精神科医療と死生学の接点

 この秋は、9月25日、日本臨床心理学会、10月2日、日本民俗学会、10月26日、つまり本日、全国精神保健福祉センター研究協議会に出席し、「臨床的な知」の新たな動向につき、学ぶところが少なくなかった。ご教示いただいた皆さんに感謝したい。 続きを読む

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『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する

7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日本人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。

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日本仏教実践思想論(22)――仏教を社会倫理として見直すために

『寺門興隆』132号、2009年11月、88―91ページ

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ケア主体の医療への道

清水哲郎さんと山崎浩司さんの東大院死生学共同ゼミ(9月16日)で、日本口腔ケア学会の阪口英夫さん(大成病院)のお話をうかがい、口腔ケアという領域の重要性がよく分かった気がした。歯科医療の中でのケアの発想、ケアの実践の展開が、緩和医療や終末期ケアの展開と並行しているところが興味深い。しかも、アメリカの口腔ケア開拓者であるKutcherは、1970年代にすでにそのことを洞察していたという。大いに教えられた。阪口さんに感謝。

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『死生学年報2009 死生学の可能性』書評

『週刊 読書人』2009年8月14日号

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宮本袈裟雄さんに負うもの

宮本袈裟雄追悼文集刊行会編『宮本袈裟雄追悼文集』宮本袈裟雄追悼文集刊行会、2009年12月、76-77ページ。

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悪に向き合う宗教 ――「弱肉強食」の時代と初期大本教――

『思想の身体 悪の巻』春秋社、2006年11月、より

近代日本の宗教が「悪」をどのように形象化してきたか。大本教を例にとって考えたものです。「はじめに」+7節のうち、「はじめに」と第1節を掲載します。 続きを読む

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国家神道は解体されたか?

「戦後の国家神道と宗教集団としての神社」圭室文雄編『日本人の宗教と庶民信仰』吉川弘文館、2006年4月、482−504ページ
以上の論考の第1節のみ掲載します。全体は、『日本人の宗教と庶民信仰』をご覧下さい。

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宗教研究の現在と東アジアの視座――戦死者追悼問題と国家神道の概念を手がかりとして――

篠田知和基編『神話・象徴・文化』楽浪書院、2005年8月、591−608ページ

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書評:磯前順一著『近代日本の宗教言説とその系譜――宗教・国家・神道』岩波書店、2003年

『日本史研究』499号、2004年3月、114−121ページ

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