説く言説の一部として、放射能の健康影響はとるに足りないとする言説が強力に展開されていた。 続きを読む
放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(2) ――「リスク認識が劣った日本人」という言説
政府側に立つ放射線の健康影響の専門家は、年 100mSv以下では健康被害はほぼ無視してよいという発言を繰り返したが、他方、100mSv以下でも健康被害はあり、そのためにできるだけ被曝線量を避けるべきだという科学的知見も多い。楽観論の言説と慎重論の言説が分裂し、両者が向き合って討議する場は設けられない。政府や福島県、あるいは大手メディアは楽観論の専門家に従うよう市民に強いるばかりで、異論に応じる気配はない。しかしまったく無視しきることもできないので、言うことが首尾一貫しない。そのために多くの市民の信頼を失った。結局、放射線の健康影響については何が真実か分からないで、混乱が続いているというのが現状だ。だが、政府側の専門家たちは、それは市民が放射線のリスクについてよく理解できないためだと、市民の側に非があるかのように見なすのを常とする。 続きを読む
放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(1)――専門家側に責任はなかったのか?
福島原発事故が1年半が経過しようとしている。放射線の健康影響について、この間に膨大な情報がやりとりされた。だが、未だにどこに真実があるのか、よく分からない。そう感じている人が多いだろう。今後、どれほどの健康被害がありうるのか、どのように対処すれうばよいのか、さまざまな評価や考え方があってよく分からない。大きな被害が及ぶのではないかと推測する人から、そうではなく被害は極小、あるいはほぼゼロだという人まであらゆるタイプの人がいて、錯綜し混乱している。分からないなら分からないなりの対応があってしかるべきだが、あたかも被害はほぼないとの前提で施策がなされているらしいが、なぜそうなのか。
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比叡山メッセージ2012(付・宗教界の脱原発声明等概観)
(25周年を迎えた「比叡山宗教サミット」の参加者による共同メッセージをそのまま転写します。また、その後に、諸宗教集団・宗教者による脱原発の声明や意見表明を概観した文章を添えてあります。)
2012年8月3,4日、比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」に参加するため比叡山山上に結集したわれわれは、平和を願う世界のすべての人々に心からメッセージを送りたいと思う。 続きを読む
日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(8) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?――
平成11年4月21日に京王プラザホテルで開かれた「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム――放射線と健康」は、放射線防護基準の引き下げを目ざした科学動向に勢いをつけようとするもので、電力会社をはじめとする原発推進勢力が後押しするものだった。科学者側でこの動きを先導したのは医学界というより、人口がさほど多くない保健物理(放射線影響・防護学)の学界の人々だった。1990年代から2000年代へと保健物理の学界では、ホルミシス論やLNTモデル否定論(しきい値あり論)が高い関心を集め優勢になっていった。懐疑的な科学者もおり、野口邦和氏、今中哲二氏らの声がないわけではなかったが、政府周辺の保健物理専門家からそうした声は排除されていた。かろうじて残っていた懐疑的な声が排除されたという点で、小佐古氏の内閣官房参与辞任はこの領域の専門家の狭さを象徴する出来事だろう。
だが、これは広い医学の動向を反映するものではまったくない。ホルミシス論やLNTモデル否定論(しきい値あり論)を強く唱えた科学者には大学医学部で教えた近藤宗平氏(阪大)や菅原努氏(京大)のような影響力の大きい少数の有能な存在はいた。しかし、こうした論者の説が医学界で科学的に高い価値をもつ有力説となったようには見えない。 続きを読む
日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(7) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?――
日本の多くの放射線健康影響の専門家が1980年代後半から「放射線ホルミシス」論に注目し、低線量被ばくによる健康への悪影響は少なくむしろよい影響があることを示すための研究に取り組んできたことを示してきた。電中研と放医研がその中核だが、全国の大学でも保健物理や放射線医学の研究分野でその影響が広がっていった。原子力推進に関わる官庁、業界、学界が後押しし、菅原努(京大)、近藤宗平(阪大)、岡田重文(東大)ら保健物理と医学の双方に場をもつ有能な研究者がそれを牽引したから、低線量安全論は急速に力を強めていった。
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日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(6) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?――
1999(平成11)年4月21日に、東京新宿の京王プラザホテルで「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム――放射線と健康」が開催された。この公開シンポジウムは、アメリカでの新たな気運を反映して、低線量被ばくによる健康への悪影響は少なく、むしろよい影響があることを示そうとするものだった。そして、ICRP`の防護基準は厳しすぎるので、実は100mSv(あるいはそれ以上の線量)以下の低線量ではほとんど被害はないと考える専門家がその勢いを強めようとしたのだった。日本ではこの時期までにこの立場の専門家がかなり増えており、この会議以後さらにその傾向が高まる。この公開シンポジウムに関わるような研究が、その前後の時期に電力中央研究所(電中研)や放射性医学総合研究所(放医研)でどのようになされてきたかについては、これまであらまし見てきた。(以上、(1)~(5))
この(6)では、そもそもこうした研究動向が日本で力を得始めるのはいつ頃のことか、また、当時、そうした研究動向を盛り上げていった研究機関や研究者はどのような人々だったのか――これらの問に迫っていく。 続きを読む